落合順平 作品集

現代小説の部屋。

赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (3)

2016-12-03 18:04:26 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (3)
(3)赤襟は



 赤襟は、半衿(はんえり)のひとつ。
襦袢に縫い付ける替え衿のことで、これを半襟と呼ぶ。
長さが本来の襟の半分程度であることから、この名前がついた。
襦袢を埃や皮脂、整髪料などから守る目的が有る。


 汚れたらはずして洗濯することができる。したがって何度もくりかえし使用される。
半襟は顔にもっとも近い部位にある。
そのため。着物を着こなす際のポイントとして重要視される。
その昔。刺繍などの豪華な装飾を施した、高価な半襟もあった。


 戦前は色衿や、刺繍衿が主流だった。
しかし。第二次世界大戦が、女性のお洒落に水を差した。
戦時中の1940年。この年に公布された『奢侈(しゃし)品等製造販売制限規則』を
きっかけに、襟の色が、白一色に変っていく。
戦後のいちじき。色衿が復活の気配をみせるが、いまだ白一辺倒の傾向が続いている。



 和服の色に合わせて赤、黄、青、緑、桃色、水色、紫などの、
半襟が用意されている。
原則として赤襟は、少女向けとされている。
既婚女性は赤や、それに近い色は避けたほうが無難とされている。


 花柳界には『襟替え』のしきたりがある。
少女がつける赤い半襟。これは「半人前」を意味する。
白い半襟へ掛け替える儀式を襟替えと呼び、半玉や雛妓(すうぎ)が、
一人前の芸妓になったことを形であらわす。
また。このときから、一人前の玉代を受け取ることが出来る。
髪型も大人の日本髪にかわる。
こうしたことを踏まえ、襟を替える前の雛妓たちのことを花柳界では
『赤襟』と呼んでいる。



 老舗旅館の裏手からの帰り道。
腹が満たされたたまは、清子の腕の中で眠りこけている
そんなたまと清子を交互に見つめながら、若女将がポツリとつぶやく。


 「清子。湯西川という街は、優しいところだ。
女たちの人情が豊かな街なのさ。
 お前にはまだわからないだろうが、いつかそれを実感する日がやってくる。
 一年前。わたしがここへやってきた日。
 何も知らない私を花街の女たちが、自分の娘のように迎えてくれた。
 わたしはね、自分で着物を着ることができなかったんだよ。
 そんなわたしに、ひとつひとつ手ほどきしてくれたのが、あんたのお母さんだ。
 春奴姉さんは、心やさしい辰巳芸者だよ」


 「辰巳芸者?、辰巳芸者って、いったいどんな芸者なのですか?」



 「えっ・・・辰巳芸者を知らないのかい?、あんたって子は!。
 無理もないか・・・あんたの年齢じゃ。
 辰巳芸者というのは江戸の深川(東京都江東区)界隈で活躍していた芸者衆のことです。
 江戸の東南の方角にあったことから、「辰巳の芸者」と呼ばれた。
 薄化粧で、身なりは地味な鼠色。冬でも足袋を履かず、素足のまま。
 当時男のものだった羽織を引っ掛けてお座敷に上がり、あえて男っぽい喋り方をした。
 気風がよくて、情に厚く、芸は売っても色は売らない。
 それが江戸を風靡した、辰巳の芸者さ」


 「ということは、お母さんは、深川の出身になるのですか?」



 「違う。お母さんは、越後の海沿いで生まれた。
 かぞえで12になった時。家の事情で売られ、深川へ身を置いたそうです」


 「身を置くというのは、どう言う意味ですか?」



 「苦海に身を置くという、言葉がある。
 苦しみが深くて、苦悩が果てしなく続いていく人間界のことを、
 海にたとえて表現した言葉です。
 親の借金や家の都合で、年頃に成長した娘たちが遊女に売られていく、
 そういう話は、昔はよくありました」


 「・・・女は、売られていくものなのですか?」

 
 清子の青く澄んだ目が、若女将を覗き込む。
清子の目に曇りは無い。15歳になったばかりの、世間を知らない少女の瞳だ。
世俗のことなど、微塵もわからない。


 「お前。生まれたのは群馬県だろう。
 群馬といえば、『廃娼運動』発祥の地だ。
 ・・・そうか。お前はまだ15歳になったばかりか・・・。
 女たちの悲惨な歴史を知らなくても、無理はないのか・・・」



(4)へつづく


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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (2) 

2016-12-02 17:30:54 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (2) 
(2)食事中のたまと、こわもての板長



