サヨコの独り言

興味のあるものを「コンデジ」で撮影しに行ったり、
街で偶然に見かけたものを「スマホ」で撮っています。

《 市川團十郎 歌舞伎浮世絵展 》 -スカイタウンギャラリーにて-

2023年01月11日 | 展覧会

「初詣」の帰りに、成田駅前の「スカイタウンギャラリー」で《 市川團十郎 歌舞伎浮世絵展 》を観て来ました。55点の作品は見応えがありました。殆どが九代目「市川團十郎」が描かれたものでした。特に明記していない作品は九代目「市川團十郎」です。

「祐天上人」は師僧「檀通上人」から暗愚のため経文が覚えられず破門され、1649年(慶安2年)に「成田山新勝寺」で参籠修行しました。その時に、夢の中で「不動明王」より剣を喉に差し入れられて明智を授かり、呪術的な能力を持ったとされています。後に「増上寺」の第36世法主となり、目黒区の「祐天寺」を開山しました。

【押隈】は初代・二代目「市川團十郎」が考案しました。 俳優の「隈取」を役が終わってから、布または紙を顔へ押しあてて写しとったもの。ひいき客の注文に応じてとることが多いそうです。実際に行なわれたのは九代目「市川團十郎」からで、それ以前のものは残されていません。尚、十代目「市川海老蔵」は後の十二代目「市川團十郎」になります。

パンフレット / 【明治座新狂言 不動霊験之場】 -「成田山新勝寺」に伝わる「祐天上人」の物語-

【新版 成田山参詣図】 -成田山参詣の市川家一門- 中央は七代目「市川團十郎」とその子の八代目

【奈智瀧祈誓文覚】 -「不動明王」と「文覚上人」の物語-  「市川團十郎」の2役

【歌舞伎十八番】 「暫」(しばらく)   /   「矢ノ根」   /   「鎌髭」(かまひげ)

【歌舞伎座新狂言 勧進帳】 -「義経」と「弁慶」の奥州への逃避行の物語- 「市川團十郎」は「弁慶」役

【義経千本桜】 -「義経」と「知盛」、悲しき2人のヒーロー物語-  「市川團十郎」は「平知盛」役

【実録忠臣蔵】 -赤穂事件・歌舞伎版-  「市川團十郎」は「大石内蔵助」役

【高貴演劇遊覧図】 -明治20年の天覧歌舞伎-   演目は「勧進帳」

【押隈】十代目市川團十郎「暫」 / 十代目市川海老蔵「大根左衛門」 / 十二代目市川團十郎「雨の五郎」

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《 初詣 》 -成田山新勝寺にて-

2023年01月11日 | その他

1月11日(水)、初詣に行って来ました。ずっと20日近く雨が降っていませんでしたが、この日は特に良い天気で快晴でした。平日の午後だったので人出も多くなく、ゆっくり参拝出来ました。

「成田山新勝寺」の「注連縄」は、「 照範(しょうはん)じめ 」 と言います。「中興第一世」の「照範上人」が「五穀豊穣」を祈願して作った事が始まりとされています。「稲木」に「稲穂」を干している様な感じに見えます。幅6.6m、高さ1.5m、重さは約200kg あり、大型クレーンで設置します。最初のお不動さまの御縁日である1月28日まで飾っているそうです。

「庭旗」(にわばた)が飾られるのは、「注連縄」と同じで12月25日~1月28日となります。「総門」から「大本堂」まで10本飾られ、「大本堂」前は4本となっています。「三重塔」には早くも【 節分会追儺式 】の立て札が立っていました。

帰りに馴染みの御店で「升形」の「熊手」を買って帰りました。「干支」の物が欲しかったのですが、残念ながら品切れでした。御店の人の好意で「うさぎ」の人形と「稲穂」を挿して頂きました。

「照範じめ」が飾られた大本堂

15時の御護摩祈祷が終わり、大本堂から出て来た僧列

庭旗   /   三重塔   /   「升形」の「熊手」

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《 初日の出 》 -近くの公園にて-

2023年01月01日 | その他

     明けまして おめでとうございます
     本年もよろしく お願いいたします
     新しい年が良い年でありますよう お祈り申し上げます

今年で4年目になってしまった「コロナ禍」ですが、1日も早く「新型コロナウイルス感染症」が収束し、皆と会ったり普通の生活が過ごせる様に願っています。

1月1日(日)の朝はとても寒かったですが、雲1つない晴天でした。「日の出」を待っている間、犬の散歩の人が3人くらい通っただけで、私一人しか居ませんでした。でも、写真を撮っていた人がいたみたいで、帰りに公園の出口で会いました。

