落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(131)

2013-11-08 09:39:33 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(131)
「女たちはそれぞれの相手に戻る。例えば、千尋の場合」





 「さて。まずは、千尋を下ろすべき場所に到着しました。
 女たちだけで誰に気兼ねすることもなく、温泉三昧の三日間を過ごしてきたんだもの、
 もう充分に、決心も覚悟もついたでしょ。
 ほら、見えるでしょ。あそこにワンルームのマンションが。
 ここが、千尋を追って京都からやって来た英太郎くんの仮住まいです」


 まる3日間を、温泉でのんびりと過ごしてきた千尋と美和子を乗せた貞園の真っ赤なBMWが、
前橋市内のワンルームマンションの駐車場へ滑り込みます。
県庁と市役所の建物にもちかいため、出張や長期の研修などで役人たちが利用するケースが多く、
いつのまにか別名を、『役人部屋』などと呼ばれているワンルームの建物です。
 
 「あなたの英太郎くんは、ここから毎日、桑を育てるための農作業へ通い、
 夜になるとまたここへ戻ってきて、本業のウェブデザインの仕事を片付けています」



 貞園と美和子に見送られて車を降りた千尋が、『役人部屋』を見上げています。
『またあとでね。頑張るのよ、千尋。ファイト!』と小さくガッポーズを見せる美和子を載せ、
真っ赤なBMWが、千尋を駐車場に残したまま出ていきます。



 遠ざかる貞園のBMWを見えなくなるまで見送ったあと、携帯を取り出した千尋が、
懐かしい電話番号を探し始めます。
(削除もせいでそのまんま未練がましく放置をしておいたのは、この日のためなのかしら・・・)
懐かしいその電話番号はすぐに見つかり、そのまま通話のコールを指で押します。
3度、4度と着信音が千尋の耳にも響いてきます。


 『もし、もし』眠そうないつもの英太郎の声が返ってきました。
 『まだ寝てるん?あんたは。ええお天気なのよ、窓を開けてお顔を見せておくない。』
 『千尋なのか?。窓を開けろって?。どこへ居るんだ・・・・お前、まさか!』



 『そのまさかどす。今あんたのお部屋の窓の下へおるわ。
 あかんではおまへんか。洗濯物を干したまんま寝てしもたら、凍ります。
群馬の冬は油断でけへんほど寒いんだもの』



 窓が開けられ、寝起きの姿のままの英太郎が、携帯を耳にしたまま現れました。


 『よかったわ。携帯の電話番号が昔のまんまで。
 変わっとったら、もう2度と連絡がとれなくなってしまうもの』


 『そういう君こそ昔のまんまや。
 君の番号が表示されたさかい、慌てて飛び起きた!』



 『その割には反応がとろいではおまへんの。で、どうするん?
 お部屋へ入れてくれるん?入れへんん?。いつまでもこのまんま立ち話をしとったら、
 洗濯物と同様にあたしまで凍ってしまい、また昔みたいに、
 冷たい女にさかしま戻りするわよ』

 『乱雑なまんまだ、散らかっとる部屋だよ。いつものことやけども・・・』


 『あたしが片付けます。いつものように』



 『必要なものは捨てへんで、なるべく身体のねぎに残しておいてくれよ。
 手の届く範囲に物があらへんと、どないにも仕事がはかどらなくなる』



 『あら、必要なものをいつ捨とったかしら。
 こことここへ置きますよっていつも言うのに、あんたが上の空で聞いとるから見失うのよ。
 ふふふ。久しぶりやのになんていう所帯じみた口争いなどしとるのかしら、あたしたち。
 着いたわよ。ここが、たぶんあんたのお部屋のドアの前。
 開けておくない。今でも、あの頃のようにウチを嫌いな女でなければ、ね』



 『嫌いになんかなるものか、今でも・・・おっ、おはようさん・・・・』



 カチャリと開いたドアの向こうで、携帯電話を握り締めた英太郎が立ちつくしています。
『おはよう』千尋も携帯電話を握り締めたまま、にこやかな笑顔を返します。
8畳ほどのワンルームは本人がいうほどには散らかっていません。備え付けの家具以外、
これといった道具はなく、ただ部屋のど真ん中に置かれたテーブルの上に置かれた
2台のパソコンの存在だけが、英太郎の仕事の様子を物語っています。
それ以外は、単調に寝起きを繰り返しているだけという空気が、部屋の全体を支配しています。



