落合順平 作品集

現代小説の部屋。

赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (14) 

2016-12-16 17:13:05 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (14) 
(14)春奴一門の6人の芸妓



 芸者というものはいつ頃、生まれたものなのだろうか。
歌や踊りで座を盛り上げる芸妓が、女性の職業としてはじめて歴史上に
登場したのは、平安時代。
当時流行していた歌や踊りを披露する遊女の白拍子(しらびょうし)が
女性が芸で生きる原点。


 源義経の恋人、静御前も白拍子。
スイカンにエボシという男装で華やかに舞い踊る。艶やかな姿が世間を席巻する。
源平のころ隆盛を極めた白拍子も、時代がくだり戦国の時代をむかえると、
すこしずつ衰退していく。
彼女たちが戻って来るのは、日本が統一され、平和を取り戻した江戸時代になってから。
歌と踊りで客を楽しませる女性たちが、ふたたび浮上してくる。



 京都・八坂神社近くの東山地区に、神社や仏閣にお参りする人たちに、
お茶やお菓子を振舞う水茶屋(みずぢゃや)がある。
料理を運んでいた娘たちが、当時流行り始めていた歌舞伎を真似て、
三味線や踊りを披露するようになる。
この風習は、まもなく江戸にも伝わる。彼女たちは「踊り子」と呼ばれた。
京都の踊子は、のちの時代に舞妓の文化を生み出す。
江戸の踊子は遊郭の中に、芸だけで生きる「芸者」という職業を作りあげる。

 それを成し遂げたのは、ひとりの人気踊り子。
江戸・吉原の遊郭、『扇屋』で活躍した、歌扇(かせん)という女性。
彼女は踊りと歌、そして三味線を得意とし、巧みな話術で座を盛り上げた。
歌扇は、あっという間にお座敷の人気者になる。
歌扇の影響が、またたくまにひろがっていく。
吉原をはじめあちこちの花街で、芸に優れた女性を置くようになる。
これが今日の芸者システムへ発展する。

 


 芸者は、唄と踊り、楽器などの芸で宴の席に興を添える。
座を盛り上げることを仕事とする、女性たちの総称。
関東では、一人前に仕事をこなす女性のことを芸者と呼ぶ。
修行中の身で、半人前の女性のことは半玉と呼び、明確に区別している。
京都では、関東でいう芸者のことを芸妓と呼び、半玉は舞妓と呼んでいる。


 芸者は「置屋」もしくは「屋形」と呼ばれる店に籍を置く。
そこから「茶屋」や「料亭」のお座敷に派遣されていく仕組みになっている。
置屋は、現代における芸能プロダクションのようなもの。
芸者が自ら仕事をとることは有りえない。
ほとんどの場合、置屋のおかみを通して仕事が回って来る。



 京都では全ての舞妓と芸妓の一部が、置屋で共同生活を送る。
たくさんの置屋と、茶屋が集まって形成された街が、いわゆる「花街」。
花柳界と呼ばれている。
京都には祇園や先斗町をはじめとする、花街が5つある。
東京には浅草や神楽坂、赤坂など、6つの花街が存在している。


 芸者という職業は、遊郭の中から誕生した。
ゆえに混同されがちな面が有る。
誕生した当初から芸者と、体を売るのが目的の「娼妓」(しょうぎ)」は、
はっきり明確に区別されていた。
着物の裾の持ち方に、違いを見ることができる。


 娼妓たちは、右手でお引きずりの裾をもって歩く。
これに対し芸者は常に、左手で裾をさばく。
左手で裾をもつと、あわせと逆になる。
着物の中に、手が入らなくなる。
足の美しさを強調するため、娼妓は足袋を履かない。
舞を披露する芸者は、足袋は必携品になる。



 庶民にとって縁遠いと思われがちな芸者の世界。
しかし。私たちの生活の中に、芸者の世界から生まれた慣習が数多くある。
「独立する」という意味で使われる「一本立ち」という言葉。


 「一本」とは、時計が無かった時代。
お座敷で、時間を計るのに使っていた線香を指している。
1本が燃え尽きるまでの時間が、芸者が務めるひと座敷。
そこまでのお金が取れるようになれば一人前という意味から、一本立ちという
言葉が生まれてきた。



