落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(138)

2013-11-16 10:17:46 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(138)
「国破れて山河あり・・・そんな漢詩があったよなぁ、と語る康平」



 
 
 日本の人口の3%にも満たない約260万人(2010年10月現在)の農民が
日本の食料生産のほぼ大半を支えています。
農業従事者の平均年齢は65.8歳。35歳未満は、たったの5%という数字が示すように
後継者不足もあり、埼玉県と同じ面積の耕作放棄地が日本中に広がっています。
農家1戸当たりの農地面積は、2007年で、EUの9分の1。アメリカの99分の1。
オーストラリアの1862分の1。国際的に見ても、こうした耕作面積の極端な狭さが、
農産物の生産性を、著しく引き下げています。



 農地を、国際的な規模から比較をした場合、日本の国土は狭すぎて農業に適していません。
日本の農業は、比較をする前から、国際的な競争力には欠けるものがあります。
農産物の貿易が自由化をされた瞬間から、日本の農産物の価格は一気に崩壊を始めます。
農林水産業などの第一次産業は、日本のように労賃が高い国においては必然的に衰退し続ける
傾向にあると、一般的に考えられています。
日本農業には職業的な“弱者”というイメージと,将来性の危機感が常につきまとっています。
農業の将来に確信が持てず、そのために就業する若者の数は激減の一途をたどっています。


 
 衰退の実態を支えるために生産量に応じて補助金を出し、農家を保護してきたのが、
これまでの日本農政と、国の政策の基本的なスタンスです。
そのための補助金の原資とされてきたものが、輸入農産物にかける高い関税です。
今日まで、(関税に裏付けられた)高い輸入の農産物価格で日本農業を保護してきたが、
それでも日本農業の衰退ぶりには、一向に歯止めがかかりません。


 1960年から今日までで、GDPに占める農業の割合は、9%から1%にまで減少しています。
一方で、65歳以上の高齢農業者の比率は、1割から6割へと上昇を遂げています。
専業農家の比率は34.3%から19.5%へと大幅に減少し、第2種といわれる兼業農家は、
32.1%から67.1%へと、倍以上も増加をしています。
53年までは国際価格より低かった米の価格も、実に800%という関税で保護されるなど
国際競争力からは、著しく低下をしています。
それにもかかわらず食料の自給率は、年々悪化の一途を辿り、遂に79%から40%台にまで
落ち込んでいます。このままでは『国が滅びる』とさえ報じられました。


 外国からの安い農産物に押され、兼業農家がつくり出す農産物のみならず、
専業農家がつくるものまで市場から駆逐される事態になると、問題はきわめて深刻になります。
極端な場合、兼業農家たちは自分たちが食べるだけのものだけを栽培し、
専業農家はいなくなるという事態にまで、発展をしかねません。



 日本農業の前途は、いったいこれからどうなるのでしょうか。
国際競争力にまともにさらされた場合、果たして生き残ることができるのでしょうか。
これが今おおいに問題になっている 『TPP(環太平洋経済連携協定)』の本質なのです。
優れた工業力を背景に輸出の進行で今日の繁栄を築いてきた日本は、その一方で、第一次産業を
衰退させ、列島再開発の名の下に自然を破壊し、経済界のエネルギー資源確保のために
次から次へとまったく安全性を確認しないまま、原発の建設などを進めてきました。


 農業と漁業は国民の胃袋を支え、国の繁栄力を根本から支えているばかりではなく、
自然と共生し、守り育てるための大切な役割を果たしています。
農業の活動により大地に手が入れられ、水が確保されることで自然環境が保護をされています。
漁業が港を整備し護岸を作り、魚を育てる事業に邁進していることも、また同じことがいえます。
緑豊かな大地を育てることが、作物を育て、魚介類を育てやがて国を育てます。
第一次産業の衰退は、やがて国を滅ぼす根幹となる大問題の一つです。



 戦後の日本政治は、日本の第一次産業をものの見事に切り捨てる路線を歩いてきました。。
第二次世界大戦で受けた荒廃からの復興のために国が取った政策は、有史上では2度目となる
『富国強兵』政策であり、工業生産で一躍のしあがることを考えた工業立国への経済政策です。
農漁村からは大量の労働力を太平洋沿岸の工業地帯へ狩り出し、『安かろう、悪かろう』と言われ
粗製濫造と悪口まで言われた、猛烈な工業製品の開発と生産を繰り返した末、世界でも例を見ないほどの
工業製品の輸出に偏った一大貿易国家を、東南アジアに誕生をさせました。

 自前のエネルギー資源と、工業用の天然資源を持たない日本は世界中から資源を買い入れ
高い技術で加工し製品化をしてきたことで、貿易立国の大いなる基礎を築いてきたのです。
一貫したこうした国策のもとで犠牲を強いられたのが、第一次産業の各分野とその従事者たちです。
そうした表れとして見ることができるのが、今日における食料自給率の危機的な状況であり、
農家における高齢化の進行であり、農林漁業の仕事に希望と明日を見いだせないでいる、
おおくの後継者たちによる第一次産業離れという現実です。



 「TPPで日本の農業が壊滅的な打撃を受けると、多くの人たちが騒いでいる。
 TPPが、農業に最後の引導を渡す事態になると、多くの人が反発を強めている。
 だが俺に言わせれば、農家と農業をここまで追い詰めてきたのは、長いあいだにわたる
 いままでの、終戦直後からはじまった政府と農政のあり方だ。
 終戦の直後から工業立国を目指して、日本が技術と工業生産性を高めはじめた時から、
 すでに、農業は切り捨てられる側の道を歩き始めた。
 優遇するような意味合いの補助金政策をとりながら、その実、農地と農家を荒廃させてきた。
 その表れが、今この目の前にあるこの景色の広がりだ。


