映画『MIAMATA ―ミナマタ―』を観て来ました。
さっちゃんはデイサービスですから、僕ひとりでです。
これでワクチン接種後やりたかったことのひとつを実行することが出来ました。
この映画はその存在を知った瞬間から観たいと思いました。
観るべきと思いました。
子供のころからニュースでは水俣病のことは知っていましたが、九州の人間である僕にとっても、水俣自体はそれほど身近には感じていませんでした。
水俣をもっとも身近に感じたのはこんな時でした。
高校生のころ、僕はよくヒッチハイクをしていました。
鹿児島から岡山(多分)に向かっていた際、夜中に水俣市郊外で下ろされてしまいました。
僕は海岸線に沿って走る国道3号線で途方に暮れていました。
何故なら真冬の寒空の下、ほとんど車が通らないからです。
10分に1台ほど通る車に、必死になって手を振っても、どの車も停まってくれません。
僕は遠くに見える水俣市の街の灯りに向かってとぼとぼと歩き続けるしかありません。
ときおり後ろを振り返って車の灯りを探しますが、全然車はいません。
国道の端からは海が広がっています。
「あ~、これが水俣の海か・・・・」
この時、たった1回だけ水俣を身近に感じたんです。
真夜中ですから、漆黒の海ですが、波もなく穏やかな海でした。
この後、だいぶん経過して、1台のトラックが停まってくれました。
その運転手さんが教えてくれましたが、運送業者は年末も年末、大晦日なのですでに仕事は休んでるんだよ、とのことでした。
そう、九州の人間でも、水俣の悲惨さは頭では理解していても、遠い時代、遠い場所での悲惨のように感じていたんです。
ですから、この映画は観なくちゃいけない、と思いました。
さっちゃんをデイサービスに送り出してすぐに、近所のシネコンに自転車で向かいました。
平日の午前中ということもあるのでしょうか、観客は僕を含めてもたったの6名。
社会問題を扱った映画ですから、激しいアクションも心浮き立つロマンスもありません。
とっても地味な映画です。
でも、観客を飽きさせないように、ひとりのカメラマンの心の動きに共振して、観客の心も悩み苦しみ癒され覚悟し決心するように動いてしまいます。
僕は最近とても涙もろくなっていますが、映画後半部で堰を切ったように涙が溢れて来ました。
それは普通の涙ではなくて、嗚咽でした。
しゃくり上げるような感じで泣きました。
もちろん、声は出さずに泣きました。
場内の他の5人に聞こえたら恥ずかしいですからね。
夕方、さっちゃんはいつもより遅く4時50分ころ帰って来ました。
一度部屋に戻り、トイレへ行ってから散歩に向かいました。
今は日没が5時17分ですから、歩き始めたころには夕陽は山の端に沈んでしまっています。
散歩の途中で一人のおじさんが僕たちに声を掛けて来ました。
これまでも2、3回「いつもよく歩かれてますね」などと声を掛けてくれていた人です。
今日は立ち止まって、話しが始まりました。
さっちゃんに向かって「しっかりと歩かれていますね」などと誉めてくださいました。
その方は奥さんをすでに亡くされているようで、「夫婦一緒に歩かれていて羨ましい」と言っていました。
さっちゃんもしきりに喋っていましたが、もちろん伝わるはずもありません。
そんなさっちゃんの無茶苦茶な喋りを聞いてもその方は不可解な表情も浮かべず、さらにさっちゃんに話しかけてくれます。
「奥様はお幸せですね」
さっちゃんも自分が誉められていることが分かるんでしょうか?
