ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

妥協と怒る

2015-07-12 22:01:28 | 日記
今の会社に入った頃、よく上司からこう言われた。

「もっと怒れ。なんでゴミ箱が缶で出来てるか知ってるか?蹴っ飛ばすためにあるんだ。」

その頃はあんまり怒らなかった。

最近は意識的に怒ろうと思っている。
どうでもいいやつは怒らない。
感情では怒らないというのも一つ。
計算で怒る。

楽しい未来につながらないなと思ったら怒る。


自分と全く同じ人間などいない。
「血液型性格判断」も人が4種類に分けられるという希望から成り立っているのであって、実際の個性は実に多様で、カテゴライズなど本質的には意味がない。

自分と同じか違うかの線引きをしたいだけ。
自分の味方と自分の敵。
それがはっきりすれば、人と接するのは楽だろう。

実際はそんなことはない。

味方のようで実は敵。
敵のようで実は味方。
そんなことはよくある。
自分自身だってそうだ。
敵であり味方である。


なにか同じ方向を目指し、集団で物事にあたる。
会社だったり、アート活動だったり、クラブ活動だったりそれは様々。

本気でやればやるほど各々の違いに気づく。

その違いが顕著であれば、その根底を認識し確かめるために衝突もあるだろう。
そんなのがケンカ。

私の定義では以下の3つが揃わないと、ケンカはできない。
・同じ時間
・同じ場所
・似たような思想

最近ではネットワークがあるから「同じ場所」はないだろう?と思うが、ネットワークという場所そのものが同じ土俵であるといえる。

そう。「同じ土俵」でなければそもそもケンカなどできない。

地球という同じ土俵に存在しているからケンカは成り立つ。
例えば太陽系外の文化とケンカをしようにも、光の速さ以上の情報伝達手段がなければケンカできない。

こっちが怒っても、数年後にその返事が戻ってきたら、本当の意味でケンカにならない。
できるならやってほしいものだ。

本気で物事にあたるほど、ケンカは起こる。
物理学で言えば、ガスの温度が上がり、圧力が上がるということは、分子運動が高まり、衝突確率が上がる。
密閉集団ならなおさら。

宇宙空間でクルーたちが反駁しあっては仕方ないので、地上にいるうちに十分な議論と精神的成長を促す。

目指すものが同じベクトルであれば、微細な違いが問題となる。

それを指摘することは善か悪か?

明らかに善だ。

自分にとって不快なことをきっちり伝えるのは、本気で相手をしている証拠。

ちまちまと遠回りに伝えたり、集団でいじめるなど卑怯極まりない。

そんなことをするぐらいだったら、正面で向き合え。


最近はそんなことをしないことが美徳のようだが、敢えて異を唱える。

本気だからこそ怒れ。
正々堂々と。

鬱とかになると、肯定できる自分の価値観が消えるため、怒れなくなる。
怒れたらまぁ半分は治ってる。

怒れないうちは本気じゃないだろうな。

間違えてはいけないのは、怒ることは指摘すること。
なぜ怒るのか、なんで怒るのか、背景を説明できないといけない。

感情的でなく計算で怒る。

感情的にでも怒れる相手がいるのなら、それだけでかなり幸せなことだと思う。

そうやってお互いの違いを認め、妥協するのもひとつの方向性だが、全く衝突を起こさないのは、温度のない気体の集まりであって、それがいい仕事をしないのは明白。

冷めたフリしてネットで社会批判したりするのも、基本的な怒りとは違ってる。
ギャラリーが健闘場を見ているようなもの。
大した意味などない。

そういう意味で本気になったほうがいいとは思うなぁ。
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