 かつてここには、一面に桑畑が存在をしていた。
 真冬でも畑には、白菜や大根、ほうれん草などが植えられた緑いっぱいの景色がたくさんあった。
 それが今はどうだ。一面の枯れ野原のような光景ばかりが広がっている。
 補助金を出すから、田んぼでコメを作るなといわれ、5反や6反の農家では食えないから、
 吸収合併をして一大農場を創り出すことが、これからの農業と農家の生きる道だと上から目線で物を言う。
 たしかに世界に冠たる工業力と生産力で、日本は世界のNO-2までのし上がってきた。
 だが、ものが豊富に出回り暮らしが豊かに変わる中で、あたらしい国土の荒廃がはじまった。
 気がつかないうちに進行をした国土の荒廃が、人の心の中にあたらしい『貧しさ』をうみ始めたんだ・・・・


 それを俺は、『こころの中の貧困』と呼んでいる。
 人として生きていく上で、大切にされなければならないものが、
 高度経済成長やバブルの時代を経験する中で、いつのまにかその姿まで変え始めた。
 汚れる仕事が敬遠され、きつい仕事は嫌われ、いつしか誰しもが身近にある簡単な方法で
 生活のための金を稼ごうと考え始めた。
 たしかに、そういう選択と生き方が可能になる時代もやって来た。
 自分の仕事に誇りを持ち、高い志をもって仕事にとりくむという考え方は、古いものになった。
 食うためだけにと割り切って、割のいい時給と収入の総額だけを基準に職業を転々とする・・・・
 そういう考え方と、仕事の選び方が、いつのまにか俺たちの周りに出来上がってしまった。
 気がついたら、『食う』ためだけに働いている自分がいる。
 仕事にたいして、たいした夢や希望も持たず労働力を、無為に金に変えているだけの
 多くの若者たちが、あふれてきた。
 働くことに自らの夢や熱意を持たないただの徒労は、心に虚しさだけを生む。
 飢餓で苦しんでいる貧困とまったく同じように、心の貧しさもまた人の生き方から、
 夢と希望を奪いとる。『こんなものだろう』と諦める心が、何事にたいしても
 無抵抗に生きる人間を、やがて大量に生み出すことになる。



 それこそが高度に発達した文明の国でありながら、日本人がいま病んでいる心の貧しさの正体だ。
 俺はその現実に、やっとのことで気がついた。
 みんなと同じように世の中の流れに歩調を合わせ、目立ちすぎず、普通に生きてきたつもりなのに、
 いつのまにか、自分の中にある大きな夢を追いかけることさえ、諦めてきた。
 小ぢんまりとした事ばかりを、考え始めている自分がいることに俺は、やっとのことで気がついた。
 君が歌手への道を諦めて東京から帰ってきたとき、群馬でしか出来ない仕事につきたいと考えて、
 安中市で座ぐり糸の仕事についたように、俺にもやっぱり、どこかにそんな風な考え方が眠っていた。
 はじまりは、この一ノ瀬の大木の消毒からだった・・・・
 消防団員たちと一緒に、こいつのアメリカシロヒトリの退治を始めた時から、
 俺の歩くべき道が、変わり始めたようだ。
 京都からやってきて、座ぐり糸の仕事に再起をかけた千尋さんは、もしかしたら、
 俺たちのための、橋渡しに来てくれたのかもしれない。
 いずれにせよ、ここにこうして大地の上に立ち、未来への夢を追いかけようと
 決めた瞬間から、自分の内側からふつふつと湧きあがってくる、力の存在というものに、
 ようやく初めて気がついた。
 身震いするような想いの、仕事への気概と勇気が湧いてきた。



 生きるということは、高い志を持ち、生きがいとやりがいをもって働きぬくことだ。
 働くということは、自らを支え、周りも支え、地域を支えやがて国さえも支えるだろう。
 国破れて山河在り、城春にして草木深し・・・・
 これから先の百姓の未来なんか、まさに風前の灯のような時代が、またやってきた。
 だが、どっこい。俺たちのような土着の民は、まだまだ日本中にたくさん生きている。
 俺は精一杯に桑を育てて未来を切り開くから、お前も、頼むから糸を紡いでくれ。
 一人くらい、居たっていいだろう。時代に逆行していく、こんな生き方があっても・・・・
 なぁ。美和子」






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からっ風と、繭の郷の子守唄(137)

2013-11-15 12:01:02 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(137)
「再び日本地図の中へ、桑畑の記号を復活させると康平は言う」

 

 
 日本地図では、建物や道路をあらわしているだけではなく、畑や木の地図記号をつかい
何が育てられているのか、どんな木があるのかなども、ひと目で見ることができます。
実際の場所を見なくても、地形図からはどのようなものがあるかを知ることができます。
記号は実際には1つで使われることは少なく、土地の中に複数の記号をつけることが
一般的になっています。
代表的な田や畑などの記号について知っている方は多いようですが、果樹園を表すリンゴの形や
桑畑を表す、Yの字に似た地図記号までをご存知の方は少ないようです。
樹木を表す記号も何種類かありますが、その中でも桑は、ハイマツなどと並び、単独で
桑畑としての記号を持っている樹木のひとつです。


 地図記号にされたほど、桑の畑はかつての日本ではどこにも見られた風景のひとつです。
しかし今日、養蚕業が盛んだったいくつかの主だった地域でも、生産者が高齢化し、後継者がいないなどの
理由で、桑の木自体の衰退が始まりました。
生糸産業全般が斜陽化をする中、株を抜き畑に転用されたり、そのまま放置を
されるなど、広大な面積を誇ってきたかつての桑畑が、次々と姿を消し始めます。


 クワの木は成長が早く、大きく育ちますが幹の中には空洞があります。
若い枝は、カイコの餌にする為に葉ごと切られてしまうため、製材可能の部分が少ないことが特徴です。
養蚕業が盛んだった頃には、定期的に剪定等で手入れが行われてきたクワ畑ですが、
樹木としての活路は、前述したように幹の中が空洞となり、製材できる部分がきわめて少ないために、
養蚕以外においては、これといった他の有益な利用法が存在をしていません。