 「乙な趣味をお持ちですね、」などと使われる「おつ」。
粋や、美しい、という意味で使われるこの言葉は、芸者がお座敷で弾く、
三味線の音色から生まれたもの。
三味線の高い音色を甲、低い音色を乙、と呼ぶ。
心に響く渋いもの、という意味で『おつ』と言われるようになった。




 さて。春奴姐さんが深川から湯西川温泉にやってきたのは、
今から30年前のこと。
世話好きで、面倒見の良い春奴姐さんは、戦後の復興が落ちついてきた
昭和25年から35年までの10年のあいだに、相次いで
6人の芸妓を育て上げた。


 一番弟子にあたる豆奴は、深川から勝手に春奴に着いてきた。
辰巳芸者時代、姉妹の契を交わした妹芸妓にあたる。
粋な口上と気風が売り物のこの豆奴を筆頭に、鳴り物
(三味線を除く楽器、笛と打楽器の総称)では、右に出るものが
いないと称される2番弟子の小春など、一芸に秀でた芸妓たちが揃っている。
特にひとりだけ湯西川温泉に残った、最年少の弟子の豊奴は、
春奴の再来と言われる、お座敷舞の名手。


 立て続けに弟子が育ったのには、時代の背景がある。




「東京のバスガール」は昭和30年代の東京の観光ブームを唄ったもの。
度経済成長が始まった昭和30年代。
終戦直後の焼け野原から近代都市へ生まれ変わっていく東京に、
空前の観光ブームが起こった。
今も東京観光の代名詞として有名な「はとバス」は、この時代に急成長を遂げた。


 観光ブームはさらに地方へ飛び火する。
首都から2時間足らずの温泉地・鬼怒川は、特急「きぬ」の開通で一躍、注目を集める。
この頃。鬼怒川温泉の奥座敷と言われる湯西川温泉に、東京で評判を集めた
舞の名手がやってきた。それが春奴だ。
噂を聞きつけて春奴のもとへ、連日、芸妓希望者が押しかけてくる。


 高度成長の道をひた走る日本が、大量生産と大量消費の時代を生み出した。
さらに『飽食の時代』なるものが台頭してくる。
この頃から、金に任せた夜の遊びがいちだんと熱を帯びてくる。
日本各地に、国民を上げての旅行と観光地ブームが巻き起こる。
花柳界でも人材育成のブームが巻き起こる。


 それを裏付ける数字が残っている。
全盛期と言われた昭和30年~40年にかけて、花柳界の数は少なくみても、
東京都心部に28ヶ所。
東京の近郊に、54ヶ所が存在した。
都内の赤坂界隈だけでも、300名を超える芸者がいた。


(15)へ、つづく


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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま  (12)

2016-12-14 18:09:53 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (12) 
(12)清子の長い一日



 平家絵巻行列に参加する人たちが体育館で、身支度を整える。
それが終わると、湯殿山神社の境内へ移動する。
出陣式をおこなうためだ。境内で、出陣のための最初の儀式がひらかれる。
壇ノ浦に近い赤間神宮から由来した、『祓神楽(はらえかぐら)』の奉納から、
平家大祭の幕があく。


 『祓神楽』は、赤間神社独自の舞といわれている。
独自の舞が遠く離れた平家落人の里で、巫女たちによって再現されていく。
調子の早い笛と太鼓を伴奏に、白い小袖に緋色の袴を履いた巫女たちが鈴と御幣を
手に、くるくる左右に旋回していく。


 おさげ髪の清子は、髪の長さを足すために髢(かもじ)を使用している。
(※髢(かもじ・髪文字)とは、髪を結ったり垂らしたりする場合に、
地毛の足りない部分を補うためにつかう添え髪・義髪のこと)



 「清子。晴れ舞台や。たっぷり楽しんでおいで」



 豊春にポンと背中を押された清子が、背筋を伸ばす。
唇を小さくつぼめる。背中を伸ばした姿勢を保ったまま、腹部にためた空気を
ゆっくり、しっかり、最後まで吐き切る。
すべての息を吐き終わったあと、きつく唇を閉じる。
鼻孔を大きく開ける。
ゆっくりしたテンポを保ったまま、胸を反らし、腹の一番奥まで、
たっぷり、新鮮な空気を吸い込んでいく。



 清子の背筋の美しさと、袴を身につけた瞬間からたちのぼってくる
初々しさは、幼い時からはじめた剣道に由来している。
ときどき見せるこの呼吸法は『空気を吐きながら、剣を打ち込む』という
剣道の練習方法から、自然に身につけたものだ。



