落合順平 作品集

現代小説の部屋。

北へふたり旅(22) 第三話 ベトナム基準②

2019-05-30 18:53:04 | 現代小説
北へふたり旅(22) 
 
 午後5時。
S農場の1日の仕事がおわる。
9月初旬のいまは、キュウリの手入れがおもな仕事。
30㌢ほどで植えた苗が、いまは1mちかくまで伸びている。


 キュウリはインドのヒマラヤ山麓が原産地。
生育は、とにかく早い。
つるが旺盛に伸びる。苗植えから30日余りで収穫期にはいる。
オクラやインゲンなどとおなじで、果実類の中でもっとも生育がはやい。


 帰る途中。行きつけの店・ファーマーズへ寄る。
名前でわかるとおり、さいきん建ったばかりの農協系のスーパーだ。
作業着のまま歩いても、さほど目立たないのがうれしい。
毎日決まった時間に寄るため、レジのおばちゃんと顔なじみになった。
いつものように夕飯のための買い物を手早くすませ、店を出る。


 「ただいまぁ」


 「お帰りなさい」退屈そうな声が返って来る。


 「腹、減ったろう。すぐに夕食をつくるから」


 「急がなくていい。
 ほとんど動いていないんだもの。お腹もすきません」


 「そういうな。あとの予定がつまってる」


 「そうね。贅沢は言えません。ありがたいことです。
 三食昼寝つきのうえ、お風呂までいれてくださるんですもの。
 感謝しています」


 料理はきらいではない。
さいしょについた仕事が板前だ。
50年前。見習いとして入り、旅館の板場で調理修行がはじまった。
和食の職人は、一年中素足。
冷たいコンクリート床のうえで、一年中、素足に下駄が定番。
江戸時代のような職場だなここは、と直感したのを今でも覚えている。


 職人は、「見て覚えろ」がすべて。
見習いはまず、洗い場にまわされる。
鍋を、ピカピカになるまで磨くのが仕事。


 鍋の汚れに意味がある。
煮物、焚き物、汁もの、全ての味が鍋の壁にこびりついている。
指先にこすりつけ、それらの味をひとつひとつ覚えていく。
調理職人は、味覚を鍛えることが最初の一歩。
そのことに気がつかない新人はつぎの仕事をあたえられず、半年たっても
まだ洗い物の場に居る。


 かんたんにつくった料理の夕食がはじまる。
退院して一週間。妻の右手はまだ、おぼつかない。
食事がおわると、お待ちかねの、風呂の時間がやってくる。


 今日も妻が嬉しそうに席をたつ。
「ねぇ。髪も洗ってほしいんだけど。甘えてもいいかしら?」
反論の余地はない。
「まかせろ」とこたえる。こちらもパンツ一枚になる。


 全裸の妻が背中を見せて座る。
「ふっくらしたね」と言えば、「あなたほどではないですが」と
涼しい声がかえってくる。


 髪を洗う。つづけて石鹸をつかう。
妻の背中があわだらけになる。
「前は自分で洗え」
「あら。洗えないから頼んでいるんじゃないの。遠慮しないで、この際だもの」
妻がくるりと向きを変える。


 シャワーの温度を確認する。全身の泡をきれいに洗い流す。


 「ありがとう。生き返りました。今日も。うふふ」


 「どういたしまして。
 この歳で三助修行するとは思わなかったなぁ。俺も。
 あはは」






(23)へつづく