 放置された結果、森の様になっている畑なども各地で見られます。
このような状態に桑畑が立ち至っても、高齢化がすすんでしまった管理者たちにとって、
これらを整理することは、物理的にも難しく、ゆえにさらなる放置が進行をしています。
毛虫がつきやすいという樹種であるがゆえに、憂慮すべき深刻な事態にもなっています。
こうした深刻な実態を持つ反面、近年になってから、クワの実が郷愁を呼ぶ果物として注目を集めています。
ごく一部とは言え、健康食として桑の実が見直されてきた風潮などもあるようです。


 「俺たちが実現したいのは、農業で夢が持てる未来だ。
 君が指摘をしたように、百姓で食っていこうと俺はもう自分の将来を決めた。
 たしかに時代には逆行していく考え方だし、将来性な勝算も、いまのところはまだ無い。
 だがそんな中でも、遥かに、果てしない夢だけはある。
 俺の中で何故だか今頃になって、百姓の誇りと農耕民族の血が騒ぎ始めてきた。
 たぶんそれは、今後、2度と止まることはないだろう。
 きっかけくれたのは、丘の上に御神木のように今でもそびえている、あの一ノ瀬の大木だ。

 
 ガキの頃から、あの一ノ瀬の木の上から眺めた、下界の景色が大好きだった。
 凍てつくような冬を乗り越え、新芽を吹き始める頃のコイツの凄まじいほどの生命力が大好きだった。
 日差しを浴びながら、日に日に大きく成長をしていく、柔らかい色の桑の葉は綺麗だった。
 真夏になるとコイツは、大きく広がった枝と葉で、大きな日陰を俺たちに作ってくれた。
 甘酸っぱい『ドドメ(桑の実)』を食べるのも、ガキの頃の楽しみのひとつだった。
 秋が来て霜が降りるようになると、霜に焼かれて真っ黒になってしまった桑の葉が
 はらはらと毎日落ちて、足元に小山のように降り積もったもんだ。
 雪がやって来て幹や枝が真っ白に変わっても、こいつは動じることなく平然としてそびえていた。
 赤城おろしにすべての枝を鳴らしながら、春が来るまでコイツは、じっと冬を耐え忍んだ。

 
 コイツが此処へ植えられてから、もう、一世紀近になるそうだ。
 原産地の山梨からやって来たコイツは、この辺り一帯の桑の原木になったそうだ。
 俺の爺様やオヤジは、こいつのおかげで暮らしを立て、家族を養ってきた。
 ほとんどの農家が同じように、このあたりの一帯で桑を育て、蚕を飼い、繭をとり生計をたててきた。
 コメや麦がろくに育たない山間地にとって、桑と蚕は、現金収入をもたらす救世主だ。
 オヤジ達の時代には、春の田植えの時期と秋の刈り入れの時期に、学童たちの、
 『農繁休暇』という特別な休みの制度があったそうだ。
 蚕が繭を作り始める時期に入ると、家族総出の『お蚕上げ』という騒動が始まる。
 蚕を育ててきた場所から、繭をつくらせるための回転まぶしへ移すため、
 寸暇を惜しんでの忙しい作業が始まる。
 家から学校へ電話が入ると、該当する学童は手伝うために、早退が認められた。
 子供でさえ農繁期や『お蚕上げ』の時期には、貴重な戦力だった時代があったそうだ。


 たかだか半世紀前の農村の、どこにでも見られた、あたりまえの出来事だ。
 だが、俺らが学校へ行き始めた頃には、もう『百姓では食えないから、別の道を選べ』と、
 親からも、言われるようになった。
 俺のオヤジが経験をしたのは、1960年代からはじまった日本の農業の曲がり角の危機だ。
 1960年代は、日本がバブルを生み出した高度経済成長へ突入をした時代だ。
 農業を営んでいた働き盛りの男たちが、好景気の波に煽られて、京浜の工業地帯へ出稼ぎに出たり、
 サラリーマンと化して会社で働きながら、休日のみに農業を行うという兼業が始めた。
 『兼業農家』という言葉が流行語になり、俗に言う『三ちゃん農業』が始まったのもこの頃だ。
 働き手を失った農村では、残されたおじいちゃん、おばあちゃん、おかあちゃんが農業を行うことになる。
 三つの『ちゃん』が行う農業ということから、三ちゃん農業という言葉が生まれたそうだ。
 1963年に国会で「三ちゃん農業」という言葉が使われ、これを新聞が報道したことから、
 その年の流行語にもなったそうだ」



 肩を添えるようにして寄り添ってきた美和子が、『うちもそうだった』とつぶやきます。
ゆっくりとした歩調のふたりが、一ノ瀬の大木までの道を下り始めています。
風花を運んできた灰色の雲はすでにはるかな彼方へ遠ざかり、寄り添って歩くふたりの前方には、
果てしない広がり見せる関東平野の連なりが、午後の柔らかい日差しの下に戻ってきています。



 「寒くないか、体を冷やすな。また、風が冷たくなってきたようだ」

 「そう思うなら、あなたが温めてよ・・・・」

 立ち止まった美和子がまとっていたショールを大きく広げ、ふわりと康平の肩まで回しかけます。
薄いシルクのショールが二人の距離を詰め、今まで以上に肩を密着させます。
美和子が、康平の背中へ手を回します。美和子の全身を受け止めた康平は、交差させるような形で
腕を伸ばし、そのまま美和子の背中を支えます。

 「なぜ、百姓の道を選んだの。あなたは」


 「終生、君と生きていくと決めた瞬間からだ。
 身ごもったと聞いたとき、これですべてが終わると、一度は俺も覚悟を決めた。
 だが、少しばかりの幸運が残っていたようだ。
 思いがけずに10年以上も遠回りをしてしまったが、今からでも決して遅くはないと思う。
 俺がこの地で生きていくためには、今まで準備をしてきて桑の苗のように、
 俺も、ここであらためて生活の根を張っていく必要がある。
 たしかに、百姓が食えるのか食えないのか、これから先の未来のことは誰にも分からない。
 だが、おれの大好きな一ノ瀬の大木は、もう一世紀以上もこの地の風雪に耐えてきた。
 天然素材のシルクも、痛むことなく100年も200年も生き続けるという。
 厳しい自然を持つこの悠久の大地と、この一ノ瀬という御神木と、シルクという天然素材は、
 ここで生きる俺たちへの、大自然からの『逞しく生きろ」というメッセージだ。
 もう30歳だが、まだ、俺たちは30歳だ。
 いままで躊躇ばかりを繰り返してきて、君には歯がゆい思いをさせてきたが、
 これから先は、ここの風土へ土着をしたひとりとして、君を真正面から見つめるさ。
 で、なんだっけ。例のその、シルクの効能の続きってやつを、もう少し聞かせてくれ。
 俺もまだ、シルクについて学び始めたばかりだ」