2度ほど「有難うございます」と言いました。
もちろん、明瞭にその言葉が出ているわけではありませんが、そう言ったんだな、とは分かります。
前半部の「あ・り・が・と」の4文字がそのように聞こえますから。
普通に話しかけてくださる方がいて、嬉しかったですね。
▲17:32。夕陽が沈んだ場所からは離れていますが、雲の色、空の色が綺麗でした。
さっちゃんはデイサービスですから、僕ひとりでです。
これでワクチン接種後やりたかったことのひとつを実行することが出来ました。
この映画はその存在を知った瞬間から観たいと思いました。
観るべきと思いました。
子供のころからニュースでは水俣病のことは知っていましたが、九州の人間である僕にとっても、水俣自体はそれほど身近には感じていませんでした。
水俣をもっとも身近に感じたのはこんな時でした。
高校生のころ、僕はよくヒッチハイクをしていました。
鹿児島から岡山(多分)に向かっていた際、夜中に水俣市郊外で下ろされてしまいました。
僕は海岸線に沿って走る国道3号線で途方に暮れていました。
何故なら真冬の寒空の下、ほとんど車が通らないからです。
10分に1台ほど通る車に、必死になって手を振っても、どの車も停まってくれません。
僕は遠くに見える水俣市の街の灯りに向かってとぼとぼと歩き続けるしかありません。
ときおり後ろを振り返って車の灯りを探しますが、全然車はいません。
国道の端からは海が広がっています。
「あ~、これが水俣の海か・・・・」
この時、たった1回だけ水俣を身近に感じたんです。
真夜中ですから、漆黒の海ですが、波もなく穏やかな海でした。
この後、だいぶん経過して、1台のトラックが停まってくれました。
その運転手さんが教えてくれましたが、運送業者は年末も年末、大晦日なのですでに仕事は休んでるんだよ、とのことでした。
そう、九州の人間でも、水俣の悲惨さは頭では理解していても、遠い時代、遠い場所での悲惨のように感じていたんです。
ですから、この映画は観なくちゃいけない、と思いました。
さっちゃんをデイサービスに送り出してすぐに、近所のシネコンに自転車で向かいました。
平日の午前中ということもあるのでしょうか、観客は僕を含めてもたったの6名。
社会問題を扱った映画ですから、激しいアクションも心浮き立つロマンスもありません。
とっても地味な映画です。
でも、観客を飽きさせないように、ひとりのカメラマンの心の動きに共振して、観客の心も悩み苦しみ癒され覚悟し決心するように動いてしまいます。
僕は最近とても涙もろくなっていますが、映画後半部で堰を切ったように涙が溢れて来ました。
それは普通の涙ではなくて、嗚咽でした。
しゃくり上げるような感じで泣きました。
もちろん、声は出さずに泣きました。
場内の他の5人に聞こえたら恥ずかしいですからね。
夕方、さっちゃんはいつもより遅く4時50分ころ帰って来ました。
一度部屋に戻り、トイレへ行ってから散歩に向かいました。
今は日没が5時17分ですから、歩き始めたころには夕陽は山の端に沈んでしまっています。
散歩の途中で一人のおじさんが僕たちに声を掛けて来ました。
これまでも2、3回「いつもよく歩かれてますね」などと声を掛けてくれていた人です。
今日は立ち止まって、話しが始まりました。
さっちゃんに向かって「しっかりと歩かれていますね」などと誉めてくださいました。
その方は奥さんをすでに亡くされているようで、「夫婦一緒に歩かれていて羨ましい」と言っていました。
さっちゃんもしきりに喋っていましたが、もちろん伝わるはずもありません。
そんなさっちゃんの無茶苦茶な喋りを聞いてもその方は不可解な表情も浮かべず、さらにさっちゃんに話しかけてくれます。
「奥様はお幸せですね」
さっちゃんも自分が誉められていることが分かるんでしょうか?
2度ほど「有難うございます」と言いました。
もちろん、明瞭にその言葉が出ているわけではありませんが、そう言ったんだな、とは分かります。
前半部の「あ・り・が・と」の4文字がそのように聞こえますから。
普通に話しかけてくださる方がいて、嬉しかったですね。
▲17:32。夕陽が沈んだ場所からは離れていますが、雲の色、空の色が綺麗でした。