日の出(地平線から出る時間・6時49分)が近付いて来ました <6時30分頃>

太陽が少し見えて来ました <7時4分頃>

半分くらい見えて来ました <7時5分頃>

ほぼ全体が見えました <7時6分頃>

公園の芝生が霜で真っ白でした

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《 クリスマスの日に 》 -都内某所にて-

2022年12月25日 | その他

12月24日(土)は「クリスマス・イブ」だったので。父と二人でコンビニのミニケーキを食べました。東京は少し雲が出ていましたが、とても良い天気で「富士山」が綺麗に見えました。25日(日)の朝は、奇跡的に雲1つ無い快晴でした。昼頃から少しずつ雲が出て来ました。

「クリスマスリース」は娘が幼稚園の時、父母会の行事で作ったものです。材料はすべて役員の方が用意して下さいました。ドーナツ型に切ったダンボールにパスタを並べて接着し、着色しただけの簡単なものです。気に入っているので、今でもクリスマスの時に飾っています。

「東京スカイツリー」 では11月10日(木)~12月25日(日)まで、クリスマス限定の2種類の 「特別ライティング」 が日替わりで行なわれていました。1つ目は、揺らぎながらも力強く燃え続ける「キャンドル」の炎をイメージした 「キャンドルツリー」 。2つ目は、「もみの木」をイメージした緑とシャンパンゴールドの光で彩った 「シャンパンツリー」 です。

12月24日 (17時13分頃)  / マジックアワーの瞬間   -日没は16時33分頃-

12月25日 (8時56分頃)   -奇跡の様な快晴-

クリスマスリース  /  キャンドルツリー  /  シャンパンツリー(緑&シャンパンゴールド)

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《 秋の花便り・まとめ 》 -10月から11月-

2022年11月30日 | 動植物

「立冬」と「小雪」も過ぎ、冬が近づいて来ました。身近な秋の花を振り返ってみました。

8月末に咲いていた「オシロイバナ」 (白粉花)が咲き終わり、実がなっていました<10月4日>。潰すと白い粉が出て来ました。「キダチチョウセンアサガオ」 (木立朝鮮朝顔) は20~30センチ位のトランペットのような形の大きな花で、垂れ下がる姿は豪華でインパクトがあります。個人宅のフェンスの外に植えられていました。

「ランタナ」は庭や遊歩道など様々な所で見られ、長い間咲き続けます。黄色やだいだい色の花もあります。同じ茎から微妙に違った色の花を咲かせるので、和名は「七変化」。実も緑→青→黒と変化します。

豪華で力強く咲く大輪種の「ダリア」は、風格があって堂々としていました。遠くからでも存在感があって、思わず足を止めてしまいます。

最近、「鶏冠」(とさか)の形の「ケイトウ」 (鶏頭) を見かけなくなりました。「ノゲイトウ」 (野鶏頭) は色々な園芸品種があるそうですが、長く伸びてクネクネと曲がった面白い形の花もありました。

「オシロイバナ」の実  /  「キダチチョウセンアサガオ」

いろいろな色の「ランタナ」

「ダリア」

「ケイトウ」  /  「ノゲイトウ」  /  「ノゲイトウ」 -気ままな感じです-

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《 下総龍角寺展 》 -早稲田大学・會津八一記念博物館にて-

2022年11月15日 | 展覧会

11月15日(火)、家で昼食を済ませてから「早稲田大学」まで行って来ました。午前中は雨が降っていましたが、昼から晴れて来たので「大隈庭園」にも行ってみました。でも、残念ながら天候不良との事で閉園となっていました。仕方がないので、学内を少し散策してから展示を観に行きました。キャンパスには学生たちが戻って来て、活気が感じられました。帰りの16時30分頃には南門通りに「ワセダベア」のイルミネーションが点灯していました。「ワセダベア」は早稲田大学創立125周年記念キャラクターとして2000年に誕生したそうです。生みの親は漫画家の「弘兼憲史」さん(法学部・卒)です。