 「ええ。喜んで教えるわ。
 シルクは、蚕が口から吐き出した天然繊維のことで、
 18種類のアミノ酸で構成されているタンパク質によってできています。
 人間の肌も同じタンパク質で出来ていますから、人の肌に1番近いといえる天然素材です。
 夏は優れた吸汗性で、肌をサラサラに守ってくれます。
 冬は優れた保温性を発揮して、ポカポカと身体を温めてくれます。
 細い繊維がいくつも撚られて一本の糸になっているためです。
 撚られている繊維の間には、多くの空気が取り込まれていますので暖かくなるのです。
 でもね。それ以上にこの素材が暖かいと感じるのは、この素材がシルクとして生み出されるまで
 たくさんの人たちの手によって、育て上げられてきたという暖かさがあるの。
 お蚕を育てるための、たくさんの手間ひまから始まって、繭を管理し、
 そこから糸を引き出すという工程を経て、風合いが豊か生糸が、初めて生まれてきます。
 セリシンという純度の高い蛋白質を、どの程度に加工するかで、また手触りなども変わってきます。
 少しごわごわした感触から、このショールのように柔らかい風合いまで、千差万別です。
 この暖かさは、たぶん、これを育ててくれたたくさんの農家の皆さんと、
 それを紡いでくれた、千尋の手の暖かさだと思います・・・・」




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からっ風と、繭の郷の子守唄(136)

2013-11-14 11:34:12 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(136)
「風花が去ったあとに残るのは、まっ白な雪の結晶と黒々とした大地」




 2人の姿を飲み込んだ風花は、突風とともに山麓を一気にかけ下っていきます。
風花を大量に舞わせた灰色の雲は下りの勢いに乗ったまま、南に向かって移動していきます。
赤城の峰から思い出したように湧き上がるこうした風花の現象は、時として山麓から
20キロ以上も離れた伊勢崎市や太田市までの広い領域を、真っ白に染めてしまいます。
肩をかばい合うふたりの頭上に、ふたたび、紺碧の群馬の冬空が戻ってきます。
年間のすべての季節を通じ、群馬の青空が一番美しく透き通りながら輝きわたるのは、激しい風が
吹き荒れ、時として風花までを舞い散らしていくこの時期の、厳冬と呼ばれるこの季節です。


 美和子の髪に舞い降りた風花を、康平が手で払い落とします。
荒地の此処の桑園から、一ノ瀬の桑の大木がそびえている丘陵地までは約500m。
赤城山麓の中腹部とも言えるこのあたりから、すべての市街地が一望のもとに見下ろせます。
遥か遠くに横たわる市街地までの空間には、幾重にも連なっていく田んぼと畑の様子が見えています。
所々にかつての桑の木の塊りも見え、風花のせいでようやく黒い大地の姿が蘇ってきました。


 「風花のせいで、一瞬にしてどこもかしこも真っ白に変わり、
 それが溶けたせいで、乾ききっていた畑に、あの懐かしい黒々とした大地などが見えてきました。
 まるで、あたしとあなたの未来を象徴をしているような、一瞬のあいだの出来事です。
 やっぱり、一筋縄ではいかないようです、どこまでいってもあたしたちは。うふふ」


 再び透き通るような青空と、良好な視界が戻ってきた下りの道で美和子が笑っています。
『あんただって、ほら、真っ白じゃないの』美和子が康平の髪についた風花を、そっと手で払い落とします。



 「これまで手がけてきた、あなたの持っている5反の桑畑では足りないの?
 なんでこんな荒地にわざわざ手を入れてまで、大規模に桑畑を作ろうなどと考えているの。
 あたしは、もう2度と糸を紡ぎません。
 現役の歌手のままだし、いまだに作詞家としての道も残っています。
 この子を育てながら、また時期が来たら売れない流しの歌手の世界へ戻っていくつもりです。
 それでもあなたは、無毛なままに、ここで桑を育て上げるつもりなの?」


 「それでもいい。桑の葉は枯れてしまうが、その葉を食べて育った繭は保存が効く。
 その年に出来たものを、その年のうちに生糸にしなくても保存をしておくことは可能だ。
 古くなった繭は、それはそれでまた、別の味わいと風合いが出るという。
 君が糸を引きたくなるまで、繭を貯蔵しておくのもいいだろう。
 赤城の南山麓の一帯には、節のある独特の光沢を持った『赤城のいと』をつむぐ年配者たちが、
 数名になってしまったとはいえ、いまだに現役で糸を紡ぎ続けている。
 おふくろもそうした糸をつむぐらめの実習を、徳次郎さんから受けてきたそうだ。
 良い繭をたくさん生み出すためには、健康な蚕を育てなければならない。
 そのためには、どうしても良質の桑の葉が大量に必要となる。
 俺たちに出来る仕事といえば、ここでは良質な桑を育てて、良い蚕を飼い育てることだ。
 山里の女たちは夜なべ仕事で糸をつむぎ、里に住む女たちが機(はた)を織って絹を生み出した。
 時代に逆行をしている古臭い挑戦と思えるが、この赤城の一帯にまた、
 昔のように桑畑を復活させ、過ぎ去った昔のように蚕を飼って生糸を作ろうという動きが
 若い世代を中心に、なんとなくだが、はじまったばかりさ」



 「呆れちゃうわね、あんた達には。康平も居酒屋を辞めて百姓にでもなるつもりなの?。
 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)で、農業が壊滅的な状況に立たされるかもしれないというのに、
 いまさら農業に熱を上げるなんて、ずいぶんと呑気なことを考えているのね」


