何も考えない人が、何も考えないでルールを作ると、失敗する。
ハリーポッターで、やたらルールを作って制限する先生が出てきますが。
破綻するんですよ。
矛盾するルールを深く考えないで設定してしまう。
ルールがルールを縛って、そのルールをくぐり抜けるために新たなルールが必要になる。
めでたく、どんどん矛盾するルールが出来上がり、結局のところそのルールは意味のないものになる。
そもそもなぜルールが必要かを理解してないんですよ。
人の行動を制限するため?
なぜ制限する必要があるのか?
それを制限してどのようなメリットデメリットがあるのか?
そもそもそのルールは既存のルールに反しないか?
法律は意外とよくできていて、それぞれの法律が矛盾しないようになっている。
すべて論理的に正しければ答えは明確になるし、制限されているようで実は制限されていないこともわかる。
法律を守ることが、最終的に自分を守り、自分のやりたいことを成功に導く。
そういうものだから、感染症を封じ込めるために行動を制限するよう短絡的に法律なんか決めてしまうと、感染症が収まった後になんだかよくわからない制限ができてしまい、そもそもなんでそんなルールができたのかわからなくなってしまう。
下手に外出を制限する法律ができてしまって、有事の際に家を出てはいけない法律ができてしまったとする。
外に出られなくなるルールを自ら望んで作ったのに、家の中にいつづけるほうが危険な場合、なんで出られないんだと腹を立てたりするのも民衆だったりする。
家の中でじっとしているのは、案外きついものですよ?
毎日外に出て仕事とかしていると、ゆっくり家の中で過ごしたほうがいいような気がしてくるけれど、外に出ないと不安になって悪い考えがぐるぐる回ってどんどん落ち込んだりするもんです。
なんでこんなに苦しまなくてはならないんだ?
あなたが望んで作ってもらったルールなのにも関わらず。
あらゆる人の精神状態や経済観念、肉体や病気の変化、社会構造の変化、環境の変化や科学技術の進化など、すべて想定してそれらが変化したとしてもルールが矛盾しないように作る必要がある。
そういった意味では、法律の中でも、すでに放送法は意味を成さなくなっていると考えられますけれど。
放送は多くの人の意識や思想を変える力があるから、法律でその力を制限しつつ発展させる必要があった。
すでに新聞やチラシや雑誌などがその役目を果たさなくなりつつあるように、テレビやラジオもインターネットに変わりつつある。
ネットでテレビが見られるからNHKの受信料が請求できるとか、そもそも目的と手段を勘違いしている。
放送するための発信インフラや受信システム、放送コンテンツを作るために受信料を払うならわかる。
しかしインターネットは、テレビの放送システムから全く離れたところで作られ、発展したもの。
別にNHKが主導して作り出したシステムでもなんでもないのだから、そこに受信料を課す意味がない。
NHKが既得権益を維持したいために、放送法を拡大しようとしている悪あがきに見える。
そこに表現の自由や放送コンテンツの自由が存在するのかは、甚だ疑わしい。
衛星放送のために莫大な費用をかけて人工衛星を打ち上げることに同意した覚えはないのですよ。
それこそネットワークでなんとかなってしまう時代なのだから。
衛星放送受信料など払う必要がそもそもない。
仮にオリンピックが開催されたとして、家で高画質のテレビの前でかじりついて見るより、YouTubeで実際の競技を見ながら、実況付きで、好きなアングルで、好きなように見たほうがよっぽど面白い。
それでもYouTubeだけに独占的なネット放送をされては困るから、ニコニコ動画などその他の動画サービスが存在することは必要不可欠だと思う。
ではそこにNHKが入って、配信の公正さを維持できるかは甚だ疑わしい。
そもそもインターネットが普及しだした際、NHKはインターネットを全く活用しなかった。
テレビメディアが意味をなさなくなることに脅威を感じていたのだろうけれど。
そんな組織がインターネットで見れるから受信料を請求できるなんて主張できると思うのは、勘違いも甚だしい。
冒頭に戻れば、何も考えない人が、何も考えずにルールを作ると失敗するのですよ。
自分で自分の首を絞めるぐらいには、しっぺ返しを食らう。
そんなことは山ほどありますけれどね。