「會津八一」(あいづやいち)は1881年8月1日に生まれたので「八一」と名付けられました。書家・歌人として知られ、美術史研究と教育に力を注ぎました。作品と直に接する事が不可欠であるとの「実学」の基、私財を投じて約4000点のコレクションを資料とし、博物館設立を提言していました。これを一つの柱として1998年、やっと旧図書館(2号館)を再生して開館が実現されました。2万点を越える作品・資料を収蔵しています。

今回は企画展として、《 下総龍角寺展 》が開催されていました。「早稲田大学」では1940年の発掘以降、継続的に「龍角寺」と6世紀前半から7世紀にかけて造営された「龍角寺古墳群」(114基) 及び周辺の調査を行なって来ました。これらの調査は「明治大学」でも行なっています。両校のこれからの調査に期待しています。

千葉県印旛郡にある「龍角寺」は709年に龍が一夜のうちに諸堂(金堂・塔)を建立したと伝えられています。関東地方でも最も古い寺院の一つです。度重なる火災により古い建物は残っておらず、「金堂跡」・「仁王門跡」・「塔跡」のみが残っています。昭和7年に撮影された写真や資料を基に作られた「元禄金堂復元模型」がありました。

本尊の【銅造薬師如来坐像】は千葉県では最古のもので、「白鳳仏」として貴重なものになります。「国指定重要文化財」に指定されています。頭部のみ白鳳期の作になります。切れ長の目元、ふくよかな優しい顔をしています。「螺髪」はありません。体部は元禄5年(1692年)の火災後の再鋳になります。今は「奉安殿」と称される収蔵庫に収められています。今展では別室で厳重に展示されていました。

「龍角寺」からは多くの瓦が発掘されました。【単弁八葉蓮華文軒丸瓦】は「蘇我倉山田石川麻呂」が発願した奈良県の「山田寺」のものを祖型とし、都の権力者と深い繋がりがあった事が想起できるそうです。平瓦には近隣の地名との関係が推定出来る文字の線刻がありました。祭祀を行なった後に廃棄された大量の「灯明皿」も出土していました。【葡萄唐草文軒平瓦】は龍神信仰との関連性があるとのこと。「龍角寺」の近くからは3ヶ所の「瓦窯」が確認されています。「塼仏」や鎌倉時代のものと思われる銅製の「経筒」など珍しい物もありました。

大隈記念講堂  /  大隈重信像(朝倉文夫・作)  /  早稲田大学校歌の石碑(碑文は相馬御風の直筆)

會津八一記念博物館  /  「ワセダベア」のイルミネーション

パンフレットより

板碑  /  単弁八葉蓮華文軒丸瓦  /  銅造薬師如来坐像  /  塼仏

昭和7年撮影の薬師如来坐像  /  昭和7年撮影の金堂  /  元禄金堂復元模型

丸瓦  /  葡萄唐草文軒平瓦  /  平瓦 「加刀利」と刻まれています(香取評との関係性が・・・) 

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《 皆既月食 》と《 ダイヤモンド富士 》 -千葉県にて-

2022年11月08日 | その他

11月8日(火)は《 皆既月食 》が見られました。今回は月食の最中に、月が「天王星」を隠す「天王星食」も起こりました。皆既食中に惑星食が起こるのは非常に珍しく、日本ではなんと442年ぶりだそうです。あいにく肉眼では確認出来ず、私のカメラでも撮れませんでした。でも、雲もほとんど無く、自宅のベランダで最初から最後まで観測する事が出来て良かったです。約4時間の天体ショーでした。2021年5月26日の時は曇り空で千葉県では全く見えず、皆既食が終了後の「部分食」がぼんやりと見えただけでした。今回の皆既食は月が遠くて暗かった様な気がしました。

11月7日(月)には近くで《 ダイヤモンド富士 》を見る事が出来ました。この日は夕方から雨が降るとの予報だったので諦めていました。雨が降らなかったので、取り敢えず行ってみたら、雲が多くてガッカリ。でも、せっかく来たので待っていたら、辛うじて雲の隙間から見えました。