 「指導的な立場に立っている徳次郎爺さんも、年々と体力が落ちてきた。
 爺さんが元気なうちに多くのノウハウを学んで、若い世代で受け継いでいきたいと考えている。
 高齢化が進んで、遊休農地や耕作放棄地ばかりが年々増える状況になってきた。
 実働する現役農家の平均年齢は、66歳を超えたと言われている。
 現に、農家の共同体組織のJA(日本農業協同組合)では、正組合員の過半数が
 70歳以上という高齢者たちばかりだ。
 日本の農産物の半分以上を、60歳以上の高齢者が生産をしているんだぜ。
 田舎に生まれ、田舎で育ってきた俺たちがこの農業を見捨てていったいどうするんだよ。
 俺たちが守らなければ後がない、と、ようやくその気になってきた。
 俺に火をつけたのは、京都から千尋さんを追ってやって来たあの英太郎君さ。
 糸を紡ぐ千尋さんのために、見返りを求めない無償の愛で桑を育てたいという心意気に、
 俺の農耕民族の末裔としての血に、火がついちまった・・・・」



 美和子が目を細めながら、康平を見つめています。
2歩ほど離れて後ろを歩いていた距離を、美和子の方から足を早め追いついていきます。
康平の上着をその肩へ返しながら、耳元で美和子がささやきます。

 
 「あなたが農耕民族の末裔なら、それはあたしも同じです。
 あたしも東京へ行く18歳の春まで、ここの大自然に抱かれて育った生粋の田舎娘です。
 すこしだけそんなあなたへ、懐かしい、生糸の話でもしましょう。
 繭から取れる絹糸は大きく分けて、生糸(きいと)、絹紡糸(けんぼうし)紬糸(ちゅうし)の3種類です。
 私たちがつむぐのは、生絹と呼ばれている生糸です。
 生絹と書いて、「せいけん」「きぎぬ」「すずし」と三様に読まれます。
 精練をしていない状態の絹糸や、あるいは絹織物のことなどを指しています。
 ごわごわとした、ちょっと固い感触が大きな特徴です。
 仕立てあがると、張りのある突っ張った感じの着物に出来上がります。
 絹は、蚕の繭から取り出された動物性の繊維です。
 蚕が体内で作り出す、たんぱく質とフィブロインが繊維のもつ主な成分です。
 1個の繭からは約800~1,200mの糸がとれます。
 天然繊維の中では唯一の長繊維(フィラメント糸)として、知られています。
 蚕の繭(まゆ)から引き出した極細の繭糸を数本に揃え、繰糸の状態にしたままの
 絹糸のことを、生糸(きいと)と呼びます。
 これに対して、生糸をアルカリ性の薬品(石鹸・灰汁・曹達など)などで精練をして
 セリシンという膠質の成分を取り除き、光沢や柔軟さを富ませた絹糸のことを、
 製糸した糸・練糸(ねりいと)と呼びます。
 100%セリシンを取り除いた糸は、数%セリシンを残したものに比べ、光沢は著しく劣るようです。
 絹の布をこすりあわせると「キュッキュッ」という独特の音がいたします。
 これが絹だけが持つ「絹鳴り」という特別な現象です。
 繊維断面の形が三角形に近いために、こすり合わせたとき繊維が引っかかりあい、
 この独特の、「絹鳴り」という音が発生すると言われています・・・・
 凹凸のまったくないナイロン繊維では、この音は発生をしません。
 あらぁ・・・・なんで熱くなって、生糸のことなんか語りだしたのでしょう、あたしったら」


 「俺の中に、農耕民族の血が流れているように、君にも
 節のある赤城の糸を紡ぐ女の血が、たぶん流れているためだろう」


 「あたしはもう糸なんか、つむがないもの。たぶん、ね・・・・」



 雪の欠片(かけら)を含んだ灰色の雲の塊が、今度は東に向かって吹き流されていきます。
真っ白に大地を覆っていた風花が、見る間に太陽の日差しを受けて溶けていきます。
大地へ染み込んでいく水のように、白い輝きを放つ雪の結晶は見る間に消え、
そのあとには、黒々としたもともとの豊かな大地が蘇ってきます。


 「まぁ、そう言うな。
 俺はここから見下ろす、いつもの、ここからの景色が大好きだ。
 俺がまだガキだった頃、あそこに見えているあの一ノ瀬の大木を中心に、
 どこもかしこもが、一面の桑の畑だったのをかすかにだけど、覚えている。
 だが、徳次郎老人に言わせれば、それはおそらく幻影を見たものであって、養蚕のピークと
 桑の畑は、俺が生まれてくる10年も前に、すでに消え過ぎ去っていたという話だ。
 手入れをされず巨大化を遂げた桑や、野生化をした元気な桑の姿を見て錯覚したのだろうと言われた。
 だが、俺は今でもこの目で見たと、心のどこかでやっぱりいまだに信じている。
 同級生の五六も、たしかに見た覚えがあると同じように語っていた。
 これからやってくる今年の春のために、俺たちは、3000本の桑の苗を用意した。
 来年もまた桑の苗を用意して、さらに桑の畑を増やしていくつもりでいる。
 いつかまたここから見下ろしたときの光景が、一面の桑畑に変わってくれるかもしれないし、
 そうならない可能性も、たぶん、同時にあると思う・・・・」

 
 「うふふ。強気と弱気が同居をしているわよ、康平ったら。
 ここからの景色にまた、見渡す限り一面の桑畑に変わる日が、やってくるのか・・・・
 そうなったら、きっと壮観な景色だと思います。
 はじめてあなたから聞かせてもらう、男らしい夢なのかもしれません。
 そういえばあたしたちは、未来について語ったことなんか、ただの一度もありません。
 もっとも、その未来を語るはじめる前に、あたしたちは、それぞれに
 別の道を歩き始めてしまいました。
 ここが一面の桑畑に変わる頃、あたしは誰といっしょにその景色を見下ろしているのかしら。
 わかりませんね、人生なんか。絶望のあとに希望がやって来て、希望のあとにまた絶望がやってくる。
 縦と横を織りなしていく絹の布のように、人は、喜びと哀しみの狭間を
 泣いたり笑ったりしながら、生きていくのよね。あんたと、あたしのように・・・・」







