自分にとっての本格的なGSとの出会いは、
タイガースの同窓会再結成でした。(当時、瞳みのるさんが
芸能界を引退していて参加出来なかったので同窓会なのだとか)
元々、日劇が取り壊されるという事で、いくつかのGSが再結成されて
最後のウエスタンカーニバルが開催されました。
その中でもタイガースは期間限定ながら、新曲も出したりしていました。
CMにも採用された「十年ロマンス」とか「色つきの女でいてくれよ」とか、
GSを知らなかった当時の自分にとっても、いい曲だなと思えて
好んで聴いていましたね。
更にFMとかでも盛んにGS特集をやったりしていたので、
有名な曲は殆ど覚えたものです。
自分の世代だとGSとはまるで合わないですが、
就職したての頃、カラオケでGSのメドレーを歌えると言ったら、
上司と無理やり一緒に歌わされたこともあったなぁと思い出しました。
まだカルトGSを知らなかった時期ですので、
好きなグループは、やはりタイガースでした。何といっても
沢田研二さんがボーカルでしたからね。ヒット曲を連発していた人が
昔やっていたグループですので、興味を持ったわけです。
同窓会の時のライブもテレビで放映されたこともあって、
その時は食い入るようにテレビを見ていたなぁと思い出されます。
この当時は家庭用ビデオデッキはまだ一般的ではなく、
ライブビデオも1万5千円とかしていた時代ですので、
保存するという概念はなかったですね。サブスクで、ある程度のものは
無料で見る事の出来る今の時代は、何とありがたい事か。
後年になって、その時のライブアルバムが出ていることを知り、
偶然にも入手することが出来ました。
堂々のLP3枚組で、大半のヒット曲も網羅されていますし、
ライブで演奏していた洋楽のカバーも、ストーンズやビートルズ、
ビージーズといった得意のナンバーも収録されています。
その時のメンバーは、沢田研二さん、加橋かつみさん、森本太郎さん、
岸部一徳さん、岸部シローさんで、瞳みのるさん以外のメンバーが
参加しているのは嬉しいですね。
瞳みのるさんに関しては、十数年前にBSフジでインタビュー番組に
出演していて、保存している映像をまた見てみました。
タイガース時代の蟠りから、解散と同時に地元に帰り、何をすべきか
自問自答をしていたのですが、タイガース時代に出会った
「眠狂四郎」で有名な作家の柴田錬三郎さんからの言葉もあり、
中国語や中国文学の学問を頑張る事に。そして大学に入学し、
大学の教授にはなれませんでしたが、高校の国語の教師として、
定年直前まで勤務していたとの事です。
頑なに復帰を拒否していた瞳さんですが、徐々に和解していき、
2013年に40数年ぶりにオリジナルメンバーで復活することに。
タイガースは、行き違いやメンバーの対立とか色々ありましたが、
少なくても「A-LIVE」のアルバムの中ではのびのびと演奏を楽しんで
いるかのようです。こういうのっていいなぁと。
レコードは、1982年3月17日の日本武道館と
4月4日の大阪フェスティバルホールの音源が使われていますが、
映像は日本武道館のみで構成されているようです。
なかなか貴重な映像かと。
余談ですが、
慶應高校が100何年振りの甲子園優勝で盛り上がりましたが、
実は瞳みのるさんが教師を務めていたのが慶應高校だったりします。
しかも仙台育英の校長先生は、嘗ての教え子だったとの話も。
前回のストロベリー・パスの成毛滋さんも慶應高校の出身だとか。
いや、狙って記事にしたんではないですけどね。