2011年3月11日、パソコン作業をしていたら大きな揺れが来た。
水素を扱う研究をしている建物の3階の天井から煙が吹き出すのを見て、机の下に隠れる。
すぐに照明が切れ、天井のモルタルが2畳ほど落ちてきた。
机の下に隠れる意味が初めてわかった瞬間だった。
その後、シュミレーションが主業務だったため、埼玉にサテライト勤務になった。
埼玉は栃木ほど壊滅的被害はなく、電気などのインフラも止まることなく日常生活に支障はなかった。
社内広報テレビも見られ、本社社長が、
「栃木の研究所の復旧が早く素晴らしい」
などと言っていた。
それを見て、本社社長にメールした。
社長自ら速さ重視で復旧したら、また不安全な掘っ立て小屋が出来上がる。
返事よこさなければ直接東京本社に会いに行きますよ。
といった内容。
結局本社社長から返事はなく、同じ敷地の子会社社長と直接面談することになった。
言っていることは全面的に正しい。
プロセスには問題がある、と。
栃木の建物は、それは立派に復旧したけれど、本社も子会社も社長はすぐに変わり、結局は大した人はいないという結論で2017年に辞めることになる。
そこでも得られる結論としても、組織は最大公約数になり個別対応など難しい。
数年前まで世界的な中小企業の位置づけの企業が、何を勘違いしたか大企業病にだけはしっかり罹患して保守層だらけになってしまった。
頭を出したら伸ばすのではなく、とにかく足を引っ張り合って泥沼の底辺試合を繰り広げるくだらない集団になっていた。
入社1年目で辞めるつもりだったのに、18年もいてしまった。
体調も最悪になり死も覚悟した。
くだらなさを挙げればきりがないけれど、辞めて1年後、大量に服薬していた薬を飲むことがなくなり、血液検査値が全て正常になったことから、全く水が合わないとはこのことなのだろうと思う。
別にどのような組織でも最大公約数的な落としどころに集約されるので、どこに行っても完璧な組織というものは存在しないと考えている。
ではその理想を追いかけようとも思うけれど、結局組織化すれば共通項を探してルール化しなければ組織運用などできない。
1人から3人ぐらいですよ。
意思疎通して9割近く同じ目的で行動できるのは。
それも何十年も同じ面子なら次第に馴れ合いが生じる。
組織にいるけれど、自分は持ち続ける。
いつでも辞める権利を持つことにより、お互いの緊張感を維持する。
海外の技能実習生は辞められない。
本来海外で働こうという能力の高い人なのに、単純労働の安い賃金の歯車と化す。
社長も本来高く将来的なビジョンを持って海外技能実習生を雇うが、その便利さを活用してしまう。
日本人も海外技能実習生とあんまり変わらないのですけれど。