話は変わりますが、「東京スカイツリー」では「開業10周年記念」の「特別ライティング」のデザイン募集が行なわれました。受賞した10作品は、10月21日(金)~11月9日(水)までの期間中に点灯するそうです。画像は左より「最優秀賞」の【to the SKY, like a TREE】、「優秀賞・パナソニック特別賞」の【十人十色】、「優秀賞」の【SDGsでみんなのくらしがかわりえがおが毎日になるといい】です。都内で撮りました。

月食が始まり、少しずつ月の姿が見えなくなりました   /   皆既食になりました

月食が終わり、少しずつ月が姿を現わして来ました   /   明るい満月に戻りました

雲の隙間から「ダイヤモンド富士」が見えました

エメラルドグリーンが美しい / カラフルです / てっぺんは日の丸をイメージしたそうです

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《 3年ぶりの花火大会 》 -利根川河川敷にて-

2022年10月16日 | イベント

10月16日(日)・18時30分、3年ぶりに「利根川河川敷」で花火が打ち上げられました。夕方から雨が降るとの予報で心配しましたが、風もなく暖かくて良かったです。「産業まつり」との同時開催で僅か15分間の予定(実際には25分に・・・)でしたが、久しぶりの花火は嬉しかったです。

今までは「SAKAEリバーサイドフェスティバル」として8月に大々的に行なわれていました。今年は模擬店もなく、静かな「花火大会」でした。華やかな花火が続いた後、かなり間があったので、もう終わりかと思って帰りかけていました。その時、急に「大玉」が立て続きに打ち上げられてビックリ。それが本当の終りでした。画像は順序不同です。

ところで、前日の15日(土)には『十三代目・市川團十郎白猿』の襲名と『八代目・市川新之助』の初舞台の記念企画として、スカイツリーの「点燈式」と五穀豊穣を願う舞踊の『三番叟』が披露されたそうです。「点燈式」は『四代目・市川ぼたん』さんも加わって親子3人で行なわれました。記念の【特別ライティング】は、「初代・市川團十郎」が好んだ色で、代々用いられている「団十郎茶」でした。「柿渋色」・「柿色」とも言われ、「ベンガラ」と「柿渋」で染めた赤みの薄い茶色です。

尚、22日(土)に「成田山新勝寺」では『 奉告御練り参拝 』が行なわれます。表参道の「御練り」と御本尊「不動明王」への「襲名奉告」の後、「大本堂」の前で親子3人揃っての「演舞」が奉納されます。演目は『 雪月花三景 仲国 』だそうです。

また、『 十三代目・市川團十郎白猿襲名披露記念 歌舞伎座特別公演 』は、10月31日(月)と11月1日(火)に行なわれます。11月7日(月)~28日(月)には「歌舞伎座」で『十三代目・市川團十郎白猿』の襲名披露と『八代目・市川新之助』の初舞台の公演があります。

低めですが華やかな花火でした   /   私が好きな定番の花火 -最後の花火でした-

これが最後だと思ってしまいました

カラフルな大玉の花火  -風が無かったので、綺麗な丸になりました-

可愛い花火  /  繊細でふわふわした羽毛の様です  /  「団十郎茶」の特別ライティング

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《 十三夜の月 》 -雲間の月と木星-

2022年10月08日 | その他

10月8日(土)は《 十三夜 》でした。ここ都内でも雨が降り続き、木曜日と金曜日は冬のように寒かったので諦めていました。土曜日は幸いな事に雨も止み、寒さも和らいで来ました。でも、「月の出」の時刻である16時39分頃の空は雲で覆われ、月はぜんぜん見えませんでした。

21時20分頃に雲が切れて来たので、期待して外に出てみました。何とか雲の切れ目から月が見えて来ました。近くには「木星」も・・・。月明かりに照らされた「彩雲」は幻想的でした。

雲の切れ目から月が見えて来ました  /  十三夜の月

左上に見えているのは「木星」です

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《 ウクライナの歌姫 カテリーナ 》 -バンドゥーラ&弾き語りー

