ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

首席

2024-01-11 07:07:07 | Culture
工業高校卒業時は、圧倒的首席だった。

いわゆるトップだったのだけど、平均点が100点を超えていた。

基本的に全科目テスト満点を取るのだけど、所属する機械科で難しい情報工学や制御工学などは、あまりにも赤点が発生するため、先生が250点満点のテストを作ったりしていたわけですよ。
それさえも満点を取るので、平均点が100点を超える。

機械科所属だったけれど、電子、情報、電気、化学、デザイン各科が存在していた。当時化学はいまいちだったけど、他の科は興味があったので、特にデザインはデザイン事務所でアルバイトしたり積極的に活動していた。
学内広報誌の表紙を担当するぐらいには積極性を出していた。
支給されたポケットコンピュータで、ハンドアセンブルのマシン語によるゲームを作ったりしていた。
数学の担任教師からは、授業でやっていることはいいから、自分で進められるところはやってしまいなさい。あとは静かにしていれば何していてもいいと言う状況。

卒業直前は、大学への推薦入試のためもあり、昼休みに職員室で先生と雑談するぐらいはしていて、授業の資料作成とかも手伝っていた。

実際の生活では、高校二年には自ら家を出て福祉家庭に入った。
そのくらい家庭環境が悪かったので、工業高校の受け入れはお互いにとってメリットがあった。
少なくともいられる場所があった。

不良もいたけれど、特にいじめを受けることもなく、比較的平和な学生生活を送れた。
ある程度は家庭環境の複雑さも知られていて、周りは努力する姿も見ていたし、自分からも協力できることは進んで行っていた。

工業高校なので。
程度の低い授業だったかもしれない。
程度の低い学生だったかもしれない。
でもそんな環境が大好きだった。

ある日の夜、定時制の学生がタバコの火で芝生を全焼させるという事件があった。

それさえも笑い話にできる自由さがあった。

別に殆どの生徒は進学を目的としていないので、一般科目の国語などは真剣に授業をしない。
八割型脱線して雑談になる。
生徒も先生もそれを前提で脱線する。
でも、話を聞く姿は真剣だし、話をする方も真剣だ。
退屈な授業ではない。
学生と先生の、丁々発止の議論も交わされる。
常に質疑応答がある活発な議論の場だ。

面白かったなぁ。

それらの全ては、しっかりと背景に目的と理由があって連携して行われていたのですよ。
放っておけば様々な事情で、学校はおろか、社会からさえもドロップ・アウトする寸前の落ちこぼれもいる。
わざと脱線して、それでもしっかりと様々な事情を抱えた生徒をキャッチする。

多少外れた行動をしても、ほとんどすべてを受け入れる許容力があったのです。

大好きだったなぁ。

本当のダイバーシティ、多様性の受け入れができていた。

逆に、大学や社会人になってから、偏狭な偏見を持った偏った人間に多く会う。
別にいじめなどなんとも思わない。

受験教育の弊害だろうなぁと考えている。

私が個人的に思うに、本当の意味での多様性教育が工業高校で行われていた。
インターナショナルスクールどころの多様性ではない。実際に日本人以外の学生もいた。
先輩では、フランスのバカロレア大学に進学するという人もいた。
別にそれがおかしいとか悪いとか、そんな判断はしない。やりたければやらせるし応援するという環境があった。

私が見るに、大学や社会人のほうが価値観が狭い。
常識が狭い。
人それぞれが抱える多様な事情を考察することもないし、受け入れることもない。

日本の国民教育は、工業製品のような一様化教育としてうまく行っているとも言えるけれど、多様性教育としては失敗していると思う事例だ。

工業製品に最も近いと思われる工業高校で多様性が教育されて、いわゆる進学校で大量生産製品的思考が育成されている。
バカじゃないのかと思う非人道的常識がまかり通ってしまう。

常識のレベルが低いんですよね。

もっと社会を実体験で勉強しないとわからないよなぁ。
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