サヨコの独り言

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街で偶然に見かけたものを「スマホ」で撮っています。

《 古写真で見る徳川昭武の生活とその視線 》 -松戸市戸定歴史館にて-

2022年08月30日 | 展覧会

8月30日(火)、少し雨が降っていましたが、涼しかったので「松戸市戸定歴史館」に行って来ました。  《 古写真で見る徳川昭武の生活とその視線 》が開催されていました。

       【前期】 7月16日(土) ~ 9月25日(日)                       

       【後期】 10月8日(土) ~ 12月25日(日)

第9代水戸藩主「徳川斉昭」亡き後、嫡男の「慶篤」が第10代藩主になりましたが早世しました。「徳川昭武」は「パリ万国博覧会」から帰国後に第11代藩主(最後の藩主)になりました。後に版籍奉還で水戸藩知事となりますが、廃藩置県により免ぜられます。当時の水戸藩内では内紛が絶えず混乱の中にありました。早期の政情安定化が急務とされる時期に藩をまとめようと尽力しました。妻が長女を出産後に亡くなってからは隠居願を提出し、「慶篤」の嫡男の「篤敬」(甥で養嗣子となっていました)に家督を譲りました。明治17年(1884年)に生母の「秋庭」(万里小路睦子)と共に松戸の「戸定邸」に移りました。

「戸定邸」では狩猟・釣り・自転車・陶芸・園芸など様々な趣味を楽しみました。「慶喜」や「篤敬」に影響を受けて撮るようになった写真は特に熱中し、1000枚位にものぼりました。現像も自分で行なう事もありました。多趣味なのは生母の「秋庭」の影響もあったようです。「秋庭」は和歌・和楽器(篳篥)の演奏・写本・万年青の栽培など多くの趣味を持っていました。

「戸定邸」には仲が良かった「徳川慶喜」や「昭武」の後に「水戸徳川家」当主となった甥の「徳川篤敬」が遊びに来ました。写真師や陶芸の専門家が訪れることもありました。また、皇太子・嘉仁親王(後の大正天皇)や、有栖川宮・東久邇宮・朝香宮・北白川宮ら皇族がお立ち寄りになるなど、折々に大切なお客様を迎えました。親戚の集まりや地域の方を招いて会食などが行われることもありました。様々な人々との交流の場になっていたようです。

生母の「秋庭」と写っているのは次男で嗣子の「徳川武定」の家族たち。「徳川武定」は「松戸徳川家」を創設しました。パンフレット中央の「戸定焼茶碗」は、作陶は「昭武」が、文字書きは「慶喜」が行ないました。撮影対象は家族や親戚、友人といった身近な相手にとどまらず、地域の農家や漁師・子ども達など、当時の松戸に暮らしていた人にもレンズを向けました。人物の他にも、風景や地域の行事・植物などもありました。かつての自然や街並み、人々の生活を見る事が出来ました。「戸定邸」の庭には「秋葉神社」の御輿が入り、「徳川昭武」が神社に奉納を行なうなど、「戸定邸」と地域とは明確につながっていました。

奥に松戸市在住の「鄙里沙織」(ひなさとさおり)氏のインスタレーションの展示がありました。例年8月9日と8月10日は近くの坂川で【松戸宿坂川献灯まつり】が行なわれています。坂川沿道の会場では、灯ろう流しやステージイベントなどが行なわれるそうです。今年で10年目になります。入口の写真は【松戸宿坂川献灯まつり】の様子です。献灯まつりをイメージし、「戸定歴史公園」内の竹を素材に制作したオブジェです。舟で川の流れを表現した幻想的な世界でした。竹で作られた舟は「笹舟」のように見えました<期間限定>。

【下段・左より】左端は「秋庭」 / 御嶽神社(現在の松戸神社) / 望遠鏡で東京を望む「節公」(昭武)

 

【上段・左より】 異装集団  /  秋葉神社の御輿(戸定邸庭園にて)  /  江戸川帆船

 

鄙里沙織(ひなさとさおり)氏のインスタレーション  

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