2022年09月27日 | コンサート

9月27日(火)、「成田市」と「成田市国際交流協会」の主催で行なわれた《 カテリーナ チャリティーコンサート 》に行って来ました。ウクライナでの人道危機支援及び、ウクライナ避難民を受け入れる周辺国での救援活動の為に開催されたものです。入場料の一部は日本赤十字社に寄付されます。

「カテリーナ」さんはウクライナに生まれ、日本に住んで16年になります。生後1カ月の時にチェルノブイリ原発事故が発生し、家族で避難生活を送ることに。6歳の時に被災した子供たちで構成された音楽団に入団し、海外公演で来日しました。ウクライナの伝統楽器の「バンドゥーラ」奏者として、19歳の時から日本に住み、音楽活動の拠点を東京に移すことに。現在、日本に2人しかいない「バンドゥーラ」奏者として、国内外でコンサート活動を行なっています。実は、もう1人は直ぐ上のお姉さんの「ナターシャ」さんです。

今年2月、祖国はロシアの軍事侵攻に見舞われました。母親の「マリヤ」さんは首都キーウから「カテリーナ」さんを頼って日本に避難し、一緒に暮らすことになりました。でも、まだ上の2人のお姉さん家族や親戚はウクライナに住んでいます。心配で居たたまれない気持ちだと思いますが、祖国への思いを語りながら、日本中を回ってチャリティーコンサートを行なっています。CDの売り上げも祖国の為に役立てようと頑張っています。私も2枚購入しました。

「バンドゥーラ」はウクライナの伝統楽器で、「リュート」 と 「ツィター」 を合わせたような外見。音色は「チェンバロ」 と 「ギター」 を合わせたような感じです。65本位の弦が半音階で5オクターブに渡って調律されています。膝の上に構えて高音を右手、低音を左手で弾きます。この楽器はかつては盲人が職業に使っていて、日本の「琵琶」との共通性があるそうです。楽器を作る職人が少なく、メンテナンスも大変との事。画像は『世界の民謡・童謡』のホームページからの引用しました。

第1部は、【幸せの鳥】・【金色の花】(マリーゴールド) ・【母への道】・【花は咲く】(日本語で) の4曲。第2部は、【ウクライナ】(第2の国歌と言われている曲) ・【平和な空】(オリジナル曲) ・【イマジン】・【翼をください】(日本語で) の4曲。アンコールとして、アカペラで【ふるさと】を歌いました。【金色の花】と【母への道】はお母さんの事を歌った曲だそうです。言葉は分からなくても、気持ちは伝わりました。「カテリーナ」さんの透明感のあるハイトーンボイスと、初めて聴く「バンドゥーラ」の響きに魅了されました。最後に主催者から「ひまわり」の花束が贈呈されました。一日も早く、ウクライナに平和な日常が戻る事を祈っています。

話は変わりますが、19日(月)に夫の十三回忌の法要で多摩の方の霊園に行きました。この日は 「台風14号」 が九州地方を縦断中でした。関東地方も影響を受け、行き帰り共に高速道路を走っている時、一時的に前が見えない位に雨が降って来ました。幸いな事に、墓前での読経の最中は晴れて暑いくらいでした。帰りの高速道路からは  「虹」 が見えたので、助手席からスマホで撮りました。コロナ禍のご時世なので、会食はせずに懐石料理のお弁当を持ち帰って頂きました。

また、「東京スカイツリー」では「すみっコぐらし」とのコラボイベント【そらのおばけのナイトパーク in TOKYO SKYTREE】を開催しています。24日(土)はこれを記念し、「すみっコぐらし」のキャラクター「しろくま」・「とかげ」・「ねこ」・「とんかつ」・「ぺんぎん?」をイメージしたカラーの「特別ライティング」が点灯していました。6種類(各キャラクター5キャラクター縦並び)の「特別ライティング」が約2分半ごとに移り変わり点灯します。画像は「5キャラクター縦並び」の「特別ライティング」です。

約300の座席は、ほぼ満席でした

ステージの様子  /  バンドゥーラ -ネックの方が低音部(弦は押さえずに開放弦で弾く)-

【おまけの画像】  高速道路から見えた虹  /  「すみっコぐらし」の特別ライティング

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《 夏の花便り・まとめ 》 -町で見かけた花たち- 

2022年09月13日 | 動植物

今年はセミの鳴き始めが遅かった様な気がしました。やっと「アブラゼミ」が鳴き始めたら、例年どおり「ミンミンゼミ」から「ツクツクボウシ」へとバトンタッチして鳴き出しました。「秋の虫」はまだ鳴いていませんが、引き継ぎは済みました。