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からっ風と、繭の郷の子守唄(135)

2013-11-13 08:48:07 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(135)
「そうは言っても、現実は厳しいのよと寂しく笑う身重の美和子」




 「あら。みなさんから簡単に見捨てられてしまいました。
 何故かいつのまにかあたしたちは荒地に、二人きりにされてしまったようです」

 「気を利かせたつもりなんだろう。俺たちに」


 荒れ放題になったままの桑園を見下ろしている美和子の肩へ、康平が母から
託された絹のショールを労わるように掛けていきます。
『千尋が紡いだ糸ですね。いつも丁寧に、丹念に糸を引いている千尋の手の暖かさを、
感じさせてくれるような肌心地がそのまま伝わってくるもの。懐かしい手触りです』
美和子が両目を細め、首の周りへショールの絹地をかき寄せていきます。



 「いいわね、男たちは。
 無邪気そのものに次の夢を見つけて、すぐに、はしゃぎ始めることができるんだもの。
 女にはとてもそうはいかないわ。10月10日を育て上げ、出産してから長い育児がはじまる。
 男たちが表で夢を追いかけて飛び回っている頃に、おんなは家の中で子供を一人前に育てるの。
 こうしてお腹が大きくなっていくたびに、私の中でも、そういう覚悟と気概が成長する。
 でもね。やっぱり今回は、実家へ帰って産もうと決めました」


 「実家は兄嫁がいて居心地が悪いはずなのに、君はそれでもいいのかい?」


 「もう、充分に鋭気なら養ったもの。
 育児が始まると温泉にも行けなくなるから、いまのうちに行って満喫しましょうと
 貞ちゃんに言われたのが、4日前。
 女たちばかりの3人で、誰に気兼ねすることもなく、のんびりと温泉三昧を楽しんできました。
 その帰り道で、あなたのお母さんが私を迎えに来てくれました。
 あなたの考えとはまったく無関係に、お母さんは私とこの子の身元引受人になってくれるそうです。
 涙が出るほど嬉しい申し出ですが、そうそう甘えてばかりもいられません。
 やっぱり私は実家へ戻り、次のチャンスのために備えることにします」


 「次のチャンスだって?。君は一体何を考えているの」


 「一番はまず、無事に産んでからの子育てのこと。つぎに歌手。そして作詞家。
 この3つが、やっぱり私のこれから先のキーワード。
 私にはそれしか無いし、それしかできないと今でも考えています。
 子持ちの女でも構わないからという男性が現れたら、再婚もその時になったら視野にいれます。
 いずれにしても、あなたとは結婚しません。それだけは、今はっきりと申し上げます」


 「なぜ、俺じゃ駄目なんだ」



 「もうこのあたりで堪忍して、康平。
 他人の子供を身ごもった女なんか、大嫌いだとはっきり言って頂戴。
 あなたの気持ちに報いたいと考えても、この現実と、これまでの経過は消し去ることはできません。
 誰もわたしのことを責めないし、問い詰めてくれないから、かえってそれが辛いの。
 でもね。忍耐のいるキツイ生きかたはこれからなのよ。
 この子を産んだその先から、そういう生き方がきっとはじまるの。
 みんなの優しい気持ちはとても嬉しいけど、だからこそ、私は実家へ帰るのが一番なの。
 分かってくれるわよね、康平。
 覚悟を決め、私はこの赤城の山麓で子供を育てるために戻ってきたの。
 決断のための後押しをしてくれたのも、やっぱり、千尋と貞ちゃんだった」



 突然、荒地へ吹きつけてきた木枯らしが、ふたりの周囲で枯れた木の葉を巻き上げていきます。
真冬になると赤城山の山麓では、よく晴れた日の午後に限って、気候が急変をします。
南に広がる斜面一帯で温められた午前中の空気が、やがて山麓に沿って上昇をはじめます。
雪国との境を示す1400メートルの赤城の峰を超えた次の瞬間から、大量の雲まじりの雲と
大陸からの冷えきった空気の塊を呼び込みます。
突風に煽られた美和子のショールの端を、慌てて康平が抑え込みます。



 「女性の場合、離婚後6ヶ月以内の再婚が不可能なことは、あなたも知っているでしょう。
 離婚した後に妊娠が発覚した場合、離婚後にすぐに再婚をしてしまうと、
 どちらの子どもなのか分からなくなり、たいていがトラブルの原因になるそうです。
 ただし、前夫と再び結婚するか、妊娠する可能性がない(医者の診断書が必要)場合や、
 離婚前から妊娠は発覚をしていて、出産後に再婚する場合などは、6ヶ月以内での
 再婚でも認められるそうです。
 男の場合は、離婚をしたその翌日でも結婚することはできますが、
 女性の場合は、6ヶ月以上が経過をしないと新しい籍へ入れてもらません。
 だから私は実家でこの子を産んで、その後は、誰かが迎えに来てくれるまで
 いつまでも辛抱強く実家で待ちます。この子が生まれてくるのは3月のはじめ。
 私が晴れて解放をされる6ヶ月後は、7月の七夕の時期にあたります。
 民法の中に、婚姻中に妊娠していた場合は、その子どもが生まれた日から
 再婚することができると書いてあるそうですが、私には、特に急ぐ理由は何もありません。
 その日まであなたはゆっくりとこの問題を考えて、納得のいく結論を出してください。
 どんな結論であれ、あなたが出す決断に私は、無条件で従います」



