落合順平 作品集

現代小説の部屋。

『ひいらぎの宿』 (9)

2013-11-30 12:46:48 | 現代小説
『ひいらぎの宿』 (9)第1章 2人の旅籠が出来るまで 
・湯西川から、川治、鬼怒川温泉を経て今市へ




 午前10時を過ぎてから、俊彦の車が五十里湖(いかりこ)沿いの雪道を走り始めます。
湯西川をあとにしてまもなく、五十里湖の東岸を走ってきた本線の会津西街道と、
俊彦が辿っている西岸沿いのバイパスの道が、湖畔の南で合流をします。
会津西街道(あいづにしかいどう)は、江戸時代に会津藩主・保科正之によって
整備された、会津の若松城下から下野(栃木県)今市に至るまでの、130キロの街道です。
下野街道(しもつけかいどう)と呼ばれた当時の面影を、そのままに残している『大内宿』をはじめ、
往時をしのばせる町並みや建造物、石畳などが随所に残されています。


 鬼怒沼に源を発した鬼怒川がこの会津西街道と出会い、上流から流れてきた男鹿川と合流し、
南に向かって流れ始めると、ほどなくして川沿いに、10軒ほどの旅館とホテルが立ち並ぶ
川治の温泉街が前方に現れます。

 温泉街に、女陰の形をした霊石の『おなで石』が祀られています。
おなで石とは、鬼怒川の氾濫で流れ着いた女陰の形をした自然石を霊石として祀ったものです。
中央部分に女陰のような縦長の亀裂が入っていて、高さは約60cm、
横45cm、奥行45cmの、立方形をしています。
女陰の亀裂に沿って撫でながら祈願をすると、子宝や縁結び、安産などに霊験があるとされています。


 おなで石は金精神を祀った祠の前に安置されており、まるで女陰であるおなで石の霊験を
高めるかのように、祠やその周りには、多数の石や木の男根が奉納されています。
共同浴場(露天風呂)の薬師の湯と並んで、川治温泉の観光スポットとなっていますが、
女陰であるおなで石よりも、金精神の祠や周りに多数奉納されている石の男根の方が目立っているため、
石の男根がおなで石であると勘違いをして、誤って参拝してしまっている温泉客や観光客などが
たくさん居るという逸話もあります。



 「川治温泉の開湯は、江戸時代の享保年間です。
 男鹿川の氾濫後に、偶然発見されたと言われていますが、会津西街道の宿場町として、
 また、湯治湯としても大いに栄えた歴史を持っています」

 「なるほど。ではこの下にある鬼怒川温泉は?」


 「かつては箱根や熱海と並んで『東京の奥座敷』と呼ばれ、
 年間200万人もの集客力を誇った、鬼怒川上流にある一大観光地です。
 火傷に対する効能があるとされ、北側に位置する川治温泉とともに
 古くから、『傷を癒すなら川治、火傷なら滝(現在の鬼怒川温泉)」と称されてきました。
 発見は1752年と言われ、古くは滝温泉という名前で、鬼怒川の西岸のみに温泉がありました。
 日光の寺社領であったことから、日光詣帰りの諸大名や僧侶達のみが利用可能な温泉として
 長年のあいだにわたり栄えてまいりました。
 明治2年になってからようやく東岸で、藤原温泉が発見をされています。
 その後、上流に水力発電所ができると鬼怒川の水位が下がったため、川底から相次いで新源泉が発見され、
 1927年(昭和2年)に、滝温泉と藤原温泉を合わせて、鬼怒川温泉と呼ぶようになりました。
 その名称が引き継がれ、そのまま今日までいたっております。
 戦後になってから東武特急の「きぬ」の運行などもあり、東京から観光客が押し寄せてまいり、
 大型温泉地として、おおいな発展の様子を見せてきました」


 「ほう。なかなかに名調子だねぇ。
 それならば、この道の突き当りにある、日光の今市は?」


 「天にそびえ立つ緑のカーテン・日光街道の杉並木の由緒から、まずは語るようです。
 徳川家康(1542年~1616年)の忠臣、松平正綱が20年余の年月をかけて、20万本余の
 杉を植え、家康の33回忌にあたる慶安元年(1648年)に、日光東照宮へ寄進をいたしました。
 現在でも、日光、例幣使、会津西の3つの街道の全長37Kmあまりの両側に、
 13、300本がうっそうとしてそびえています。
 平成3年にはギネスブックにより、世界一長い並木道としての認定をされています。
 植え始められてから約380年。高さ約30mにもなった杉の木は今市の歴史を見つめつつ、
 さまざまなエピソードなどを付け加えながら、さらに未来へ受け継がれていきます」


 「凄いねぇ。いい加減なバスガイドさん顔負けなほど、博識だ。恐れ入った」


 「驚くにはあたりません。
 この程度の知識は、地元で働く芸妓としては当たり前の心得です。
 名所や観光地の見所はもちろん、隠れたエピソードなども宴席などで語ります。
 この辺り一帯に分布している街道を守る道祖神の数と、その言われなども存じております」


 「道祖神?。集落の境界や村の中心、 村内と村外の境界線や道の辻、三叉路などに
 建っている、あの石ころで出来た路傍の神様のことかい?」

 
 「はい。その路傍の神様のことです。
 甲信越地方や関東地方に多いといわれておりますが、なぜか出雲神話の故郷である
 島根県には少ないと言われています。
 松尾芭蕉の「奥の細道」では、旅に誘う神様として、その冒頭にも登場します。
 村の守り神や子孫の繁栄を願うものとされ、近世では、旅や交通安全の神としても信仰をされています。
 古い時代のものは、男女の一対を象徴するものとして崇められていたそうです。
 餅つき(男女の性交を象徴する)などに、そうした痕跡が残っているともいわれています。
 うふふ。なにやら、艶かしい話題などが続きますねぇ。」


 「うん。そわそわするような艶めいた話題の選択が気になるねぇ。
 川治温泉の『おなで石』といい、道祖神の『餅つき』といい、なにやら心がざわついてきた・・・」


 「庶民たちの、おおらかな睦(むつみ)ごとのお話です。
 お座敷で、お酒の傍らの話題といたしますので、少々そそるものが有るかもしれませんね。
 道祖神の「祖」の漢字のつくりの「且」の部分は、甲骨文字、金文体上では男根を表しています。
 これに呼応する形で、文字型の道祖神の中には「道」という文字が、
 露骨に、女性器の形をして彫られているものがあるといいます、・・・・うっふふ。
 艶めかしいですねぇ、ほんとうに」




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