基本的には、欲求欲望のために人は生きています。
本来的には、人間関係の対象範囲の広さをもとに、
個人の範囲:自分だけの問題
親しい人の範囲:親族、親しい友人
社会の範囲:学校、会社の人間関係
の順番に優先されます。
心理学的な人間関係の範囲でもあります。
影響範囲よって優先される欲求が異なります。
マズローの欲求階層説によれば、
生理的欲求
安全の欲求
社会的欲求
承認欲求
自己実現欲求
(自己超越欲求)
であり、
個人の範囲では生理的欲求が強く結びつき、
親しい人の範囲では安全の欲求が強く結びつき、
社会の範囲では社会的欲求や承認欲求が強く結びつきます。
犯罪を抑止する理性は、どちらかといえば社会の範囲や親しい人の範囲の欲求です。
個人の範囲で殺人や強盗などの犯罪を想像することは、特段に問題ではありません。だから、仮想的ゲーム内で大量殺人を行ったとしても罪には問われません。
しかしそれを実社会で行えば刑罰の対象になります。
以上を踏まえて、実際には個人の欲求が他人や社会を変容させていることもあります。
経営を成功させたビジネストップの決定、例えばイーロン・マスクのTwitter買収はSNSに影響を与え、Twitterに勤める人の生活を変容させたりします。
政治家の決定などもあるでしょう。
有名芸能人の言動により社会が動かされることもあります。
不倫などは、本来的には親しい人の範囲内に収まる事柄で、社会の範囲で問題になることではありません。
ところが、「芸能人の」不倫となると、社会の範囲で影響が出てきます。
発言や行動が社会的影響を持つためですが、本来的には、当人同士親しい人の範囲の問題であり、赤の他人がどうこう言う話でもありません。
個人的欲求が個人の範囲から出て、社会の範囲で影響を及ぼすこともあります。
それが詐欺や強盗などの犯罪であれば、社会的影響のある損失として、刑事事件として犯罪化されます。
社会的影響のない事柄は、民事事件となります。
このあたりが複雑なのは、労働問題です。
範囲が個人であり、親しい人であり、社会であったりします。
しかし、責任の範囲を明確に分けていけば正しい判断ができるようになります。
個人の健康や人生やプライバシーを侵害してはならない。
これは会社であっても侵害してはならないことです。
ところが経営者の欲望は、会社に所属する労働者をうまくコントロールして自分の欲望を満たすことです。
経営者の欲望は、まずは金。
本来、社会的に実現したい理想のために、有志を集めて組織化するわけですが、そんな事を考えず金を得たいという人は多いのが実際。
ところが経営者の欲望のために、働く個人の生きる権利を侵害していることを考えなくなる。
今の経済で起きている不都合は、主にこれです。
働く個々人の欲求も、会社組織に全面的に賛同しておらず、まずは眼の前の生活や利益を達成するところに目的があったりするため、利害関係が一致しない。
ここに多くの社会的問題が山積しています。
過剰に他人の顔色をうかがって空気を読むのが日本文化の特徴です。
本来自分の生理的欲求を満たさなければ生きることさえままならないのですが、それを忘れて他人の欲求に従い、自らの命を捧げることになるのを美化してしまいます。
ハラキリ文化に代表される文化です。
まずこれを止めましょうというのが私の考え方。
自分の生命の維持は自分の責任です。
生命の維持の人権を主張することは、わがままでもなんでもない当然の権利です。
だから残業せずに帰るのは当然の権利です。
それさえも主張できない社会であれば、自分の常識を疑うのではなく、社会の常識を疑うべきです。
西欧ではこのような問題が専制君主制や絶対王政などにより、長い間個人の人権が抑圧されていたため、非常に敏感に察知して権利を主張します。
だから革命を起こすし、法律を発明して、権利を確保するシステムを自ら作り出したわけです。
日本は学生運動の抑圧をして、権利主張やデモが極度に制限されてしまったのだけれど、本来当然の生きる権利を奪う横暴には抵抗しなければなりません。
労働組合法は、労働基準法より前に施行されていて、なぜかといえば、使用者と労働者の立場は同等で、直接交渉を妨げてはいけないからです。
国外から輸入された概念であったとしても、非常に重要な概念なので、有効に活用する必要があります。
あまり認識されていないのが実際なのですが。