『若者の愛社精神が以前より希薄になっている―』という記事を読んだ。
契約で結ばれた関係に愛が存在できるのはどんな時か、考えてみた。
仮に、愛を『見返りを求めず献身的に奉仕し、いとおしく思う感情や行動』と定義する。
その時、愛のある契約は契約の愛を生み、互いに補完しあって育まれる、と思った。
企業が必要な物を『ヒト・モノ・カネ』とするとき、ヒトに対して愛がない場合、契約の愛は育ちにくいと思う。
でも、愛という言葉は、使ってみると、いろんな顔を同時に持っていて、難しい。
とても高貴でもあり、尻軽な感じもしなくない。
便利な言葉であることは確かだ。