子供を育てたことはないわけですが。
教員免許や介護職員初任者研修やらの勉強はしているわけです。
扱う年齢は違うけれど、基本は変わらないわけです。
高校の時、首席になった上、作り出すモノを教科の手本にしたり、新しいカリキュラムのテストケースとしてトライするなどの破格な成果を出した結果、教員室で一緒に談笑して、取り上げて置いてあった漫画を読んで、
「これ面白いですね」
なんてやっていた。
教師も生徒も関係ないんですよ。本来。
そんなわけで、自分はずっと生徒であり子供なんですが、教師であり大人であるという「役割」も必要なわけです。
それはあくまで役割なんですが。
肩書なんて鬱陶しいのでいらないという立場なのだけど、あったほうが楽だと思うときもある。
それもまた役割なので、一生ずっとそれではないわけですが。
例えば、「部長」だったとしても、死ぬまで部長ではない。
ただ部長としていた時だけ部下だった人にとっては、死ぬまで部長なわけですが。
同様に、「親」も、子供にとっては親の役割をしなければならないけれど、親は親でそれ以外の場所では「部下」であったり、「上司」であったり、「先輩」であったり、「後輩」であったり、「生徒」であったり、「先生」であったりする。
親も子供だし。
時と場所によって変わる役割より、絶対的な人間としての価値のほうが重要ですが。
そんなこと関係なく、肩書のほうが重要な人や、そういった組織はたくさんあるんですよ。
大嫌いなんですけれどね。
それでイキっている人。
いやそれでもめんどくさいことに、親や先生の役割をしないといけないときもあるわけで。
ものすごく年上の人や、肩書の上の人に対しても。
面倒だけどやるしかないのかな。
基本は発達心理学やら教育論やらを紐解くことは、大人に対しても子供に対しても役には立つのですよ。