先日、ハンガリーの新婚旅行のお土産にFさんからもらったお菓子を食べた。ひまわりの種だろうか。小さな粒粒がパリパリして何か素朴な味がした。薄い塩味なのだが結構イケた。
そんな外国のお菓子と合わせて、昔懐かしい駄菓子も前後に食べる機会があった。黒飴、タバコ型砂糖菓子、コウセン?(粉末)だっけ、あとは乾燥麺、小さいエビセンもあった。ほとんど忘れかけていたものだが久しぶりに食べた。それらは口の中で甘く溶けていった。「甘いは旨い」の時代。今のようにゲーム機などない駄菓子だけの時代。その味の中に小さい頃の自分を思い出した。
あの頃の、一番大切なものは虹色に輝く大きなビー玉だった。ある日、それをどぶ川の中に落してしまった。いくら探しても見つからず、泥だらけで泣きながら帰って母さんに叱られた。クゥ、クゥ鳴く捨てられた子犬を拾ってきて父さんに叱られ、泣く泣くまた捨てに行ったっけ。
ビー玉を無くしたように、大人になるまで無くしたきたものは沢山ある。モノやココロも含めて、それらは今どこにあるのだろうか。
そんな外国のお菓子と合わせて、昔懐かしい駄菓子も前後に食べる機会があった。黒飴、タバコ型砂糖菓子、コウセン?(粉末)だっけ、あとは乾燥麺、小さいエビセンもあった。ほとんど忘れかけていたものだが久しぶりに食べた。それらは口の中で甘く溶けていった。「甘いは旨い」の時代。今のようにゲーム機などない駄菓子だけの時代。その味の中に小さい頃の自分を思い出した。
あの頃の、一番大切なものは虹色に輝く大きなビー玉だった。ある日、それをどぶ川の中に落してしまった。いくら探しても見つからず、泥だらけで泣きながら帰って母さんに叱られた。クゥ、クゥ鳴く捨てられた子犬を拾ってきて父さんに叱られ、泣く泣くまた捨てに行ったっけ。
ビー玉を無くしたように、大人になるまで無くしたきたものは沢山ある。モノやココロも含めて、それらは今どこにあるのだろうか。