 「思いのほか、片付いとるお部屋どすなぁ。
 というよりも、寝起きだけをしとる雰囲気が丸見えではおまへんの。
 生活感はまるっきし見当たれへんし、色気もなければ、気持ちを安らげてくれるインテリアもあらへん。
 殺風景の見本どすなぁ。よくこんなトコで一人で暮らしておりますなぁ・・・・。
 女っ気も、まるで見当たらいではおまへんの」



 「女っ気があるはずがないだろう!。君も無茶を言うねぇ、来るそうそう」



 「でも安心をしました。『おいでやすませ』なんて美人が出てきたらどないしょうかと、
 電話をかけるまでは、ハラハラドキドキしっぱなしやったのよ。
 キッチンはどこやの?。お野菜をたくはん買うてきたからあんたの好物をつくります。
 ねぇ。お部屋へ上がってもええんか?
 ええかげんで何時もみたいに『よく来たなぁ、上がって飯を作ってくれ』と、言うてよ。
 押しかけ女房みたいに突然あなたの前に現れても、礼儀くらいは守ります」


 「おっ、押しかけ女房って・・・・まさか、君は」



 「あんただってそのつもりで、この群馬へやってきたんやろ。
 あたしに内緒だと言いもって、康平君とふたりでいまさらのように
 桑の苗なんか育て始めて一体全体、この先で群馬で何を始めようとしとんのよ。
 何度も畑で農作業をしとるあんたの姿を、遠くから見とります。
 あたしが康平くんとお付き合いを始めたことだって承知をしとるからに、何を考えとったの。
 あたしと康平くんが、もし仮に結婚したら、その時はどないするつもりやったんよ。
 育て始めた桑は放置することはでけへんし、そのうちにあんたと鉢合わせをした時に、
 あたしはあんたに、どういう顔をしていき合えばええのん?。
 だええち、ひとりぽっちで暮らしとるあなたのお母はんにどう説明をつけるつもりなの。
 今頃になってあたしを追いかけてくるなんて、いったい何を考えとるの、あんたってお人は。
 縁の下の力持ちになって一生あたしを支える仕事がしたいなんて、そないな阿呆なことばかりを
 考える男が今の時代のどこにいるのさ。あきれてものが言えへんわ」


 「やくたいなら、また、君の前からわしは消える。
 せやけど、君のために桑だけは、どんなことがあっても一生育て続ける。
 それがせめてものわしの罪滅しや。
 仮に君が、康平くんと結婚をすることになっても、そらほして良かったとわしは思うとる。
 君がこの群馬という地で一生かけて糸を紡ぐというのなら、わしも一生をかけて桑を育てる。
 おふくろもほして、ようやっとわしのことを諦めてくれた。
 わしの気が済むまで、この群馬で桑を育てさせてくれ。
 今のわしの願いは、ただそれだけや」



 「泣かせへんでよ、いまさらに。
 そないな気持ちを知りもって、康平くんと新しい恋なんかでけしまへんやないの。
 ほんまは、そのまま康平くんと、なりゆきでゴールインをしてしまうつもりやったのに。
 肝心なところで、また、あんたに横からウチは、邪魔をされてしもうたわ・・・・
 ほんまは、康平くんと結婚をしてもええなぁなんて、ちゃっかりと
 考え始めとったあたしがおったのに。
 それほどまでに素敵な出逢いやったし、ときめいたし、あんたとは別の魅力の持ち主どす。
 すっかりと傾きかけていたウチの気持ちを、またあんたに邪魔をされてしまいました。
 あんたに責任をとってもらわんと、あかへん事態になりましたなぁ。
 そやけどね。康平くんとのことは、その先を周りが絶対的に許してくれまへんどした」


 「周りが許してくれない?。どういう意味や」



 「ウチの周りに、おせっかいがいっぱいおるんどす。
 康平にはとうの昔から、赤い糸で結ばれた運命の女がいるのだから、
 ちょっかいを出したらあかんと、きつい顔をしてあんじょう怒る女がおるんどす。
 自分も康平くんに惚れきっておるくせに恋敵に、道を譲りはる小粋で可愛いお嬢はんどす。
 でもそうなるとウチは、行き場をなくしてしまいます。
 結局のところが、こうしてまた、お野菜を抱えて、あんたの前へ立つ羽目になるんどす。
 ・・・・ねぇ、キッチンはどこなんよ?。
 群馬に来て糸引きも上手になりましたが、それ以上にお料理も上手になりました。
 10年も自分ひとりのためにお料理をしてきましたが、今日からは2人分を作ります。
 ねぇぇ、英太郎。ええ加減で言うてちょうだい。
 『さっさと上がって、いつもみたいにわしのために早くメシを作ってくれって』
 ・・・・うっふっふ。やっぱりウチは押しかけ女房どすなぁ。」




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