みやこ海風だより

市議会報告からNPO活動、海を活用したまちづくり、文化創出のまちづくりをベースにしたつぶやきです。

10年前

2007-04-11 18:24:14 | 風待ち談話
 4月になって思い出されるのは、今から10年前のこの月、ふるさとを離れて日本の裏側の国にいたことだ。そこはブラジル。情熱の国だ。サンバにサッカー、コーヒーに大農園、そしてアマゾンの国、そこに40日ほど滞在していた。あれから10年、早いものだ。
 交換研究グループのプログラムに応募して選考され、ブラジルはパラナ州の各都市にホームステイしながら研修を積んだ。今思えば、この研修が現在のNPOでの青少年交流事業に活かされたものと思う。海外での感動的な体験、有意義なプログラムはやはり次代を担う青少年にとっては大きな財産になる。その思いが、宮古の子どもたちのニュージーランド研修へと弾みをつけた、ひとつの経験だったと考える。それには偶然の出会いやタイミング、とにかくいい風を捉えたことも要因であった。
 さて、そのブラジルだが、長い研修にはいろんなドラマ、ハプニングなど多々あった。今一言で言えることは『毎晩がサンバ!だった』ことだ。情熱の国だけあって、それはもう大変であった。当初は戸惑ったが、後半は自分たちも楽しむようになったのは間違いない。
 言葉はポルトガル語。英語は通じない。もちろん話せる人はいるが、基本的には初めて耳にする言語だ。しかし、日本語も場所によっては大丈夫。日系移民の国でもあり、当時日系人は150万人ほどいると言われた。ホームステイ先が日系人だとホッとしたりもした。ブラジル人でもそれはそれなりに楽しむ事が出来た。
 世界遺産になっている「イグアスの滝」も訪ねた。まさしく世界の絶景である。感動で言葉を失ったことを覚えている。かつてのアメリカ、ルーズベルト大統領夫人がここを訪れた時、「なんと可哀想な私のナイアガラよ」と言わせたほどの滝なのである。私自身、ここに立っていた事は今でも奇跡と思っている。
 このことを書くと長くなるから、また何か思い出した機会にでも続きをと思う。
 私がホームステイした一つにエルビスという青年の家があった。彼は私が帰国して1ヵ月後、日本にやってきて、我が家にホームステイした。その後、彼がブラジルに戻りメール交換をしていたが、いつからかどちらともなくメールが途絶えた。今彼は元気だろうか?まだ小さな子どもがいたが、もう大きくなったと思う。
 今とても懐かしい。我が家の近況もかねて、久しぶりにメールをしてみたい。が、果たしてアドレスは今、どうなっているだろうか?