古語では「ながめ」というのはぼんやりと見る、物思いにふける、うつうつとして気が晴れない、と言う意味。
「長雨(ながめ)」とかけて使われることが多い。そうそう、百人一首でも知られた小野小町の歌、
● 花の色は移りにけりないたづらにわがみよにふるながめせしまに
(雨が降り続いているうちに花の色が褪せてしまった…と言うのは表向き。
物思いに沈んでいるうちに無駄に年を取って、私の容色もすっかり衰えてしまったわ…)
確かにこの2年、なんとうつうつと無駄な日をおくってきたことか!勿体ないなあ、と嘆きつつも、
私だけじゃないんだし、なんとかどうにかしようと頑張っている人はいっぱいいるんだけれど、
ついつい下を向きがち、いろんなことが億劫になった。まわりのお年寄りを見ていると、
ほとんどの人が人との対面が断たれて、身体的にも弱ったように見える。
対面で人と触れ合うことがエネルギーをチャージする一番の方法なんだと改めて感じる。
母は今、料理教室もパン教室も休講にしているからネ、生活リズムも狂ったし、人の出入りも
なくなったしネ。なるべく母の所へ行って、笑える話をするようにしているけれど、疲れている時には
少々苦痛に思うこともある。
ご近所友宅へ用足しに寄ったら、玄関にきれいな薔薇の花! 床には大きな花瓶に
見事なカサブランカがたっぷり活けられていて、目が覚めるおもいだった。
この頃は人も来ないから、花も飾ってないなあ…
きれいなものを見よう!
楽しいことを考えよう!
美味しいものを食べよう!
友達に手紙を書こう!
私が気分を切り替えたいと思うときにやってみることいくつか。まず、美味しいものかな。