落合順平 作品集

現代小説の部屋。

赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま(8)

2016-12-09 19:13:05 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま(8)
(8)深川芸者の由来




 縁側でたまが、うたた寝している。
春奴と清子が出かけてしまうと、家の中ががらんとする。
置いてある食事の量がいつもより多い。
ということは2人とも、今日は、帰りが遅くなることを意味している。


 山々が日に日に、新緑を深くしていく。
この頃になると、緑に囲まれた湯西川の街に『平家大祭』の日が近づいてくる。
祭りに入ると、町の人たちが平家の武者や女人に扮装する。


 200名あまりの行列が、湯西川の街中を練り歩く。
山間に琵琶の演奏と雅楽の調べが流れる中。一日中、平家に関する催しがくり広げられる。
平家の栄華ぶりが、山あいの温泉地によみがえってくる。


 祭りが近づくにつれ、女たちが忙しくなる。
独立して自活している6人の弟子たちが、かわるがわる春奴の置屋へやって来る。
狙いはただひとつ。平家絵巻行列の、主役の座。
祭りが近づくにつれ(毎年のことだが)、女たちの争いが熾烈化していく。



 『それにしても・・・・』たまが大きくあくびをする。



 (まったく。女どもにも困ったもんだ。
 何時までたっても、おいらを子供扱いしゃがる。
 初めて来た時は、たしかに、手のひらの上に乗るお子様サイズだった。
 『あらぁ、まぁ可愛い~』などと褒められる大きさだった。
 ところがよ。体重はもう、とうの昔に2キロを超えたんだぜ。
 3ヶ月すぎれば子猫も、思春期にはいる。
 それなのに清子ときたら、ぜんぜんおいらのことを気にしない。
 風呂から、素っ裸で出てくる始末だ。
 前も隠さず、どうどうとおいらの前を歩いて行く。
 還暦を超えた春奴母さんまで、上半身裸のままで化粧を始める。
 オイラ。痩せても枯れても男の子だぜ。
 頼むからもう少し神経を使ってくれ。
 おいらはもう、このあいだから、思春期のど真ん中へ入っているんだぜ)



 しかし部屋中に立ち込める女どもの粉(おしろい)の匂いは、
嫌いじゃないがな・・・とたまが目を細める。
天気もいいし、ぼちぼち散歩にでも行くか、とたまが立ち上がる。


 全身の力を使い、ひとつひとつよじ登っていた2階への階段も、
今は苦もなく、トントンと越えていくことが出来る。
軽やかな足取りを保ったまま、あっというまに清子の部屋へたどり着く。


 清子の部屋は天気の良い日だけ、ちいさな隙間が作られている。
カーテンのすき間から、6月の風が吹き込んでくる。
すき間からたまが顔を出す。
隣家の青い屋根瓦が、たまの目に飛び込んでくる。


 真相向かいの部屋の窓は、ピンクのカーテンで覆われている。
小学6年生になった女の子が、この部屋に住んでいる。
こちらも天気の良い日だけ、カーテンがおおきく開け放たれる。
少女は病気がちだ。
休んでいる日の方がおおい。
そのため、たまと、すっかり顔見知りになっている。


 (おっ閉まっているぜ。ということは今日は学校かな・・・)


 そのとき。ピンクのカーテンが、ふわりと揺れた。
見たことのない白い子猫が、ガラス越しの窓辺に現れた。
初めて見る猫だ。
『おっ、』即座に反応したたまに気が付かず、くるりと白猫が背中を向ける。



 『なんだよ。背中を向けちまったぜ。顔を見るひまもなかった。
 なんでぇ、いきなりの無視かよ・・・・ふん、面白くもねぇ』


 たまが、窓辺で身体を丸める。
気持ちの良い6月の風が、たまの鼻先をかすめていく。
細めた目で白い子猫を見ているうち、いつしかウトウト眠りにおちていく。




 花柳界というと、なにか独特で特別な世界という印象がある。
世間は花街を、奇異の目で見る
これは花街と遊郭を混同した勘違いだ。だがそれはいまだに横行している。


 花街には明確なルールが有る。
だがこのルールは、外からはまったく見えない。
特定の常連だけをお客として認めている。これはまったく怪しいシステムだ。
このシステムが、花街の謎にさらに拍車をかけている。


 花街には、中での出来事を、外に漏らさないというしきたりがある。
漏らされて困る様なことが、夜な夜な起きているわけではない。
花街は今でもそうした伝統を、ただただ、厳格に守り続けているだけなのだ。


 春奴母さんの原点は、江戸の深川。
深川は、明暦(1655~1658)の頃から、材木を扱う港としておおいに栄えた。
そのため、大きな花街がここにあった。
商人同士の会合や、接待の場に欠かせないのが、芸者衆たち。
最初のうちはほかの土地から芸者衆が通ってきていたが、やがて、深川に居を構える。
始祖は、日本橋で人気を博していた「菊弥」。
「菊弥」は日本橋で揉め事がおこし、やむをえずこの深川に流れてきたという説もある。



 深川には独特の土地柄がある。
顧客は、人情に厚い、粋な職人達が多い。
そうした顧客の好みが、辰巳芸者の身なりや考え方に、色濃く現れている。
薄化粧のうえ、地味な身なり。たいていが鼠色系の着物。
冬でも足袋を履かない。素足のまま、下駄を鳴らして花街を駆け回る。
当時男のものだった羽織を羽織って、お座敷に上がる。
男っぽい喋り方。
気風がいい。情に厚く、芸は売っても色は売らない心意気を自慢する。
辰巳芸者は『粋』の権化として名声を馳せる。
当時の江戸でおおいに人気をあつめる。



 源氏名も「音吉」「蔦吉」「豆奴」などの、男名前を名乗る。
東京の芸者衆には、「奴」のついた芸妓名を名乗る人が多い。
そもそもの由縁が、こうした辰巳芸者たちの存在だ。


(9)へつづく


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