 「お母さんから芸者というものは、綺麗に座ることからその日のお仕事が
 はじまると教わりました」


 「なるほど。春奴お母さんなら、きっとそう言うはずです。
 その通りです。もじもじしないで、シャンと背筋を伸ばして畳に座る。
 そうすると誰でも美人になれます。
 大きなお姉さんたちと同じように、粋な芸者さんになれます。
 おや、おまえ。よく見ればそれは、春奴お母さんが大切にしてきた着物だねぇ。
 お前が着ているこれ。
 知っているかいお前。これは、結城紬の上物だよ」



 「へぇぇ。そうなんですかぁ、でもね。若女将・・・・
 肩上げと、おはしょりが付いているなんて、なんだか子供じみていて
 着ていて恥ずかしいかぎりです」



 「生意気を言うんじゃないよ。
 肩上げとおはしょりには、親の愛がこもっている。
 子供の成長に合わせて着物のサイズを調節するのが、肩上げとおはしょりだ。
 すこやかに育ってほしいという願いを込めて、ひと針ひと針縫いあげる。
 肩上げを外す日は親にとって寂しい日になる。
 もうこれ以上、おおきくならないことを、認めることになる日だからね。
 たとえ1センチでもいいから親は、子供の成長を願う。
 それがおはしょりと、肩上げさ」


 『ほら。たまが居ました』若女将が立ち止まる。
老舗旅館の裏手の路地だ。
食事中のたまと、それを見守っている板長の姿がそこに有る。
板長の鋭い目が若女将と、うしろに隠れている清子の様子を振りかえる。
食事中のたまも気配に気がつき、頭をあげる。



 たまの小さな頭が、面倒くさそうに振り返る。
『なんだ。清子か・・』フンと鼻を鳴らし、ふたたび食事にとりかかる。



 「ここで、板長をしている銀次さんです。
 見た通り、顔も怖いが性格も荒い。曲がったことが大嫌いなお方です。
 高価な盆栽の松だろうが、気に入らないと真っ直ぐに伸ばしてしまうそうです。
 おまえもこれから、この湯西川で仕事するんだ。
 丁重にご挨拶をしておきなさい。
 お前の大切な未来が、かかっているからね。
 この子猫以上に可愛がってもらえるかどうかの、大事な瀬戸際です。
 うふふ」



 「おいおい、若女将。まいったねぇ。
 根拠もなく、子どもを脅かすんじゃないよ。
 見ろ。本気にしてるじゃねぇか。怯えた顔をしているぞ。
 おう。お前。食い物に、好き嫌いがあるか?。
 嫌いなものが有るのなら、今のうち、ぜんぶ俺に白状しておけ。
 湯西川の旅館全部に『清子はこれとこれが嫌いだから、絶対に出すんじゃねぇ』
 と回覧を出してやる。
 どうだ。有るのか無いのか、食い物で嫌いなものは」


 「お母さんが好き嫌いは言うなと、日頃から厳しく申しております」



 「当たり前だ。
 泣く子も黙る辰巳芸者の春奴姐さんといえば、粋が信条のお方だ。
 そのくらいのことを言えと、おめえさんをしつける。
 だがよ。遠慮することはねぇ。
 誰にも言わねぇ、俺とお前だけのここだけの話だ。
 嫌いな物があるんなら今のうち、はっきりこの俺に言え。
 こう見えても怖い顔をしているが結構、役に立つんだぞ、この俺さまは」



 「たとえ嫌いなものであっても、すすめてくれるお客様の前では
 にっこり笑い、『いただきます』とお礼を言います。
 食物は、たとえ嫌いなものであっても、後になってから人の身体の
 血となり骨となり、活力の源になるそうです」


 「まいったねぇ。若女将。
 子供だと思っていたら、見事に一本取られちまった。
 弟子はもう取りませんと言っていた春奴姉さんが、この子だけは特別にと、
 見込んだだけのことはありそうだ。
 お前はよう。いまも現役で頑張っている伝説の辰巳芸者の春奴が、
 20年ぶりに手がける、久しぶりの赤襟だ。
 春奴と同じように俺も、お前さんの成長が、なんだか楽しみになってきたぜ」


 
 「ごめんなさい。銀次親方。
 清子に、嫌いなものがひとつだけあります」


 「お?、なんでぇ、気が変わったか。
 やっぱり有ったんだな嫌いなものが。遠慮しないで正直に言ってみな」


 「ウチ。化学調味料がだいの苦手です・・・・」



 「ああ?、何を言い出すかと思えば、化学調味料が苦手だと?。
 へぇぇ・・・いまどき流行りの味の素だの、ハイ・ミーなどの化学調味料のことかい。
 安心しな。俺ンところではそういうものは一切使わねぇ。
 カツオと昆布で、ちゃんと出汁を取る。
 なんでぇ。おめえさんは、化学調味料が苦手なのかい?」