 「緊張しています。だって、産まれて初めての晴れの舞台ですもの」



 清子が、コクリと生唾を呑み込む。
シャン、シャン、シャンと鈴を3度鳴らしてから、緋色の裾を翻す。
静まり返った境内へ、清子が踏み出していく。
大勢の見物人とカメラマンを引き連れて、平家絵巻行列が湯殿神社の境内を
出発するのは、午前11時。
ここから(清子の予想を遥かに超えた)長い一日が幕を開ける。
壇ノ浦の戦いから、831年。
かつての栄華を今に伝えるこの祭りは、清子自身が覚悟していた以上の試練を、
小さな身体に与える。


 鎧甲姿の平清盛と重盛が、まず先頭を行く。
勇壮な男たちの武者行列に続いて、平安時代の旅装束スタイルの小袿(こうちぎ)に、
市女笠(いちめがさ)の女人行列が、そのあとにつづく。
九十九姫物語にちなんだ女人の華やかな行列だ。


 温泉街を進んだあと、稚児行列が最初の休憩をとる。
本隊はそのまま進む。武者姿の男たちが、湯西川の河原で合戦の陣形を張る。
小休止をとる一方、剣劇を含んだ野外合戦などが再現される。
野外劇と休憩が終わると、再び行列が合流して、平家の里を目指して歩き出す。


 行列が門をくぐる。
平家の里の奥へ進み、赤間神宮へ到着したところでこの日の絵巻行列が終了する。
しかし。巫女をつとめている清子の仕事は、まだ終わらない。
境内で凱旋式が始まる。巫女による神事がはじまる。
鈴と御幣を持ち、ゆるやかに5回転ほど舞ってみせた後、御幣をそれぞれの
参拝者の頭にかざしていく。
この頃になると清子もさすがに、疲労のピークを迎えている。


 多数のカメラマンを引き連れたことで、清子の神経は疲弊しきっている。
これほどまで注目されるのは、初めてのことだ。
疲れ果て、虚ろになりながら、それでもなんとか神事の舞いを舞い終える。
ようやくこの日の大役を終わろうとしているそのとき、ささいな
手違いが発生する。


『喉が乾いた』とつぶやいた清子のひとことが、大騒動を巻き起こす。
舞台の主役が代わり、白拍子たちが優雅な舞を披露する頃、
ぐったりしている清子の介抱のため、春奴一門の芸妓たちが、
てんやわんやの大騒ぎになる。



 「誰やぁ。清子に酒を飲ませてしまったのは!」


 「仕方ないやろ。喉が渇いたとこの子が大騒ぎをするんだもの。
 水かと思ったら、入っていたのはお清め用の清酒やった。
 ひとくちで呑んでしまった、清子が悪いんやぁ」


 「最初から最後まで、緊張をし過ぎたのが間違いの原因や。
 いくら初舞台と言うても、ここまで緊張しなくてもいいものを。
 力の抜き方をしらない不器用者やなぁ、この子ったら」



 「いいから、そっちを持って。
 面倒くさいからもう、このまま担いで、ウチまで持って帰ろうか」



 「あんた。おんぶしてやりなさいよ。体力だけはウチの門下で一番だもの」



 「でもなぁ。綺麗やったでこの子。ウチ、久々に感動したわ。
 一切手を抜かず、最初から最後まで巫女の役目を貫徹するなんて、
 案外、熱い気持ちを持っているじゃないの、この子」


 「阿呆なこと言わんといて。ただの加減知らずの、粗忽者や。
 芸子が仕事を終わるたびに、酒を飲んでいちいち倒れていたんでは、
 商売にならへん。
 もう少し根本的に、酒に強くさせる必要があるわ」



 「アホなことをいわんといて。
 15の子に、酒の特訓をさせてどうすんの。常識が疑われてしまうわ」


 「そう言わんと頑張ったんだもの、清子を褒めてあげようよ。
 根性だけで乗り切るとは、子供ながら大したもんや。
 物覚えの悪い亀のような子やけど、可愛いところも案外あるもの。
 早よ行こう。醜態の写真を撮られんうちに。
 この子を早く隠そう。
 こんな、酔いつぶれたみっともない証拠写真を残しておいたら、
 この子の面目が丸つぶれで、可哀想やないか」



(13)へ、つづく



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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (11)

