ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

しょうがいがくしゅう

2021-04-04 10:37:09 | Culture
子供を育てたことはないわけですが。

教員免許や介護職員初任者研修やらの勉強はしているわけです。

扱う年齢は違うけれど、基本は変わらないわけです。


高校の時、首席になった上、作り出すモノを教科の手本にしたり、新しいカリキュラムのテストケースとしてトライするなどの破格な成果を出した結果、教員室で一緒に談笑して、取り上げて置いてあった漫画を読んで、
「これ面白いですね」
なんてやっていた。


教師も生徒も関係ないんですよ。本来。


そんなわけで、自分はずっと生徒であり子供なんですが、教師であり大人であるという「役割」も必要なわけです。


それはあくまで役割なんですが。


肩書なんて鬱陶しいのでいらないという立場なのだけど、あったほうが楽だと思うときもある。

それもまた役割なので、一生ずっとそれではないわけですが。

例えば、「部長」だったとしても、死ぬまで部長ではない。

ただ部長としていた時だけ部下だった人にとっては、死ぬまで部長なわけですが。

同様に、「親」も、子供にとっては親の役割をしなければならないけれど、親は親でそれ以外の場所では「部下」であったり、「上司」であったり、「先輩」であったり、「後輩」であったり、「生徒」であったり、「先生」であったりする。

親も子供だし。

時と場所によって変わる役割より、絶対的な人間としての価値のほうが重要ですが。

そんなこと関係なく、肩書のほうが重要な人や、そういった組織はたくさんあるんですよ。

大嫌いなんですけれどね。
それでイキっている人。


いやそれでもめんどくさいことに、親や先生の役割をしないといけないときもあるわけで。

ものすごく年上の人や、肩書の上の人に対しても。

面倒だけどやるしかないのかな。


基本は発達心理学やら教育論やらを紐解くことは、大人に対しても子供に対しても役には立つのですよ。
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