「サルスベリ」(百日紅・猿滑)は、「約100日間ピンクの花を咲かせる」のが名前の由来です。実際には、一度咲いた枝先から再度芽が出て来て花をつける為、咲き続けているように見えるのだそうです。また、『幹がスベスベで猿も登れない』ところから「猿滑」とも書きます。長く咲き続けるので街路樹にもなっています。

「ムクゲ」(木槿)は中国が原産の< アオイ科・フヨウ属 >の落葉樹で庭や公園で良く見かけます。「フヨウ」や「ハイビスカス」も同じ仲間です。

「フヨウ」(芙蓉)は「ムクゲ」に似ていますが、花も大きめで雌しべ・雄しべの形も少し違います。でも、大きな違いは葉の形です。また、朝咲き始めた時は白く、時間が経つにつれてピンクに変色する八重咲の「スイフヨウ」(酔芙蓉)という変種もあります(2019年11月6日のブログに掲載)。

「オシロイバナ」(白粉花)は、『黒い種を潰すと白粉のような白い粉が出て来る』のが名前の由来。子どもの頃、潰して遊んだものです。名付け親は江戸時代の博物学者の「貝原益軒」だそうです。「牧野富太郎」ではありませんでした。

「オナガ」(尾長)は一年中飛んでいますが、高い木の上のほうでギューイ・ギュイ・ギュイと数羽で鳴いていました。しばらく声の方を見ていたら、サーッと下りて来てフェンスに止まりました。長い尾をヒラヒラさせて水平に飛ぶ様はとても優雅なのですが、カラスの仲間だそうです。鳴き声が残念でした。

「宇宙アサガオ」は、8月30日(火)に「松戸市戸定歴史館」に行った時のものです。「松戸市戸定歴史館」前庭の横に植えられていました。因みに「山崎直子」宇宙飛行士は松戸市の出身です。

いろいろな色の「サルスベリ」

いろいろな「ムクゲ」 【左より】 庭木として  /  公園にて  /   八重咲き

「フヨウ」の花  /  「ムクゲ」の葉 -小さめでギザギザ- / 「フヨウ」の葉 -大きめで五角形-

いろいろな色の「オシロイバナ」

「キバナコスモス」(黄花コスモス)  /  「オナガ」 -偶然、公園のフェンスに止まりました-

【おまけの画像】  「宇宙アサガオ」 -「松戸市戸定歴史館」の横に植えられていました-

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《 中秋の名月 》 -まん丸のお月様・都内某所にて-

2022年09月10日 | その他

9月10日(土)は昨年に引き続き、満月での《 中秋の名月 》(旧暦の8月15日)となりました(満月の瞬間は19時01分頃)。「月の出」は18時10分でした。昨年から2023年までは、3年連続で満月のタイミングで《 中秋の名月 》を迎えるとの事です。

曇りや雨の日がずっと続いていたので、「お月見」は諦めていました。この日は関東地方は久しぶりの晴れの日となり、ここ都内でも爽やかな風が吹いて気持ちの良い夜でした。

9月9日(金) 、「東京スカイツリー」では「世界小児がん啓発キャンペーン」【Global Gold September Campaign】に協力して、ゴールドの「特別ライティング」が点灯していました。

18時45分頃       /     18時50分頃   /   昨日の「東京スカイツリー」 

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《 古写真で見る徳川昭武の生活とその視線 》 -松戸市戸定歴史館にて-

2022年08月30日 | 展覧会

8月30日(火)、少し雨が降っていましたが、涼しかったので「松戸市戸定歴史館」に行って来ました。  《 古写真で見る徳川昭武の生活とその視線 》が開催されていました。

       【前期】 7月16日(土) ~ 9月25日(日)                       

       【後期】 10月8日(土) ~ 12月25日(日)

