家で早めの昼食を済ませてから、「松屋銀座」8階の「イベントスクエア」に行きました。エレベーターは好きではないので、8階まではエスカレーターを使いました。待つ事、混んでいる所、閉ざされた狭い空間が苦手なので、1人で行く時は10階までだったらエスカレーターを、3階までは階段を使う事が多いです。《倉本聰 点描画とやすらぎの刻(とき)展-森のささやきが聞こえますか-》が開催されていました。
脚本家「倉本聰」さん(85歳)は《SMBC環境プログラム NPO法人 C・C・C富良野自然塾》を主宰しています。「富良野自然塾」は、ゴルフ場跡地を元の森に還す「自然返還事業」と、そのフィールドを使った「環境教育事業」を行っています。その仕事の傍らライフワークとして十数年にわたり森の樹々や生物を「点描画」という手法を用いて描いていました。そうした物言わぬ者達のささやく心の声を文章として添えています。本展では約70点が展示されていました。絵を描くにあたって「点描画」という手法を選んだのはテレビの「画素」がヒントだったそうです。
ドラマ「やすらぎの郷」に続き、2019年4月から1年に亘り「やすらぎの刻~道」が現在放送中です。脚本家人生で初めて通年放送という長丁場だったそうです。そのドラマの再現セットや小道具が展示されていました。「与勇輝」(あたえ ゆうき)さんの人形の実物を観たのは初めてでした。木綿の古布を使ったノスタルジックな子どもの人形は、表情豊かで可愛かったです。ドラマで観た木彫りの人形が展示してあり、その時のシーンが蘇えって来ました。また、「裂き織り」の織機や袖なし半纏も展示していました。「裂き織り」と言えば、母が若い時に織ったという帯を見せて貰った事がありました。裂いた布に思い入れがあったのか、大事そうに茶箱に仕舞ってありました。台本もありましたが、量の多さにビックリしました。「倉本聰」さんの体力と気力に感動してしまいました。
途中で「八千草薫」さんが降板する事になり、脚本を修正して5シーン撮影しました。撮影に立ち会った「倉本聰」さんは《お能の世界で最後に演者が一生を終えることを「入舞」(いりまい)と言いますが、「入舞」を観ているような厳かな雰囲気でした》としみじみ振り返っていたそうです。年を取っても可愛い人でした。昔、私の父がファンだったと聞いた事があります。 私は「銭形平次」をずっと観ていたので、その時の「お静」役が印象に残っています。
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予定には無かったのですが、隣の会場で《傘寿記念 デヴィ・スカルノ展-わたくしが歩んだ80年-》を開催していたので、序でに観て来ました。こちらは会期が明日までだったので、少し混んでいました。「新型コロナ」が心配だったので、人の少ないコーナーを選びながら、隣の人と1m位離れて観る様にしました。
若い頃の写真を見ると、とても美しくて「スカルノ大統領」に見初められたのが分かる様な気がしました。「スカルノ大統領」からの書簡が多くありました。貧しかった子どもの頃から一貫して夢を追い続け、人生を切り開いて行った姿に感動しました。「藤田嗣治」などの美術品のコレクションや趣味で描いた自身の絵画も展示してありました。バライティー番組などで色々なものに挑戦している姿を良く見ますが、80歳とは思えない体力と好奇心・気力には驚いてしまいます。高い美意識とポリシーで、今でもハイヒールを履いているそうです。