2016-12-13 17:00:03 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (11)
(11)妖艶な巫女姿




 「不思議な雰囲気を持っている子やなぁ、あの子は。
はじめて見る子だが、いったいどこの子や・・・」

 
 ファインダー越しに、ひたすら清子の姿を追い続けていた初老の男が、
ふっと、深いため息を吐く。
カメラから、疲れきった目を離す。
(久しぶりに熱くなった・・・・それにしても、なんとも魅力的な子やなぁ)


 額から流れ落ちてくる汗を、こぶしでぬぐう。
初老の男が見つめる先に、6人の芸妓に取り囲まれている巫女姿の清子がいる。
美人ぞろいの芸妓たちよりも、白装束に緋袴姿の清子はひときわ輝いている。



 この時期になるとこの男は、かならずあらわれる。
壇ノ浦の戦いから831年。平家の栄華を再現する祭りが、湯西川温泉の平家大祭。
湯西川温泉と言えば、平家の落人伝説。
落人伝説をもつ温泉街が、この時期だけ平家一色になる。



 男があらためて、200人あまりの行列を見回していく。
その眼は、獲物を探すタカの目だ。
荘厳な雰囲気を持つ平家大祭を、年に一度の楽しみにしている。
男がやがて小高い位置に陣取る。イベントの始まりを待つ。



 巫女の出番は、最初にやって来る。
少女たちによって演じられる巫女の舞に清められてから、武者と美女達の行列が
出発のときの声をあげる。
平家に由来する湯殿山神社の境内を、後にする。

 
 まちびとたちが扮した平清盛や平敦盛。平重盛と姫君。おおくの武者と白拍子たちが、
安徳天皇の一行を擁護しながら、200名余りの武者行列をつくる。
温泉街を横切り「平家の里」までの登りの道、2kmあまりをねり歩く。


 「ウチの赤襟で、清子といいます。
 ウチ。20年ぶりに芸子を育てることに、いたしました」



 清子に見とれている男の肩を、ポンと春奴が叩く。


 「えっ・・・。
 妙に雰囲気の有る子やなぁと思っていたら、やっぱり春奴一門の新人さんか。
 それにしても、色っぽいなぁ、あの子の立振る舞いは」


 初老の男の顔をのぞきこみながら、ふたたび春奴が笑いかける。



 「何言うてんの、あんた。あんなの、ただ巫女の衣装が似合っているだけやないの。
 相当、ボケてきましたなぁ、あんたも。
 あの子はまだ、半玉でも何でもあらしません。
 2月ほど前、湯西川へやって来ましたが、いまはまだ行儀見習いの修業だけです。
 本格的なお稽古は、なにひとつ、始まっておりません。
 昼間、猫と遊んでいるだけです。
 いまのところは、ただ普通のどこにでもいる娘さんです」


 「嘘つけ。馬鹿なことを言うんじゃねぇ。俺の目は、節穴じゃねえ。
 動くたびに、目を惹きつける何かが有る。
 しかし、偶然とはいえ驚いたねぇ・・・・
 まるで、20年前に巫女役をつとめた、6番目の弟子だった女の子の
 再来かと思ったぜ。
 あの雰囲気は、ただ者じゃねぇ」


 「20年前の女の子は、豊春のことでしょ。
 なんだい。もうろくしましたねぇ。贔屓の芸妓の名前まで忘れちまったのかい。
 薄化粧しただけの清子が際立って見えるなんて、あんたもいよいよ、
 年貢のおさめどきですねぇ」



 「スっと手を挙げる。
 ちょっとした舞の仕草を見せるだけで、ドキリとするものがある。
 嘘じゃねぇ。切れ長の目がこっちを見ただけで、心がとろけそうだ。
 なんだよ・・・ただの俺の勘違いかよ。
 修行にも入っていないど素人の女の子か、あの子は。
 しかし。そうと知っても、やっぱりなんだか、どこか気になる女の子だな」


 「ふふふ。やっぱり節穴じゃなさそうだね。あんたのその目は」



 「あたりまえだ。春奴一門の粒ぞろいの6人の芸妓衆を、売り出す前の
 少女の頃から、つぶさに見つめてきたんだ。
 素材からいえばあの子が、6人の中でピカイチじゃないのか?」


 
 「あの子に、これといった取り柄はありません。
 舞は下手くそ。物覚えも、あきれるほど遅いものがある。
 強いて挙げるとすれば、素直な性格が取り柄かしらねぇ・・・・うっふっふ」


