落合順平 作品集

現代小説の部屋。

赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (5)

2016-12-05 17:52:28 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (5)
(5)春奴姐さん



 「ただいま、戻りましたぁ!」


 清子がカラリと格子戸を開ける。下駄を脱ぐ。
奥に向かって声をかける。その隙に、たまが懐からピョンと飛び降りる。
たまが、スタスタと廊下を歩きはじめる。
しかし。途中で立ち止まる。
ヒョイと振り返ったたまが、『ご苦労だった』と清子の顔を見上げる。



 『いいえ。毎度のことですから。どういたしまして』と清子が目で笑う。
フンと首を振ったたまが、『俺の本当の飼い主は、どこだ?』と、
いきなり廊下を駆け出していく。



 「懐くのか、懐かないのか、気まぐれすぎてはっきりしない子ですねぇ。
 悪戯盛りのたまは・・・
 あっ、いけません。たまは泥足のままです!」


 
 雑巾をつかんだ清子が、あわててたま追いかける。
清子の足音を聞きつけたたまが、立ち止まる。



 『なんだよ。まだ何か俺に用事があるのか?』たまが振りかえる。
『あっ、雑巾だ。まずい、大嫌いなんだ!。そいつは。やばい!』
あっという間にたまが向きを変える。
駆けてくる清子の足のあいだをすり抜けて、トントンと階段を駆け上がっていく。



 『素早いなぁ。ああ・・・汚れた足のまま逃げられてしまいました。
追いつけませんね、早すぎて。これもまた、いつものことなのですが。うふっ』
ため息をもらした清子が雑巾を握り締めたまま、階段の下で立ち尽くす。
階段の上からたまが、そっと顔を出す。
『へへへ・・・お前がとろすぎるからだ。気が付くのが遅すぎや。油断し過ぎだな』
フンとたまが、鼻でせせら笑う。



 「清子かい。いいから、やんちゃ子猫は放っておき。
 お昼の支度はできていますから、はよ食べて、舞のお稽古に出かけなさい」



 「すいません、お母さん。
 たまを捕まえるのに手間取りました。
 本日は、お昼のお当番ができませんでした。
 そのぶん明日、頑張りますので、今日は大目にみてください」



 「私も清香のところへ、出稽古にまいります。
 お互いに都合を抱えています。
 ついでに作っただけですから、どうこうありません。
 それよりもお前。伴久の若女将と板長の銀次親方に、失礼はなかったでしょうね。
 ドタバタと駆け出していったものですから、途中でみなさまに迷惑をかけないかと、
 それだけを心配しておりました」



 「いいえ。何もありません。
 若女将に会いましたがいつものように、ニコニコしておりました。
 お母さんにくれぐれもよろしくと言付かりました。
 あっ・・・銀次親方から、好き嫌いはないかと聞かれました。
 ですが別にありませんと、教えられた通り、答えておきました」



 「ならばよろしい。わたしは先に出かけます。
 いつものように戸締りをして、お前も稽古へ出かけなさい。
 1人で食べることになりますが、いつものようによく噛み、しっかり食べなさい。
 では、先に出かけます」



 清子は、出かける時のお母さんを見るのが、大好きだ。
春奴はまもなく60歳になる。
いまだに代名詞の、黒い羽織を粋に着こなしている。
シャンとした背中に、女の色香がただよう。
清子が芸者になると決めたのは、実は、春奴との鮮烈な出会いに有った。


 その日。清子は、修学旅行で日光へ来ていた。
最初の見学地の二荒山神社。
杉木立の参道で、春奴たちの一行と出会う。
年に一度。二荒山神社へ、花街の女たちがお礼詣りにやって来る。
清子はその偶然に、出くわした。



女たちは、凛としている。
匂いたつような色香。、綺麗な着物。
すべてが一瞬で、清子の心臓をワシつかみにした。
清子の目の前を、6人の芸妓を引き連れた春奴が、さっそうと通り過ぎていく。



 その瞬間。『芸妓になりたい!』という衝動が清子の全身を駆け抜けた。
この日の清子の決意が、湯西川温泉に20年ぶりの赤襟を誕生させることになる。



 『1人で食事を済ませなさい』という春奴の言葉を聞きつけたたまが、
2階から、忍び足で降りてくる。
清子がひとりで正座している。ちゃぶ台に向かって食事をはじめている。



 『ニャァ』とたまが、清子へ呼びかける。
『おいで』と清子が、味噌汁の茶碗から丸ごとの煮干を取り出す。
『熱いから、待っててね』と口にふくむ。
汁気を吸い取ったあと、膝にひろげたハンカチの上に煮干しを置く。



 『よっこらしょ』とたまが、清子の膝の上に這い上がる。



『なんだよ。やっぱり煮干かょ。ここん家の食事は、質素すぎるからなぁ。
まぁいいか。清子からのせっかくのプレゼントだ。
贅沢は言えねぇや・・・、御相伴にあずかるか』
煮干しの匂いに、たまが目を細める。


(6)へつづく

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