使徒の働き16:25
『真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。』
良いことをしたために迫害を受け、むち打たれ牢の中に入れられたパウロとシラスは、本来ならば辛くて絶望的になるはずなのに、彼らにはそのような姿がまったくありませんでした。
絶望は、希望がない人に来るものです。
彼らは主が喜ぶことをした自負心があるので、牢の中に入れられても、そこで主を賛美し祈ることが出来ました。
彼らは環境に頼ることも人に頼ることもなく「私にとっては生きることはキリスト、死ぬことも益です。」という価値観の中で生きていました。
ですからどんな環境の中にいても、彼らの目はイエス・キリストに向けられていました。
神を見て生きる人は決して失望させられることがありません。
私たちが絶望するのは問題や苦難が大きいからではなく、キリストから目を離し、環境や問題を見ているからです。
へブル12:2
『信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。』
【祈り】
主よ。絶望の中でも、主を見上げる者になれますように。
【聖句をノートに書きましょう】
-賛美と祈り-
- 詩篇139:14
- 詩篇21:13
- 詩篇146:2
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