第9代水戸藩主「徳川斉昭」亡き後、嫡男の「慶篤」が第10代藩主になりましたが早世しました。「徳川昭武」は「パリ万国博覧会」から帰国後に第11代藩主(最後の藩主)になりました。後に版籍奉還で水戸藩知事となりますが、廃藩置県により免ぜられます。当時の水戸藩内では内紛が絶えず混乱の中にありました。早期の政情安定化が急務とされる時期に藩をまとめようと尽力しました。妻が長女を出産後に亡くなってからは隠居願を提出し、「慶篤」の嫡男の「篤敬」(甥で養嗣子となっていました)に家督を譲りました。明治17年(1884年)に生母の「秋庭」(万里小路睦子)と共に松戸の「戸定邸」に移りました。

「戸定邸」では狩猟・釣り・自転車・陶芸・園芸など様々な趣味を楽しみました。「慶喜」や「篤敬」に影響を受けて撮るようになった写真は特に熱中し、1000枚位にものぼりました。現像も自分で行なう事もありました。多趣味なのは生母の「秋庭」の影響もあったようです。「秋庭」は和歌・和楽器(篳篥)の演奏・写本・万年青の栽培など多くの趣味を持っていました。

「戸定邸」には仲が良かった「徳川慶喜」や「昭武」の後に「水戸徳川家」当主となった甥の「徳川篤敬」が遊びに来ました。写真師や陶芸の専門家が訪れることもありました。また、皇太子・嘉仁親王(後の大正天皇)や、有栖川宮・東久邇宮・朝香宮・北白川宮ら皇族がお立ち寄りになるなど、折々に大切なお客様を迎えました。親戚の集まりや地域の方を招いて会食などが行われることもありました。様々な人々との交流の場になっていたようです。

生母の「秋庭」と写っているのは次男で嗣子の「徳川武定」の家族たち。「徳川武定」は「松戸徳川家」を創設しました。パンフレット中央の「戸定焼茶碗」は、作陶は「昭武」が、文字書きは「慶喜」が行ないました。撮影対象は家族や親戚、友人といった身近な相手にとどまらず、地域の農家や漁師・子ども達など、当時の松戸に暮らしていた人にもレンズを向けました。人物の他にも、風景や地域の行事・植物などもありました。かつての自然や街並み、人々の生活を見る事が出来ました。「戸定邸」の庭には「秋葉神社」の御輿が入り、「徳川昭武」が神社に奉納を行なうなど、「戸定邸」と地域とは明確につながっていました。

奥に松戸市在住の「鄙里沙織」(ひなさとさおり)氏のインスタレーションの展示がありました。例年8月9日と8月10日は近くの坂川で【松戸宿坂川献灯まつり】が行なわれています。坂川沿道の会場では、灯ろう流しやステージイベントなどが行なわれるそうです。今年で10年目になります。入口の写真は【松戸宿坂川献灯まつり】の様子です。献灯まつりをイメージし、「戸定歴史公園」内の竹を素材に制作したオブジェです。舟で川の流れを表現した幻想的な世界でした。竹で作られた舟は「笹舟」のように見えました<期間限定>。

【下段・左より】左端は「秋庭」 / 御嶽神社(現在の松戸神社) / 望遠鏡で東京を望む「節公」(昭武)

 

【上段・左より】 異装集団  /  秋葉神社の御輿(戸定邸庭園にて)  /  江戸川帆船

 

鄙里沙織(ひなさとさおり)氏のインスタレーション  

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《 珍しい電車 》と《 可愛い入道雲 》 -偶然の出会い-

2022年07月31日 | その他

7月13日(水)、本線から外れた引込線に珍しい電車が停まっていたので、ホームからスマホで撮りました。「交通建設」と書いてあったので調べてみました。「株式会社交通建設」の業務内容は「軌道部門」・「土木部門」・「機械部門」があり、私が見たのは「機械部門」の電車だったようです。

列車が走行すると枕木は沈降し、レールがわずかに歪むので、定期的なメンテナンスが必要になります。昔はツルハシなどを使い、人力で行なっていました。列車走行に伴うレールの歪みなどを矯正する「線路保守」の為の電車だったのです。レール上を自車の車輪で自走出来ますが、車籍を有しない機械扱いになります。これを用いて作業を行う時には線路閉鎖が行われるそうです。

