VTuberは、見た目がCGでアニメキャラクターのようだけれど、実在は現実を生きる人間。
テレビのアイドルと同じかもしれないけれど、華やかに見えても、病気もするし、親子の問題もあるし、生理もあればケガもする。
いまを生きている人間に変わりがない。
疲れ過ぎれば病気にもなる。
男女で性交すれば、子供もできる時がある。
人は全知全能ではない。
シュレディンガーの猫の思考実験のように、物事は観測しなければ確定しない。
想像の域を出なければ現実ではない。
太陽の表面も、地球の中心も、ブラックホールの中心も予測はできる。
しかし現地で体感した瞬間に、人は死ぬ。
したがって人はすべてを知ることができない。
教科書に載っていることは、その理論に基づけば、まぁ8割はうまくいくという効率化手段。
実際にやってみれば、2割はほとんどの人は経験していないし、知らないことで、そこにたどり着けば必ず間違える。
つまり、「失敗しない」「間違えない」人というのは、何もやっていないということになる。
なんでもやってみれば、簡単に解決できない領域が存在することがわかる。
「正確なFコードを弾く」
と言われても、まずFコードが何かわからなければどうにもできない。
ギターのFコードを、何の練習もなくすぐに抑えられる人は、基本的にいない。
知っていたとしても。
同じFコードでも、ピアノなど鍵盤楽器ではファラドだけれど。
「じゃあFコードからボサノバを弾いてみようか」
「この曲をFコード開始で編曲しようか」
と言われて、いきなり弾ける人もいない。
(いないと断定できる)
全知全能な人間など存在しない。
逆に、全知全能な人間がいると述べる人は、相当世の中を知らないということになる。
だから、神は存在しない。
Q.E.D.
最近漫画を読んでも、
絶対的な正義とか、
転生とか、
神とか、
天使や悪魔とか、
超常術とか、
そういった存在しないものを想像し希望することができるのは、確かに人の特権なのだけれども、そういった想像しないものに思考を歪めてしまい、判断を誤るのも人だと思うと、しらけるのも事実。
本当に存在を確定できること。
例えば、自分は数十年生きてきたけれど、実はそのあたりをランドセルを背負って通学している小学生に、将棋で負ける事実も知らなければならない。
また、非常に偉いと思われる肩書を持っている人が、蝶結びさえ満足にできない事実を認めること。
それが自分だったとしても、その事実を受け入れて、正しく認識する必要も存在する。
逆に、他人に卑下されて、自分からも卑下していた自分が、実は他の誰よりも技能を蓄積している事実も、正確に認識しておく必要がある。
物事を正しく知るには、自分自身の過酷な現実も、他人のくだらなさも、色々と知っておく必要がある。
知らないで、やらないで諦めてしまったら、やっぱりそこまでの人間になる。
全く違う文化を受け入れる土台が、頭の良さになるのかもれない。
まずはやること。
そして死なないこと。