穴にハマったアリスたち

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ドキドキさんの映画に想う

2013年11月08日 | プリキュア雑談・総合
映画公開から早2週間。
非常に楽しんだものの、観賞後、漠然とおちつかない気持ちになってました。
2週間たって、ようやく整理できたので書いてみる。

まず、あの映画(およびこれまでのドキドキ理論)には欠落がある。

「置いていかれる」のが辛いのは分かる。
「置いていかねばならない」のが辛いのも分かる。
ですが、「友だけを先に進ませなければいけないのが辛い」の視点がないんだ。

「幸福の王子」でいえば、ラストシーンで溶鉱炉に落ちて行きながら、王子は何を思ったんだろう。
原作がどうなのかは存じませんが、無私の人なのだから、イメージ的には「よくも捨てやがって」ではなく、「もう街の人を助けられない。彼らは大丈夫だろうか」だと思う。
胸にあるのは恨みではなく、無念じゃなかろうか。

相田さんでいえば。
奮闘むなしく力尽きた時、「嗚呼これで六花たちに置いていかれる。悔しい」とは思わないはず。
「まだまだ苦しい戦いが続くのに、どうして自分は戦えないのか」だと思うんですよね。
倒れ伏す最後の最期の瞬間に、目に映った光景が、自分が欠けたせいでフォースアローを撃てず、強敵相手に苦境に立たされる友の姿…だったりした日には、これまでの人生全否定レベルの悔しさですよ。

自分に置き換えてみると、祖父母や両親が先に鬼籍に入るのは(とても辛いことではあるけれど)受け入れることはできる。それが世の理であり、自然の順番だ。
逆に、自分が子供や孫を遺して死ぬのも、まぁ納得はいく。苦労をかけるかもしれないけど、未来を切り開くのは次の世代の仕事です。
でも嫁さんを遺して死ぬのはきついな。
自分が欠けたせいで困窮して、寒さに震えながら、なけなしのお金で買った好物を齧り「昔は楽しかったな…」なんて呟く妻…なんて光景を想像したら、なんかもう発狂しそうですよ。
すっぱり忘れ去って第二の人生歩んでもらった方が、よっぽどマシだ。

「プリキュア」さん全体を通じても、世代を超えてのバトン渡しは何度も描かれてるけど、同世代や友の間の話は、ちょっとすぐには思い出せない。
(月光さんや闇夢さんが近いけど、あくまで「残して先に進む人」の方に焦点が当たってる)

マシュマロさんが化けて出てきた原因が、「置いて行かれたこと」ばかりで、「相田さんを一人遺してしまった無念から」の要素がなかったのは、ちょっと不自然にすら思えます。
一応、「また一緒に走れて嬉しかった」とはおっしゃってますが…。
(お祖母さんが「成長した孫を見れたんだ。感謝するよ」的なことを言わなかったのは、理解できますが)

で、「スイート」さんの映画を見た後も、同じように悩んだ。(「北条理論とスイート理論」
「今はバラバラでも、過去の共有体験があれば連帯できる」というのは良いのだけど、それでは過去にも孤独だった人は現在でも連帯できず、現在で連帯できないなら未来でも孤独だ。
これでは救いがない。

…と頭を抱えたのですが、テレビ本編で、きっちりそこを昇華してくれました。
過去に共有体験がなくても、現在で孤独に苦しんでいるのなら、「孤独は苦しい」という価値観を共有している。それなら分かり合える。
それまで全く接点を見出せない不気味な他者だったノイズ様が、実は「悲しみ」であると判明した瞬間の、「それなら共有体験がある!」と怒涛のごとく動き出した終盤の展開は、プリキュア史上稀に見る大どんでん返しだったと思う。

そういったわけで、ドキドキさんも今後、何かやってくれるんじゃないかと期待したいです。
役割的にレジーナ様あたりとか。
ラストバトルの途中で玉砕したレジーナ様が、最後に願ったジコチューが「マナを遺していけない」で、初めて願った他者への想いが「マナを信じて後は任せる」だとか。

もしくは博打で「NS3」の展開に予想してみる。
「NS1」が「皆もプリキュア」、「NS2」が「私たちは一人じゃない」で、「NS3」は「永遠のともだち」。
「もう一緒に戦う事は出来ない、皆大丈夫だろうか」と嘆くものの、「後は任せた、皆を信じる、私たちは永遠に友達だ」と去っていく伝説の戦士たちのお話とかどうだろう。
予想が当たったら4500美翔ください。

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