本店より
今日は、ぽかぽかの良い天気となりました。
山々では一足遅れて山桜が満開になりつつあります。
大きな山々の所々に、一本、二本、と咲く山桜は見所の桜と違って、
なかなか側に近寄って見上げることはできないけれど、
「わたしはここに咲いてるよ」とばかりに咲く山桜が大好きです
”いきのもがかり” 水野良樹の「そして歌を書きながら」という記事を読みました。
『・・・震災が起きたあの春にも家の近所では桜が咲いた・・・うなだれた目の前で、
しかし、桜が咲いた。変わらずに咲いた。桜に誰かを励ましてやろうなどという気持ちはない。
咲き誇ってやろうという見栄もない。誰かの過ちを責めることもない。たとえ悲劇があっても
何も変わらず何も語らず遠い過去から続く季節の繰り返しに身をまかせて、桜はそこに咲くだけだ。
美しかった。ただそこに在ってくれるこたが、どれほど優しいことなのか。・・・
泰然とただそこに在ることで多くの人々の心に寄り添うことのできる桜のような歌を書けないか。
喜びも悲しみも。
始まりも
終わりも。
出会いも別れも。
未来も過去も。
希望も。そして絶望も。
人々は実にさまざまなことを桜に重ね合わせてきた。
桜は何もしていない。何も語っていない。
春が来て咲き、そして散る。
それだけだ。
ありのままの一連。
ただその姿を見せることで、多くの心を受け止めてきた。
あの人はもういない。
咲き誇る桜をみたとき、去年までは隣にあったぬくもりがないことに気づく。
同時に、その声を、笑顔を、ともにした日々を思い出す。
寂しさも、悔しさも、いとしさもあふれでる。・・・
歌もそうなれるのではないか、誰かの心に寄り添えるものに。
そんな歌を・・・つくりたい』
今年も元気に咲いてる山桜に、何となく力を頂く、てんねんです。