気になったので、GRITについて調べています。
直訳すれば、「度胸」。
諦めないでやりきること。
普段自分がやっていることですが。
なにかすごいことを成す素質は、天賦の才能とか、天才ではない。
地道に、諦めずに、基本的なことをコツコツと積み重ねた結果がすごいことになる。
天才とか才能とかに結びつけるのは、そこに至るまでのプロセスを諦めるための人の心理。
とんでもなく様々な技術を、ひたすら極めて行った末の成果なので。
自分に足りないなぁと思っていることの情報は手に入れた。
最終目標を決めて、やらないことを決める。
やりたいことをするためには、時間も費用も限られる。
現在の細々とした多くの中目標に共通する大目標を定めて、直結しない目標は思い切って捨てる。
集中と選択ですね。
切り捨てたけれど、またやれるときが来ればそのときにやればいいレベルに落とす。
そうしないとコツコツと集中して行うこともできない。
諦めるのではなく、集中するために一度手放す。
日本は、物事に集中するためには素晴らしい文化だと思います。
他文化の侵略を受けにくい。
そういった意味では集中ができる。
しかし、物事を極めることは難しい。
異端を認めづらい文化でもあるため。
共通文化集合の突破力は強いけれど、広い視野を持った多角性は低い。
盲目的な集中とも言える。
オタクや引きこもりであったほうが、物事を極めやすい。
ついでに他の件で興味があったので、人類の進化を改めて調べたのだけれど、ヒトの脳の大きさは退化しているとのこと。
納得はできる。
人類文化で理論化単純化することにより、複雑怪奇な事柄を直感で処理するより、計算科学で処理できるようになった。
ヒトの五感や直感や肉体を鍛え上げなくても、生き延びることが可能になった。
道具に機能を分散した結果、ヒト個人の処理能力は退化しても良くなった。
だからヒトの脳は退化した。
養老孟司さんも言っていたかしら?
ウェルズの小説「タイム・マシン」での未来人は、完全に退化してしまう。
私達自身も、信じたくないかもしれないけれど、昔の人達に比べて退化している可能性を持たないとならないと思う。
便利になって、IQが高いことが進化だと思わないこと。
それは退化でもありうることを、思考の片隅に持ち続けることは重要。