落合順平 作品集

現代小説の部屋。

北へふたり旅(20) 第二話 チタン合金 ⑩

2019-05-23 14:01:05 | 現代小説
北へふたり旅(20) 




 先生の説明通り、翌日から妻のリハビリがはじまった。
午前10時。担当の看護士が病室へやってきた。

 「おはようございます。
 時間です。リハビリ棟へ案内します」

 「痛いんでしょ?。リハビリは・・・」

 「どうでしょう。痛いかもしれません。
 担当者の腕次第ですけど。うふっ」

 看護士が笑顔で答える。

 「でも。はやくから動かしたほうが、痛みがすくなくてすみます。
 ギブスで3ヶ月間固定したあとですと、すこし動かすだけで涙が出ます。
 2日目ですもの。それから比べれば、お茶の子さいさいです」

 「よく知っていますねぇ。お若いのに。
 おちゃのこさいさいなどという、ふるい言葉を」

 「これ、先生の口癖です。
 手術するまえ、呪文のようにとなえています。
 この言葉を口にすると緊張がほぐれて、なぜかうまくいくそうです」

 「では行きましょ。
 わたしもおちゃのこさいさいで。うふっ」

 妻と看護師が連れだって病室を出ていく。
手首の骨折(橈骨遠位端骨折とうこつえんいたんこっせつ)の手術法は
進歩している。
従来の手術では、手術後もギブス固定をおこなってきた。

 ギプスで固定している時間が長いと外したとき、手首が動かない。
力も入らない。おのずとリハビリの期間が長くなる。
弱い骨でもしっかり固定できるプレートが開発されたことで、
ギブス固定が必要なくなった。

 リハビリの目標は、生活できる手を取り戻すことにある。
「生活できる手?」妻が首をかしげる。

 「手首の曲げ伸ばしからはじめます」

 「動かしてもだいじょうぶなの?。折れてるんでしょ」

 「折れていますが、骨は丈夫な金属プレートで結合されています。
 手が使えないというのは、想像以上に不便です。
 たとえば毎日欠かせない食事。
 箸の操作やお椀を持つという細かい動作が難しくなります。
 利き手ならなおさらです」

 「その点ならだいじょうぶ。
 わたし、さいわいなことに左利きなの」

 「片手が使えないということは、想像以上に不便です。
 たとえばお風呂。
 背中を洗うのも、髪を洗う時も、着替えの時もたいへんです。
 しばらくは普段両手で行っている動作を、片手で行わなければなりません」

 「なるほど。たしかに生活できる手を取り戻すのはたいへんです。
 わたしの場合、生活できる手よりも、もういちどゴルフができる手を
 取り戻したいのよ。
 高望みすぎるかしら。
 大丈夫かしら。取り戻せるかしら?」

 「だいじょうぶ。目標が高いぶんだけ、リハビリがすすみます。
 ゴルフできる手ですか。
 いいですねぇ。わたしも応援のし甲斐があります」

 「あら。先生は応援してくださるだけなの?」

 「はい。リハビリの達成度は、ご本人の熱意で差が出ます。
 わたしはただ患者さんの熱意に寄り添って、お手伝いするだけです。
 目標の達成は、奥様の努力しだいです」

 「ではゴルフ出来る手の復活めざして、頑張りましょうか。
 おちゃのこさいさいで・・・」

 
(21)へつづく