 「嘘つけ。お前さんとは40年来の付き合いになる。
 何かを感じたから、20年ぶりに新人を育てる気持ちになったんだろう?。
 何が見えたんだ。お前さんの目には」


 「芸者になりたいと、いきなり私のところへ飛び込んできました。
 いまどき珍しい子です。
 どうして芸者になりたいという子を、頭から否定したのでは可哀想です。
 もうひとり、最後に育ててもいいかなと考えただけです。
 別に他意は、ありません」



 「納得できねぇなぁ・・・・
 お前さん以上にあの6人が、喜んでいるのも妙に不思議だ。
 で。芸妓名はどうするんだ。それくらいはもう、考えてあるんだろう」


 
 「呼ばれた瞬間に、ニッコリ答える笑顔が素敵です。
 シャンと背筋を伸ばして座るたたずまいは、女が見ても痺れます。
 そんな雰囲気の中から、あの子たちも、何かを感じとっているようです。
 名前のほうはすでに決めてあります。
 ですが、訳がありましてまだ、公表することはできません」



 『冷てえなぁ、お前も』と初老の男が愚痴る。
『ふふふ。そう言うだろうと思っていました。ここだけですよ』
と春奴が近づいてくる。
『大きな声では言えません。ですが特別にお教えしましょう。あなただけに』
と小声でささやく。
『あの子の芸妓名はねぇ・・・』と男の耳に唇を寄せる。




 「・・・・なっ、なんだって。2代目春奴を襲名させるだって!。
 なっ、何を考えているんだいったい、お前は」



 男の驚いた目を見つめながら春奴が
『お静かに。すべてこのことは、ご内密にお願いします』と唇に人差し指を立てる。
ふふふと妖艶に、かつ楽しそうに、ニッコリと笑って見せる。

(12)へ、つづく




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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (10)

2016-12-11 17:22:21 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま 
(10)清子の神楽舞



 たまの心配をよそに清子が、平家大祭の絵巻行列で巫女舞を
演じることが正式に決まってしまう。
大祭は毎年、6月5日、6日の2日間にわたってひらかれる。


 巫女舞は降神巫(こうしんふ)という、神がかりの儀式から生まれたものだ。
緋色の袴を履いた巫女が、巫女鈴を手に、身を清めるための舞を舞う。
右回り、左回りと。順と逆に交互に回る。
ここからリズムを変えて、やがて激しい旋回運動がはじまる。
巫女がトランス状態へ突入していく。


 神がかり(憑依)状態から、高々と巫女が跳躍していく。
巫女が神託を下すことで舞が終着する。
舞という言葉は、この旋舞の動きが語源になっている。
跳躍を主とする神楽舞は、ここから生まれてきたと言われている。




 「それほど心配にはおよびません。
 憑依(ひょうい)をあらわすだけの、ただの座興舞いです。
 誰が見ても絶対にバレないから、大丈夫。
 清子は舞いが下手だなんて、絶対に、見ている人にはわかりません」


 「そうはいきません。お母さんは呑気すぎます。
 失敗したら清子の舞の師匠のあたしの面目が、まる潰れになります!」



 「よく言うよ。
 そう言うあんただって20年前、あたしの顔をまる潰しにしたくせに。
 やめなさいと全員から止められのに、勝手に引き受けてくるんだもの。
 ハラハラしながら、全員で見守ったものさ。
 喜んで踊っていただろう、あんときのあんたも。
 清子と同じ巫女舞を」



 「あっ・・・あ~、そうでした。そういえばそんな事もありましたねぇ。
 あれは清子と同じ、15歳になった時のことです。
 そういえばお姉さんたちから、猛烈に反対されました。
 みんなの反対を押し切って、たしかにわたしは巫女舞を踊りました。
 お母さんだけでしたねぇ。私の巫女舞の味方をしてくれたのは。
 言われてみれば、確かにその通りです」




 「ほら、ごらん。
 いまでこそお前さんは舞の名手ですが、あの頃は本当に酷かった。
 一番弟子の豆奴を筆頭に、5人の姉さん芸妓たちがそろって猛反対したんだ。
 春奴一門の名折れになるから、巫女役を辞退させろと大騒ぎした。
 それでもあんたは、涙ひとつこぼさず、最後まで立派に舞台をつとめた。
 綺麗だった。素敵だった。あんたの巫女役は最高だった。
 でもねぇ。あのときの舞は、やっぱり下手くそでした。
 でもあんたは、あの時の巫女舞のおかげで、何かをつかむことが出来たんだ。
 そんな昔の出来事をふと、思い出しました。
 踊らせてあげても、いいと思うけどね、あたしは。
 あの子にチャンスをあげなさい。
 あたしからも、頭を下げて頼みます。ねぇ、豊春」



