イザヤ書64:8
『しかし、主よ。今、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの手で造られたものです。』
陶器師が粘土で陶器を作る様子を何度か見たことがあります。
優しく集中して丁寧に作っていました。
荒っぽく作る人を見たことがありません。
みんな心を込めて自分のイメージ通りの器を作っていました。
神様は陶器師で私たちは粘土です。
意味もなく造られた者は一人もいません。
粘土である私たちが陶器師に「こんな器にして下さい」と言える権利はないです。
器は陶器師の思いのままに造られます。
器の立場としては陶器師の目的に沿って用いられることです。
陶器師の思いに従って生きることが大切です。
粘土そのものは本当に価値のないものです。
しかしその粘土が神に用いられるならば尊い器になり、陶器師を喜ばせることが出来ます。
【祈り】
主よ。用いられる陶器になりたいです。
【聖句をノートに書きましょう】
-陶器師と粘土-
- イザヤ書29:16
- イザヤ書30:14
- イザヤ書45:9
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