7月31日(日)15時50分頃、酷暑の日にスーパーの上に面白い形の入道雲が出ていました。後ろ向きのウサギに見えました。建物の間の道から撮ったものです。

「Plasser & Theurer」と書かれていたので、オーストリアの線路工事用重機メーカーのものです

アンゴラウサギみたいです

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《 関東の山車人形と成田祇園祭展 》 -スカイタウンギャラリーにて-

2022年07月05日 | 展覧会

「成田祇園祭」が7月8日(金)~10日(日)まで3年ぶりに執り行われます。3日間とも密を避ける為、全町内の山車・屋台が1ヶ所に集まるイベントや「総踊り」は行なわず、露天商さんの配慮により参道には出店しないことに。7日(木)からは「成田山祇園会」を奉修。期間中は「奥之院」を特別開扉し、「光明堂」では「天国宝剣」の加持が行なわれます。スケジュールが合わないので私は行けませんが・・・。

6月4日~7月10日(前期・後期)まで、昨年に引き続き《 関東の山車人形と成田祇園祭展 》が開催されていました。全部で24体(前期・8体/後期・16体)あって見応えがありました。「成田祇園祭展」は今回は撮影不可だったので、「ミニチュア模型」については2021年7月7日のブログを参照して下さい。

女性の「山車人形」は珍しかったので、まとめて撮ってみました。「武内宿禰」(たけのうちのすくね)は2体ありましたが、どちらも「横山 朝之」という人形師の制作なのに、顔付きがぜんぜん違っていて興味深く感じました。本庄市・泉町のは幼子を抱いている為か、とても優しい顔をしていました。「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)は観る角度によって表情が違って見えて面白かったです。「武内宿禰」 と 「素戔嗚尊」は「生き人形」と言われるもので、リアルで迫力がありました。

因みに、出雲地方が舞台になった「ヤマタノオロチ」(八岐大蛇)退治の神話で「スサノオノミコト」(素戔嗚尊)に助けられた出雲美人が「稲田姫」です。姫を守る為に神力で櫛に変え、髪に挿して戦いました。その為に「クシナダヒメ」(櫛稲田姫・櫛名田比売)とも呼ばれています。後に結婚しました。尚、この時に尾から出て来たのが「三種の神器」の一つである「草薙剣」です。

寄居町の「諫鼓鶏」(かんこどり)や「野猿」(やえん)といった変わった「山車人形」もありました。「諫鼓鶏」は【 善政であるため「諫鼓」を鳴らす必要がなく、上に止まっている鳥も逃げない 】 という故事に由来するそうです。天下泰平の象徴でした。江戸の「天下祭」は一番目の「山車」に「諫鼓鶏」、二番目には「猿」と決まっていたようです。寄居町の「山車」はその影響を受けて作られたと伝わっています。

お祭りに関する「錦絵」も何枚か展示されていました。「山王御祭禮之図」は「山王祭」(日枝神社)での「山車」の巡行を鳥瞰しています。ときわ橋・竹橋・半蔵御門・山王御宮~京橋・日本橋・江戸橋までの順路を知る事が出来ます。「山王祭」は「神田祭」と共に将軍上覧の栄誉を誇って「天下祭」(御用祭)と称され、50基位の「山車」と「神輿」が巡行して江戸城内にも入りました。当時は「山車」が主流で、文久2年(1862年)まで続きました。

成田祇園祭の山車人形  /  成田祇園祭展:「歴代ポスター」、「古写真」と「ミニチュア模型」

市川市の「武内宿禰」:中・上段  /  荒川区の「稲田姫」:右・下段

本庄市の「武内宿禰」:中・下段  /  青梅市の「静御前」:右・下段

寄居町の「諫鼓鶏」と「野猿」:左・下段 / 石岡市の「弁財天」:右・上段 / 桐生市の「素戔嗚尊」:右・下段

静御前(青梅市・仲町)  /  弁財天(石岡市・金丸町)  /  稲田姫(荒川区)

武内宿禰(本庄市・泉町) -抱いているのは応神天皇-  /  武内宿禰(市川市・市川三丁目第一町)

素戔嗚尊(すさのおのみこと)「松本 喜三郎」・作  -桐生市・本町四丁目-

山王御祭禮之図(歌川 芳綱・画) -安政2年(1855年)-

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