前の会社を辞めて、ものすごく健康になった。
病院に行くお金もなかったのだけど、行く必要がなかった。
心配だったので血液検査したら、全てが正常値だったのだけど。
金や権力を持って、全てが思い通りになる。
これが幸せかと問われれば、そうとも限らないと結論できる。
自営業となったとき、収入は激減した。
ところがサラリーマンは基本的に収入を正確に処理するため、どんなに収入が減っても県町民税が次の年に請求される。
日本国内の制度だと、収入は常に一定である前提で税制も成り立っている。
自営業であれば、純利益を完全にプラスにするのは簡単ではない。
固定費や光熱費、交通費などの支出を計上すると、利益はやっとプラスになる程度。
税金は減免対象になる。
前職では、人は言うことを聞くのが当たり前になっていた。
取引先会社は機嫌を損なわないために、どんなに理不尽な要求でも、ニコニコ受けなければならない。
ものを設計するために、専門メーカーにさんざん問い合わせて設計できた結果、取引先を限定しないためのコンペがあり、他社に発注される。
怒ることもできないので、愚痴レベルで文句を言われるけれど、実際に製品を作る機会を失い打撃は受けている。
メーカーにも、必ず受注があるという慢心があるのだけど。
そう。「慢心」が問題。
本来簡単には得られない、人が言うことを聞くとか、多くの可処分所得が得られるとか、そういった「ありがたいこと」が当たり前になってしまい、それが当然となる。
その裏ではいろんな人が、本当の不満を我慢して理不尽な要求でもニコニコして受けなければならないにも関わらず。
その不満はある臨界点を超えて爆発する。
その時はすでに後戻りできないほどのモラル崩壊が起きていて、経営幹部やそれ以上から「人とは?」という根本教育が必要になってしまう。
私の幸運は、災害ボランティアを行うことによって、その歪みを自ら感じ取れたことです。
結果辞めて健康を手に入れた。
残っている人は、現実からかけ離れた認識を保持してしまい、絵空事を当然のように話す間違った「夢」を妄想するばかり。
本当は得にくい、ありがたいことを当然のように得てしまった結果、他人の事情など全く省みることなく自分の欲求のみ押し付ける、大量の「わがままな子供」を量産することになる。
さらにそのわがままが権力を持っているので、相当たちが悪い。
これは大きな成功と、それに伴い失うものについて、十分な理解をしていないと起こってしまう、普遍的な人の歴史でもある。
人より優れた成果や結果を得た場合、それに伴って責任が発生する。
無責任ではいられないのだけど、無責任なまま成功を収めた結果、そのままでいいと思ってしまう。
状況が変わったのだから、今までのやり方は刷新しなければならないのにも関わらず。
精神的に子供のまま、大人の権力を持ってしまう。
他人は基本的に思い通りにならないとか、現実に起こる事柄は、そう簡単に理想通りにならないとか、そういった当たり前の現実を忘れてしまう。
それが幸せだと思う人もいるのだろうけれど、少なくとも私にとっては非常識すぎて不幸せだった。
バブルで熱狂する文化を尻目に、親からの経済的援助なく、ひたすら勉強と生活のための仕事に打ち込んでいた学生時代も経験しているし。
「ありがとう」という言葉の本当の意味を考えると、それは私にとっては非常識な部類に入る。