 「はい。分かりました。もう何も申しあげません」


 豊奴が、遠い目を見せる。
『確かに、あの子には、チャンスかもしれませんねぇ』と頷いてみせる。
2階からシャンシャンと規則正しく鳴る、巫女鈴の音が聞こえてくる。
『それにしても頑張りますねぇ・・・一向に止む気配がありません』
豊春が鈴音の響いてくる天井を見上げる。


 2階では、疲れきった清子が大の字に寝転んでいる。
放り出された巫女鈴に、たまが飽きもせず、ちょっかいを出し続けている。



 『あんたも子供だねぇ。そんな鈴で遊んで、一体なにが楽しいの?』



 ミイシャが、不思議そうに小首をかしげている。
子猫の成長は早い。
初めてやって来た時は、清子に抱かれて2階まで上がって来たのに、
いまは軽々と垣根を超え、ひさしを伝い、楽々と清子の部屋までやって来る。


 『別に遊んでいるわけじゃねぇ。こいつは清子のための子守唄だ。
 こいつは、この音色を聞いていると、気持ちがよくなって眠くなるらしい。
 昔から、寝る子は育つというだろう。
 睡眠は大切なんだぜ』


 『でもさぁ。本番はまもなくでしょう。
 少しは本気で練習をしないと、まずいんじゃないの?。
 巫女の衣装は一人前でも、肝心の舞が下手くそじゃ、目もあてられないわよ」


 『笑ってごまかすのも、芸のうちだろう。
 肝心なのは、人様の前に立つという強い決意だ。
 舞台度胸というやつは、そうした決意から産まれてくるそうだ。
 こいつ。練習不足でも平然と本番の舞台に立てそうな根性をしている。
 清子は案外、大物かもしれないぜ』



 『無邪気な顔で眠っているもの。たしかに大物かもしれません。
 で、どうすんの?。あたしたちのデートは。
 鈴をいつまでも、シャンシャン鳴らしていたのでは、何時までたっても
 デートなんかできないわ』



 『あわてなさんな。後でたっぷり可愛がってやるからさ。
 とりあえず明るいうちは、お上品に過ごそうぜ。
 天気はいいし、陽気も良くなってきた。慌てて事に及ぶ必要もなさそうだ』


 『ば~か。どうしてあんたは子猫のくせに、あたしの顔を見るとやりたがるの。
 なんだかあたしまで、清子につられて眠くなってきました・・・・
 じゃあ、お楽しみの今夜にそなえて、ひと眠りしょうかしら、
 ふぁあ~』



 『な、なんだよ。お前まで寝ちまうのかよ。
 それじゃ誰が見ても、おいらがただのバカに見えるだろう。
 1人で鈴をシャンシャン鳴らしながら、ひたすら起きているだけのおいらが。
 おい、寝るなよ。別に今から楽しんでも、べつに構わねえんだぜ、おいらは』



 『そうねぇ・・・でも今は遠慮しておく。
 やっぱり、眠くなってきちゃったんだもの・・・・うふん』



 『女というのは、場所も選ばず、よく寝る生き物だなぁ。
 まぁいいか。オイラもなんだか眠くなってきたぜ・・・』


(11)へ、つづく


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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (9)

2016-12-10 17:49:21 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (9)
 (9)芸者とはなんぞや・・・・




 芸者とはなんぞや・・・
まず小学校を出る。それから置屋と年季契約をする。
あとは、ひたすら、芸を磨く精進の日々。
清元や常磐津、義太夫などの三味線を弾き、唄いと舞の稽古に励み、
15歳で雛妓になる。
雛妓(すうぎ)は半人前の時代を指し、『半玉』とも呼ばれる。



 ここから頑張って7年間働く。
さらに1年間のお礼奉公を加えて、都合まる8年。
すべてが経過したところで、ようやく独り立ちが認められる。
「自前」の芸者として1本立ちし、置屋から独立した生活に入る。