 美和子の目が、真正面から康平を見つめてきます。
北の峰から一気に湧き出してきた鉛色の雲が、またたくまに頭上の青空を覆い始めます。
細かい雪の断片が冷たい空気の中を舞い始め、ふたりが居る荒地には暗い影を落ちてきます。
『風花(かざはな)になりそうだ。とりあえず帰り道に向かおう』
上着を脱いだ康平が、美和子の肩へ羽織らせます。
風花とは、周囲は晴天時なのに雪が風に舞うようにちらちらと舞い落ちてくる現象のことです。
山などに降り積もった雪が、風によって吹き飛ばされ小雪がちらつく現象のことなどを指しています。
静岡県やからっ風で有名な群馬県では、厳冬期によく見られる現象です。
小雪がまじる北風の中で、激しく煽られる前髪を手で押さえた美和子が、ふと康平に
微笑みなどをみせます。


 「万難を排したいと考えています。
 そうでなくてもあたしは、とかくの噂がつきまとうような世界を歩いてきました。
 時代が変わったとは言え、田舎は、まだまだ閉鎖的な部分がたくさん残っている保守の世界です。
 古くからのしきたりや建前などを重んじる傾向が強いところです。
 軽はずみなままみなさんの行為に私が甘え、あなたと暮らし始める訳にはいきません。
 実家の兄やお嫁さんの立場もあるし、あなたのお母さんとあなた自身の立場も別にあります。
 『ほとぼり』を冷まし、みなさんが納得をされるまで、場合によれば何年でもあたしは待ち続けます。
 それくらいの覚悟なら、もうとうに出来上がっています。
 お願いだから康平。簡単に優しい言葉なんかはかけないで。
 あんたに優しくされてしまったら、せっかくのあたしの決心がまた、
 足元から崩れていってしまいます」


 峰からの激しい吹き降ろしの風が、ふたりを横殴りにしていきます。
短い時間に変わり始めてきた山の天気は、周囲を白く染めるほどの風花を舞わせていきます。
吹き降ろしの風に乗って飛んできた雪の断片は、ふたりが歩く大地へ舞い降りてきた次の瞬間、
再び強い風に煽られて、天空へ舞い上がっていきます。
羽毛のような軽さを持つ風花は、いくら舞っても決して大地に降り積もることはありません。
風上へ回った康平が、自分の上着ごとしっかりと美和子の両肩を覆います。
足元から再び舞い上がっていく風花と、さらに北の峰から舞い落ちてくる風花が、一瞬のあいだだけ、
2人の姿を真っ白の世界の中に隠してしまいます。





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からっ風と、繭の郷の子守唄(134)

2013-11-12 09:49:40 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(134)
「荒地の果てに見えるのは、土に生きる男たちの夢」




 『康平~、康平~』と呼ぶ声がどこからか聞こえてきます。
枯れ草をかき分けながら桑畑の下見を繰り返していた五六が、その声を聞きつけて足を停めます。
(気のせいかな・・・・さっきから女の声が、康平を呼んでいるように聞こえるぞ)
本格的な伐採作業にそなえ、桑の木を撤去するために男たちは下調べの真っ最中です。
康平も風に混じって聞こえてくる、自分を呼んでいるような女の声に立ち止まり耳を澄ませています。


 「美和子の声のようにも聞こえたが、そんなはずがない。
 あいつは行方不明のはずだし、だいいち、身重の女が、こんな荒れ地に現れるはずがない」


 「そうか?。でもよ、康平。
 たしかに俺にも聞こえたぜ。誰かやって来たんじゃないか、上の道まで」



 藪のように桑の木と枯れたツルが絡まっているここからは、まったく眺望が利きません。
荒れ放題になっている桑の木と、伸び放題の蔓草(つるくさ)が勝手気ままに絡みついている
かつての桑園は、内部へ立ち入ってきた者の視界を遮るどころか、身動きすらままになりません。
『おう。なにやら、わしにも聞こえたぞ』と茂みの中から徳次郎老人が、ニョキッと顔を出します。


 「人生に悲観したおなごが、どうやら、ここで覚悟の自殺を遂げたと見える。
 あれはこの世に恨みを残しながら命を絶った、女の無念きわまる哀れな声じゃ。
 成仏せいよ。くわばら、くわばら」



 「バカジジィ!。くわばらを使うのは雷がやってきた時だろうが。
 生霊の声ではなく、あれは誰が聴いても、若い女が誰かを呼んでいる声だろう」


 「康平と呼んでいるように、わしにもはっきり聞こえたぞ。
 さては康平が、生霊の女の生贄(いけにえ)にされてしまうのであろうかの?。
 お前も存外に、女どもには罪深い男だから身に覚えがあるであろう。
 それもまた止むを得ない出来事か。運が無いのうお前さまも。くわばら、くわばら」


 「だからそのくわばらは、いい加減にしろと言っているだろうが、この糞ジジィ。
 ところでなんだ。康平が罪深いという、その根拠とは?」



 「おうよ。初恋で見初めた相手とは言え、嫁いで他人の妻となってしまった美和子に
 未練がましくいまだに恋焦がれた挙句、身ごもったと知ると、今度は結局、
 なんにもせずに、ついに見放してしまいよった。
 赤い糸で結ばれているなどと、あれほど得意げな顔をしてほざいていたくせに、
 いざとなれば、またあっさりと別の女じゃ。
 涼しい顔をして、英太郎の昔の女にまで手を出す始末じゃから、はたまた困ったもんじゃ。
 ところがのう、悪いことはできないもので、なんでも数日前から
 康平に関係した女どもが、まとまって、一斉に姿を消してしまったそうじゃ。
 ほれ。例の真っ赤なスポーツカーのおなごも、その座ぐり糸の千尋も一緒の様子じゃ。
 まったく罪深い男じゃのう。康平は。わしの知っている康平はもうすこし真面目で温厚だったが、
 最近の振る舞いはまるで、人の道に外れた、鬼畜のようじゃのう」


 「ふぅ~ん。そりゃあ確かに、上州人の風上にもおけない鬼畜の振る舞いだ。
 だが、意外に康平は女にモテるんだから、その程度の修羅場はお爺にも予想はできただろう。
 しかし、身ごもったくらいで手の平を返すように見捨ててしまったのでは、美和子も可哀相なものだ。
 なるほど。ジジィが言う通りに、確かにそれでは人の道にも反するな・・・・。
 ということはやっぱり美和子は、この先を悲観して、すでに命を絶ったのか、哀れにも」



