私は今までいろいろなことを行ってきたけれど、何一つ満足していない。
絵も、
イラストも、
漫画も、
作曲も、
演奏も、
設計も、
開発も、
プログラミングも、
ゲームも。
もっと、美しく、かっこよく、簡単に、使いやすく、スマートに、安く作れたんじゃないかと思っている。
100点満点で満点をとっても、「もっと早く、精度よく、スマートに答えられたんじゃないか?」という不満がずーっと残っている。
だからすべて消化不良のままで残っている。
もちろんその場その時でベストを尽くしているつもりで、それは仕方ない。
でも、たまに似たような人と出会って一緒に作業できると、それはとても面白い。
「本当にそれで満足できる?」
と言われた時には、ドキッとする。
「もっとやっていいんだ!」
期限いっぱいまで使って、最後の最後まで修正を加える。
そういう仕事は自信をもってやり遂げることができる。
ほかの人に仕事を任せる時も同じで、かなり完成に近いと思って、
「おー。すごいじゃない。これで行こうか?」
「まだ、もうちょっと直したいところがあるんです」
もう、そういわれたら私は放っておくことにしている。
期限いっぱいまで、場合によれば期限を延ばしてでも、納得いくまでやらせてあげることにしている。
そうやってできた仕事は、こちらの要求を満たした上に、さらに感動を呼ぶ。
ストイックなまでの質の追及。
私はそういう仕事がしたい。
「これはやっつけ仕事だから、できなりでいいよ」
とか、
「この予算だから別にそこまでやらなくていいよ」
とか、
「なにそれ、面倒」
とか、相当「雑」な仕事をする人と作業をすると、それは満足できる仕事はできないわけですよ。
報酬がいくらだとか関係なくね。
災害ボランティアに何度か参加しているけれど、無償奉仕だからと言って手を抜かないわけですよ。
お宅の家財道具や家をきれいにする。
他人から見たら汚れていて壊れているものであっても、家主さんとしては絶対に捨てられない宝の場合がある。
だから見た目で判断せず、すべてのものをより分けてきれいにする。
活動するほうも災害後だから、二次災害や危険なものもあるので、負傷や事故、感染の可能性を考えて、最大限の配慮をする。
「無償だから適当にやっておけばいい」
という考えの人は、そもそも来てもらっては困る。
実際は、目に見えて作業の成果がわかるため、オーバーワークしてしまう人が出てしまうので、頻繁に休憩をとるぐらいがちょうどよい。
一番厄介なのは、黙々と質を追求する人を捕まえて、まったく無関係な横やりを入れて、混乱させようとする人もいるという事実。
「そんな無駄なことしてどうする?」
「金と時間の無駄だよ」
「無理なことするな」
などと言って、作業の価値そのものを否定する輩も存在する。
バッサリ切り落とすか、無視するに限る。
そういう人は、質を追求することを最初からあきらめている。
物事を洗練させようとする人をやっかんでいたり、自分の立場が危うくなるのを怖れているなど、目の前の自分の利益しか見ていない。
そういう人と仕事をするだけ無駄なので、関わらないことにした。
ありがたいことに、ヘッドハンティングらしいことをしてきてくれる人はいるが、
「給料」「肩書」「役職」
を条件に出してきた時点で、相手にしていない。
だって私はそれらすべてを捨てたのだから。
「仕事の質」を追求するために会社を辞めたのに、それをできなくなる条件を提示されても飲めるわけがないではないか。
本末転倒なので、それらのお誘いは断る。
そのスタンスだけはここ数日で確立できたように思う。
絵も、
イラストも、
漫画も、
作曲も、
演奏も、
設計も、
開発も、
プログラミングも、
ゲームも。
もっと、美しく、かっこよく、簡単に、使いやすく、スマートに、安く作れたんじゃないかと思っている。
100点満点で満点をとっても、「もっと早く、精度よく、スマートに答えられたんじゃないか?」という不満がずーっと残っている。
だからすべて消化不良のままで残っている。
もちろんその場その時でベストを尽くしているつもりで、それは仕方ない。
でも、たまに似たような人と出会って一緒に作業できると、それはとても面白い。
「本当にそれで満足できる?」
と言われた時には、ドキッとする。
「もっとやっていいんだ!」
期限いっぱいまで使って、最後の最後まで修正を加える。
そういう仕事は自信をもってやり遂げることができる。
ほかの人に仕事を任せる時も同じで、かなり完成に近いと思って、
「おー。すごいじゃない。これで行こうか?」
「まだ、もうちょっと直したいところがあるんです」
もう、そういわれたら私は放っておくことにしている。
期限いっぱいまで、場合によれば期限を延ばしてでも、納得いくまでやらせてあげることにしている。
そうやってできた仕事は、こちらの要求を満たした上に、さらに感動を呼ぶ。
ストイックなまでの質の追及。
私はそういう仕事がしたい。
「これはやっつけ仕事だから、できなりでいいよ」
とか、
「この予算だから別にそこまでやらなくていいよ」
とか、
「なにそれ、面倒」
とか、相当「雑」な仕事をする人と作業をすると、それは満足できる仕事はできないわけですよ。
報酬がいくらだとか関係なくね。
災害ボランティアに何度か参加しているけれど、無償奉仕だからと言って手を抜かないわけですよ。
お宅の家財道具や家をきれいにする。
他人から見たら汚れていて壊れているものであっても、家主さんとしては絶対に捨てられない宝の場合がある。
だから見た目で判断せず、すべてのものをより分けてきれいにする。
活動するほうも災害後だから、二次災害や危険なものもあるので、負傷や事故、感染の可能性を考えて、最大限の配慮をする。
「無償だから適当にやっておけばいい」
という考えの人は、そもそも来てもらっては困る。
実際は、目に見えて作業の成果がわかるため、オーバーワークしてしまう人が出てしまうので、頻繁に休憩をとるぐらいがちょうどよい。
一番厄介なのは、黙々と質を追求する人を捕まえて、まったく無関係な横やりを入れて、混乱させようとする人もいるという事実。
「そんな無駄なことしてどうする?」
「金と時間の無駄だよ」
「無理なことするな」
などと言って、作業の価値そのものを否定する輩も存在する。
バッサリ切り落とすか、無視するに限る。
そういう人は、質を追求することを最初からあきらめている。
物事を洗練させようとする人をやっかんでいたり、自分の立場が危うくなるのを怖れているなど、目の前の自分の利益しか見ていない。
そういう人と仕事をするだけ無駄なので、関わらないことにした。
ありがたいことに、ヘッドハンティングらしいことをしてきてくれる人はいるが、
「給料」「肩書」「役職」
を条件に出してきた時点で、相手にしていない。
だって私はそれらすべてを捨てたのだから。
「仕事の質」を追求するために会社を辞めたのに、それをできなくなる条件を提示されても飲めるわけがないではないか。
本末転倒なので、それらのお誘いは断る。
そのスタンスだけはここ数日で確立できたように思う。