現代の理科の知識で考えれば、植物が光合成で酸素を作り、その酸素で動物が生きているというのは常識と思われる。
都市化された人工物の中では、その植物の絶対数は減り、ところどころに存在する程度になる。
しかもその植物に、光合成を行うための十分な太陽光が届いているかと考えると、疑問にも思える。
都市部の植栽の伐採が問題になっている。
景観云々よりも、本来なぜ都市部へ公園を作るのかといえば、人工物から自然を維持するためでもあり、避難場所として機能するためでもある。
経済理論的効率化を優先しすぎて、植物が持つ二酸化炭素を酸素に変える能力が忘れられている気もする。
森林浴をしたほうがいいのかもしれない。
考えるだけでなく、肉体的に五感以上で感じることは重要だ。
視聴味臭触に加え、内蔵全体で感じる体感。
それは頭の中の想像や、文字情報では得られない。
高い山に登れば、酸素が薄く、高山病の諸症状が現れる。
頭痛
ふらつき感
食欲不振
吐き気と嘔吐
疲労
脱力
怒りっぽさ
これらの症状は、まさに都市部で働く労働者の諸症状に当てはまるのではないか?
人の持つ生き物としての根本的な特性を無視した、経済優先の効率化は、結果として人を滅ぼす。
宮崎駿が何十年も前から提唱している。
文化歴史的にも、人が生きるために都市計画に緑化が組み込まれた。
年月が経つと忘れてしまうのが人の性(さが)とはいえ、大衆が自ら滅亡の選択肢を選んでしまうのは、愚かとも言える。
大抵の人が目の前の権利を主張して、それと矛盾する権利を失う主張をしていることにさえ気づいていないというのは、往々にしてあることなのだけど。
それを賢いと思うか、愚かと思うかは、人それぞれ。