 「充分に考えられることじゃ。もとの旦那は国外逃亡をして帰ってこないというし、
 肝心の康平からも見捨てられてしまうでは、身重の身体でこの先を生きていても仕方がなかろう。
 どこかそのあたりで息が絶えたと見える。どれ可哀想だから、美和子の亡骸でも探しに行くか。
 お~い、美和子。ジジィが今から探しに行くからな。決して恨むではないぞ」



 「なんだかなぁ。くそジジィも随分と耄碌(もうろく)をしたと見える。
 そう言われてみれば確かにそうだ。
 ここ2~3日、千尋の姿も見えなければあの貞園という赤い車の女の子まで、まったく姿を見せなくなった。
 うるさいのが居なくなってほっとしたが、顔を見せないとなると急に寂しいものもある。
 だいいち、身重の美和子は、ほんとうに何処へ消えたんだ。
 やっぱりお前が、千尋のほうに色目を使ったことが、最終的に命取りになったようだな。
 ジジィが言うように、自殺したという可能性があるかもしれん。たしかに・・・・」



 「縁起でもない。馬鹿なことばかり言うなよ、2人して」と康平は、苦笑を返すばかりです。
『お~い、やっぱり見つけたぞ!。大変だ、こりゃ大変だぁ!』と突然背後から、大絶叫を繰り返す
徳次郎の声が、藪を越えてここまで響いてきます。


 「おっ、何か見つけたらしい。やっぱり只事ではなさそうだな、あの声の様子では」



 いち早い反応を見せた五六が、藪の中をかき分けながら声の方向を目指します。
藪の中は歩きにくく、足元からは常に枯れた蔓草がからまりつき、荒れて伸び放題の桑の枝は、
人の行く手を妨害するかのように、幾重にも重なって立ちはだかります。
ようやく藪をこぎ分けて上の道へ顔を出した五六も、負けずとばかりに大声をあげます。



 「お~い、大変だ、康平。ありえない事がついに起こっちまったぞ。
 早く来いよ。早く来ないとこいつはえらいことになるぜ。しかしまぁ、思いもかけない展開だ。
 大丈夫かよお前。無理をすんなよ、ひとりで無理して動くんじゃねぇ。
 早く来い、康平。お前の力で早いとこ、こいつを助け出してやれ!」

 (助け出す?。いったい何の話だ・・・・)訝りながら、康平も藪の中を進み始めます。
数年ぶりに、人の立ち入いりを許したかつての桑園は、その前進と後退のすべての人の動きを
遮るかのように、あらゆるものが進むたびに立ちふさがります。
足に絡みついた蔓草は容易に切れず、油断をすると上空からは蜘蛛の巣が顔面に襲いかかってきます。
数分をかけながら手と足にからまり続ける草たちを断ち切り、藪からようやく脱出を遂げると、
康平の前方に、母の千佳子の車が停っているのが見えます。


 「おう。やっと出てきたな。慌てたと見えて全身が蜘蛛の巣だらけで登場だ。
 美和子が助手席から出てきてここの様子を眺めたいそうだが、一人で立ち上がるのは大変なようだ。
 康平、手を貸してやれ。未来の花嫁に」



 助手席にもたれかかったままの五六が、車の屋根を叩きながらにんまりと笑っています。
はにかんだままの美和子が、もじもじとしたまま母の車の助手席に座っています。



 「男たちが夢中になっている夢の現場というやつを、しっかりと、自分の目で見たいそうだ。
 身重の体だ。無理はよくねぇ。助手席から立ち上がるのに手を貸してやれよ。
 桑の木は伸び放題でほとんど野生化をしているし、草も伸び放題で荒れ放題だ。
 歩けば蜘蛛の巣だらけになっちまう、どうにもならないかつての桑園のありのままの姿を見せてやれ。
 でもよう。美和子。半年も経ったら、またもう一度ここを見に来てくれ。
 ここはきっと綺麗な更地に変わり、たくさんの桑の苗がここに植えられるているはずだから。
 今のところの荒地の藪だが、この現実の姿ってやつもよく見ておいてくれ。
 男の夢が、こんなくだらない荒地から始まるということを、まもなく生まれてくる赤ん坊にも見せてやれ。
 美和子にまた、糸を紡がせるために、俺が桑の畑を育ててやるからって男らしく宣言をしろ。
 なぁ康平。そのくらいは、見栄を張ってもいいだろう。
 10年以上も美和子を待たせたんだ。そのくらいの甲斐性は美和子に言ってやれ。
 なぁ。その程度の決意をこいつから言って欲しいよなぁ、美和子も」


 「もういいわよ、五六さん。照れちゃうし恥ずかしいもの、顔から火が出そう」



 「バカ野郎。いまさら遠慮をすることはねぇ。
 ガキの頃に映画に誘っておきながら、簡単にすっぽかしちまったあいつが、すべて悪いんだ。
 あれから10年・・・・いや、高校卒業の前だから足かけで、13年目になるはずだ。
 だがよ。そういう康平も、お前さんだけの事を思って、不器用なままに13年間も生きてきた。
 ほら、早く迎えに来いよ、康平。助手席から美和子を出してやれよ」



 康平が助手席のドアを開けると、そのまま右手を美和子に向かって差し出します。
『ありがとう』と応えながら、美和子がゆっくりと助手席から降りてきます。
『康平。美和子を冷やすんじゃないよ。ほら』、羽織っていたショールを、千佳子が康平へ手渡します。
『2人でゆっくりとラブシーンをやってもいいけれど、私や五六や徳爺さんがまだ居るうちは、
がっついて、むしゃぶりついたりするんじゃないよ。はしたないからね、あっはっは』


 笑い声を残し、母の車がスルスルと後退をしていきます。
それに付き添うような形で五六と徳次郎老人もゆっくりと歩きながら、それぞれ
振り返りもせずに2人を残して、荒地から立ち去っていきます。




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