ルカの福音書18:41
『彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです」と言った。』
幸運な人は、自分に来たチャンスをしっかり掴んだ人で、気の毒な人は、自分に来たチャンスを逃した人です。
自分を幸運な人だと思う人は、いつもチャンスが来るのを待っています。
この人たちはチャンスが必ず来ると信じています。
しかし不幸な人は、いつも自分は不幸な人間だからチャンスなんか来ないと勝手に思い、チャンスが来てもそれがチャンスだと思わないで逃してしまいます。
そういう人たちを今までたくさん見て来ました。
不幸な人生から立ち上がる方法が色々あって教えても、聞く耳を持たず、出来ないと一点張りです。
扉が開かれてあっても入ろうとしないし、手に握らせても手を放します。
そしてまるで不幸を楽しんでいるかのように不幸を噛みしめながら生きています。
しかしチャンスを掴む人は目を輝かせています。
夢があり、希望があります。
出来ないというのではなく、出来るという肯定的な思いで自分を奮い立たせながらチャンスを待ちます。
そしてチャンスが来た時には、それを逃さず自分のものにして幸せになります。
イエス様に出会った人も、いつか主に会うことを期待していたでしょう。
主のことばを聞いた時に「主よ。目が見えるようになることです。」と自分の願いを話しました。
主はその人を癒し、その人は願い通りに目が見えるようになりました。
チャンスは来ます。
待ち望む者に。
【祈り】
主よ。主に出会うチャンスを掴んだから今の私がいます。
【聖句をノートに書きましょう】
-主の時-
- 第2コリント6:2
- 第2ペテロ3:10
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