騙すほうが悪いんですけどね。明らかに。
騙す方も騙している意識を持っていない場合もあるので、騙されないためには自分自身で学んで考える必要があります。
このブログもそう思って読んでもらいたい。
SNSなどで、こりゃ騙しているなと思う記事について、あれやこれや書いて整理しておこう。
ネットには正しい情報しかないので、どれだけ話題性のある文章の書き方をするかが、ブログなどのアクセス増加のポイント
間違っている記事のほうが多いです。
逆に正しい記事を書くことのほうが難しい。
ある物事の結果に対して、その原因との因果関係をすべて述べることなんて、基本的には無理です。
なぜバネが伸び縮みするか?
F=kx
の変形荷重式を書くのは簡単ですが、「焼入れ焼きなましによる組成金属の分子間結合力からバネ力を算出せよ」と言われて、400字程度で説明することは無理です。
読む側の知識・認識能力も求められます。
もっともそれ以前に、てにをはや漢字の誤変換をしっかり修正しているかとか、文法や構成などが正しいかなどの表現手法そのものの間違いが訂正されていない文章もあるので、読むに値しない文章も多々あります。
エポックメイキングな文章は、瞬間的なアクセス数増加を見込めますが、長く閲覧される記事は、詳細な取材と、難しい内容をどのようにわかりやすく表現するかのバランスの上に成り立つもので、そのような記事が最終的に恒常的な価値を得ます。
自分で働く仕事ではなく、人を扱う仕事で、長く簡単に高収入
手を抜くことしかできない人が飛びつきそうな内容です。
本当に技術能力がある人は、技術能力のある人のもとに集まります。
技術能力のない人の下に付けば、正当な評価を得ることもありえない。
マネジメントしかできない人もいますが、技術能力がないので、自分のモチベーション維持のために実力者を見下したり、実力者から見下されることに戦々恐々です。
そのような環境下で技術能力を持つ人は、イメージで数%の実力を出せればいいほうで、自分の能力を100%使い切ることはもちろん120%の出力を得るための技術習得もできない。
学卒の能力を、年老いていくまま衰えさせてしまう。
結局そのような仕事環境は長く続くことなく、衰えていきます。
技術革新など夢のまた夢です。
私の知る限り、日本のほとんどの会社はこのように成り立っていますが。
手を抜くことは必要ですが、手を抜くことによって、より高精度なものやサービスを提供できる見込みがあることを自動化するもので、そうでなくその後の修正のために非常に多くの手直しやその時間を費やすのでは本末転倒です。
その自動化をするために、学問があると思うのですが。
日本の科学技術と品質は十分に高いので、これ以上上げる必要はなく、いかに売るかのほうが重要
かつて松下政経塾でこのような論理を展開していた塾生がおりましたが、全く物事をわかっていない。
その慢心が世界から経済的な遅れをとってしまっているというのに。
そんな人間が政治経済の先頭を切ってはいけないという危機感だけはありました。
第二次産業のものづくりの能力が中国など諸外国に吸収され国内空洞化してしまう。
ものを動かすためのソフトウェアやITなどは第三次産業とされていますが、どちらかといえば第二次産業と第三次産業の間の、第2.5次産業と言えると思います。
ハードウェア重視でソフトウェア軽視も商品価値を低下させるけれど、ハードウェア軽視でソフトウェア重視でも商品価値は低下する。
ハードウェアもソフトウェアも両方を理解してものを作っていく必要があります。
ものづくり能力がないところでソフトを作っても、総合的に良いものは作れません。
もちろん、それらの根本技術を支える基礎科学分野の充実は欠かせません。
それは政治経済においても軽視して良い分野などないことからもわかりそうなものだけど。
つまり、どこにおいても、もう十分ということはなく、常に最先端を追っていかない限り劣化していく。
自宅で短時間でかんたんに収入を得られる副業!
メルカリで安くて価値のないものを、巧みな言葉で高く見せて強引に売りつける?
昨年マスクなどで大量の転売屋が発生した原因でもありますね。
手間はかかるわ、人からの信用を失うわ、個人的には収入に対して全く割に合わない仕事だと思っています。
整理し始めたのですが、やたら時間がかかるだけですね。
そういうことも含めた棚卸しなので、全く無意味ではないけれど。
もう口が悪いとは重々承知しているのですが、馬鹿に馬鹿と言わず、論理的に説明しようとすると、やたら大変なのですよ。
関係を諦めても寄ってくるので、具体的な事例をもとに、事前にこちらから関係を諦める内容を整理しておく必要があるということですね。
ソーシャル・ディスタンス(当初はsocial distancingと言われていたと記憶している)が昨年から言われるようになりましたが、他人との適切な距離関係は、いずれのときも場合も必要だとは思っています。