 今風のキャバ嬢やコンパニオンのように、衣装とヘアを整えた瞬間から
仕事ができるという、安易な商売では決してない。
とまぁここまでは、戦前までの花柳界のお話。


 終戦後。未成年に関係する条例がすべて改正されて、『お茶屋』が
『料亭』と改名され、年齢制限が厳しくなる。
満18歳からでないと、お座敷に出られない事態になる。
『18歳の振袖など、見ていて気持ち悪い』という声が、あちこちでいっせいにあがる。
だが条例には逆らえない。
いずこの花柳界でも、雛妓(すうぎ)の対応に四苦八苦することになる。

 
 女性が着るきものの袖には、意味が有る。
その昔。万葉の若い女性たちは、袖を振り、男性を誘ったと言われている。
当然のことながら、結婚してしまえば袖を振る必要がなくなる。
ゆえに女性は、結婚した瞬間から袖を留める。
袖の短い、留袖などを着ることになる。



 元禄時代の記録によれば、若い男女はともに振袖を着ていたと記されている。
振袖は通常、男子は17歳の春。女子は結婚の有無にかかわらず19歳の秋、
袖を短くするとともに脇をふさいだ。
その後、振袖は女性の衣装として発展した。
関所を通る際。未婚女性は、振袖を着用していないと通過できないほどだった。
着用していないと、年齢や身分をごまかしていると因縁をつけられた。
未婚女性といえば、振袖を着用するものという認識が広まっていたからだ。
ゆえに関所の近くにはたいてい、貸し振袖屋があったという・・・



 ひと目惚れという病気は、ある日、突然やってくる。
白い子猫をひと目見たあの瞬間から、たまは、熱病のような片思いを味わっている。
だが。白い子猫は、あの日以来いちども姿を見せない。
声を掛けたくて仕方ない。しかし、姿を見せないのではそれも叶わない。



 もやもやしたままのたまが、座布団の上で横になる。
清子が愛用している座布団だ。
15歳の少女特有の匂いが、なぜかたまを安心させる。
ごろんと横に伸びたたまが、そのまま、気持ちの良い眠りの中へ落ちていく。
夢の中に、愛する白い子猫が出てきた。
(おっ。願いが叶ったかな。いとしい白猫ちゃんの登場だ!)


 こちらをチラリと見た白猫が、次の瞬間、フンと背中を向ける。
そのままスタスタと歩き去っていく。
(あ・・・行くなよ!。やっと夢の中で会えたというのに!)



 ブツブツつぶやいているたまの頭上から
『なに寝ぼけてんのさ、あんた』と白い小猫の声が舞いおりてくる。
『え?』寝ぼけ眼(まなこ)のたまの顏を、白い子猫が覗き込む。


 『あたしの名前は、ミイシャ。
 あの子の遊び相手として、やってきたの。
 誘われていたのはわかっていたけど、あの子が眠るまでそばを離れるわけには
 いかないの』


 『おいらの名前は、たま。
 ご主人は、現役芸妓の春奴お母さんさ。あれ・・・・
 君はいつのまに、ここへやって来たの?』



 『下の道でニャあと鳴いて、おねだりしたの。あなたの2番目のご主人様にね。
 そしたら私を抱っこして、この2階まで連れてきてくれたわ。
 あなたの2番目のご主人は、絵巻行列で、未通女(おぼこ)だけに許された、
 巫女の大役を務めるそうです。
 本人は、とことん疲れきっています。
 良い気持ちで、さきほどから、そこで寝ております・・・・うふふ』



 なるほど。
たまが振り返るとそこに、白衣に緋袴の巫女衣装の清子が、
巫女鈴を握りしめたまま、大の字に転がっている。
よほどて疲れ果てたのか、白衣の襟から鮮やかな赤い掛襟をのぞかせたまま、
喉をゆるやかに上下させて、クウクウと眠りこけている。



 『ありゃあ・・・
 よりによって舞いを一番苦手にしている清子が、巫女に扮して、
 神楽舞を担当するのかよ・・・・
 誰が考えても無茶だろう。
 不器用すぎる清子が稽古に疲れ果てて、爆睡に落ちるのも当たり前だ。
 見る目がないなぁ、祭りの役員連中も。
 見た目だけで配役を決めるからこんなことになるんだ。
 平家祭りの責任者たちは、どいつもこいつも、真実を見抜く目がないなぁ、
 まったくもって』

(10)へ、つづく


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