 「はい。舌がピリピリ痺れます」



 「なるほどねぇ。ガキだと思ってあなどっていたら、こいつは驚いた。
 子どものくせに、まともな舌を持っている。
 いまどきのいい加減な調理人たちは、流行りの化学調味料をやたらと使う。
 手間をかけず、簡単に仕事を済まそうとする。
 だが安心しな。
 本物の和食を作っている俺たちは、そんなものは使わねぇ。
 旨いものをたらふく食わせてやるから、早く一人前の芸妓になって、
 お座敷へ上がってこい。
 楽しみにしているぜ、俺も。お前さんがお座敷にやって来る、その日を」


(3)へつづく

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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (1)

2016-12-01 17:24:41 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (1)
(1)清子の座りだこ



 着物が良く似合う。
いまどき、足に座りだこのあるおさげ髪の少女。
それが清子という女の子だ。


 正座を繰り返すと、足の同じ場所の皮膚が硬くなり、座りダコができる。
15歳になったばかりの女の子は、まず、深く鼻で呼吸する。
それからおもむろに背筋を伸ばす。
綺麗に畳に座る。その姿勢から行儀と芸妓見習いの修行がはじまる。


 時代は、1970年代の半ば。
この頃はまだ、行儀作法という言葉が世の中に残っていた。



 湯西川温泉の春は遅い。4月の声をきいて、ようやく山陰の雪が溶けはじめる。
雪解けとともに、桜の花が咲く。
この頃から、お端折りと、肩上げの有る結城紬を着た女の子が、
湯西川の街中を走り回るようになった。
おさげを揺らした清子が、赤い鼻緒の下駄をカラコロと鳴らして、
旅館街の路地裏を駆け回っていく。


 「これ。そこのお前。
 ちょいとお待ち。お前が春奴姐さんところへ来た清子かい?。
 せっかくの着物じゃないか。
 2の足をあらわに見せて駆け回るなんて、恥ずかしくないのかい。
 困ったもんだね、近頃の赤襟は。
 着物の裾からチラリと、初々しさが見えるから可愛いんだ。
 それを露骨に脛(すね)まで見せたら、育ち盛りの10歳のガキと同じだ。
 見ていて行儀悪いったら、ありゃしない」



 「あら。そういうあなたは・・・
 どなたかと思えば、伴久ホテルの若女将さん!。
 ウチの『たま』が、朝から出たままなんです。
 お母さんに言われて、たまの行方を探している最中です」


 「たま?。三毛猫の、たまのことかい?。
 下駄をカラコロさせて街中を走り回ったって、無駄だ。
 だいいち。悪戯さかりの子猫は、あんたなんかにゃ絶対に捕まらないさ。
 子猫の行動範囲は、せいぜい広くて50m四方。
 あんた。
 ちゃんと宛(あて)があって、子猫を探し回っているんだろうねぇ。
 闇雲に走り回っても見つかりませんよ、絶対に」



 「そうなんですか・・・
 見つからなかったらウチが困ります。
 うち。午後から、踊りのお稽古が入っているんです。
 でも、踊りが苦手なんです、うち。
 いつまでたっても不器用で、覚えが遅すぎると、おっ師匠さんに怒られてばかりです。
 それなのに遅刻までしてしまったら、おさまりが付きません。
 果てしなく怒られて、こんどこそ、絶対に、愛想つかされてしまいます」


 「なんだい、お前。
 芸妓見習いのくせに、踊りが苦手だというのかい?」



 「いいえ。覚えることが・・・・子供の頃から、人様より、
 少しだけ遅いだけです。すんまへん」


 「生意気を言うんじゃないよ。
 肩上げにお端折りの着物とくれば、それだけで誰が見ても子供じゃないか。
 お師匠さんに怒られたあげく、愛想つかされるのでは気の毒だ。
 ついておいで。心あたりを探してあげよう」



 宇都宮から嫁いで来て、1年。
美人で知られる伴久ホテルの若女将が、『たまが居るのは、こっちだよ』
と清子を手招きする。
旅館街の裏路地を、若女将が先に立って歩いていく。
たまを探す目とは別に、ときどき若女将の目がうしろを着いてくる清子を
興味深そうに振り返る。



 「当てずっぽうに駆け回っても、疲れるだけです。
 たとえ日が暮れても、イタズラ盛りの子猫は、あんたには捕まりません。
 おや、お前。
 まだ肌寒い時期だというのに、足元は素足のまんまかい。
 粋で知られる辰巳芸者の春奴姐さんは、さすがに手加減しませんねぇ。
 へぇぇ。あんた。もう座りタコができているねぇ。
 ひと月足らずで足に座りタコをつくるとは、たいしたもんだ、お前も。
 根性だけはありそうだね。うっふっふ」




(2)へつづく

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