沖縄の日常

日々変わり行く沖縄と自然とつれづれなるままに

慶武田川(キンタガー)

2012年03月14日 | 町の風景



金武町には、大川以外にもカー(湧水)がある。大川の次に大きいのが、写真のキンタガーです。カーの後ろには、必ずと言って良い位カーヤマがある。後ろの山に抱かれて、守られているようにある。湧水は絶えることがない。
 大川にも「洗濯場」があったが、今は残っていない。ここは、昔のままの洗濯場が残っている。あの時のまま時間が止まってしまったかのようである。小学生の頃、よくここへも遊びにきた。

 南米移民の多い金武町。その方達(お元気でしょうか)には、懐かしい場所だよね。
 
  ブログ訪問ありがとうございます。
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河島英五

2012年03月13日 | 日々のこと
 数年前、TVで河島英五という人物についての放送があった。彼の名前は「酒と泪と男と女」という歌を通して知っていたぐらいだった。あの番組をみて、彼に強く惹きつけられた。あの男らしい魅力といったら、なぜ彼を知らなかったのかと残念な気持ちがした。
 
「男の強さや哀しさ、優しさ、父親としての心情を唱いあげた数々の曲は、時代を越えて男の共感を呼び、歌い継がれている。」(ウィキペディア抜粋)
 
 みんなに好かれて、たくさんの友人に囲まれ、さわやかな笑顔を残して逝ってしまった。(享年48歳)
 
 素敵な男性(ひと)だったんだな~。「河島英五」と言う人。

 私の知らない所に、魅力的なたくさんの人がいると思い知る、今日この頃。
 
 写真はTVで見て感動して、すぐ買い求めたCD。

 ブログ訪問ありがとうございます。
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沖縄大学土曜教養講座「琉球の島々の唄者たち」

2012年03月10日 | 日々のこと
       

2月18日(土)に沖縄大学で「琉球の島々の唄者たち」
  ~琉球諸語の復活を目指して~「最終回(全3回)」と題する土曜教養講座があった。

 とても興味があったのと、大工哲弘さんの生唄が聞けるというので、やんばるの私にはわかりにくい場所だったが、ネットで場所を確認し、地図を頭にインプットし、ここを行って、ここを曲がってと、シュミレーションして向かった。ネットのはありがたい。画像まで映してくれるので、見た場所だ、ここも、あっ、ここもと言いながら、お陰でスムーズに到着した。

 沖縄大学は、初めて行ったが、敷地的には恵まれないが、コンパクトないい大学だなと思った。

 さて、講座の件ですが、大変素晴らしかった。司会のバイロンさんが、

「皆さん、今日は、言葉がこんなにも違うものなのか、それぞれの違いを感じて、わからないと言う事だけをわかってくれるだけで良いです」

と言っていたが、全く、そのとおり。

 沖縄の言葉を「方言」とは呼ばないで!「うちなーぐち」と言って欲しいとバイロンさんは、いつも訴えています。ユネスコでも認められた、れっきとした言語であるよ、と。

「奄美語」「国頭語」「沖縄語」「宮古語」「八重山語」「与那国語」

それら6つの言葉を総称して、「琉球諸語」と言います。

 今回の講座では、ゲストに

 照屋寛徳(うるま市出身):沖縄語
 天久勝義(宮古島市出身):宮古語
 大工哲弘(石垣市出身) :八重山語
 宮良康正(与那国村出身):与那国語

 
 四人の方を迎えて、それぞれの言葉で、お話をして頂いて、その後に唄を歌ってもらうという企画だった。

 沖縄語以外、全然わからなかった。本当に面白かった。(それぞれの地域で使われている言語で、人はものを考え、生活してきた、そこから唄も生まれたのだし、文化は違いがあるから面白いのだ)と私は思った。

 バイロンさんは、「方言札以来私達は、うちなーぐちを使う事を、後ろめたい思いにさせられてきた」と言った。改めて「琉球諸語」の素晴らしさを認識させられた時間だった。

 ゲストの方々も自信と誇りに満ちたお顔で、おらが島の言葉を語っておられた姿に感動でした。

 ブログ訪問ありがとうございます。


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季節の変わり目

2012年03月08日 | 日々のこと
   
 今日はころころ天気の変わる一日だった。
 半袖で朝玄関を出たら、薄ら寒かったので、持ってた薄手のセーターをはおった。
 職場について、しばらくしたら、ザーッと言う音がして

 
 あ、わわわっ~~雨だ~ 

 予告もなく、かなりしっかりした雨だった。ずーと降り続きそうだったのに、さっと上がった。そして一瞬だが 日差しまで射して。それなのに、しばらくして、またざーっと降った。
 
 冬から春へ、変わり目の季節は、なんだか体も疲れやすいですね。
 薄着になったりするので、皆さん、風邪などひかぬよう気をつけましょう。

 今日も早く寝ようっと。

 こんなブログにきていただきありがとうございます。ふ~

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ポジティブ思考でいこう

2012年03月07日 | 日々のこと
昨日TV「たけしの家庭の医学」で見た番組で、ちょっといいな、覚えておこうと思ったことがあったので、紹介します。
 私達の年代になると、更年期の症状もいろいろ出てきます。
 
 パニック障害について
 いきなり、動機が激しくなって、呼吸ができないような状態になり、本人は死ぬんじゃないかと、病院へ行くが、行くと、なんでもないという診断が下されると言う症状。「そんなバカな、あんなに苦しいのに・・」
 私の知り合いにもいたが、二三度救急車で運ばれ、本人は本当に死ぬんじゃないかと言う程の思いになるらしい。私も夫が亡くなった時、軽いうつっぽい状態になったことがあるが、どこにも行けない、出かけられない、映画館とか飛行機とかにはもう乗れない、閉め切った部屋にいるのが苦痛だとか、辛い思いをしたことがある。
 そう言うのも、精神的なものから来ると言う。

「あなたの癖や性格をポジティブ思考に直してみる。常に客観的にみるようにする」そう言う事が大事だと言っていた。

 「認知行動療法」で改善されると言う。
 
 例えば、あなたが会社の上司に怒られたとしよう、

  ①出来事:(叱られる)
  ②気持ち:(辛い)
  ③考え方:(自分はだめだ)
  ④ポジティブな考え:(私のために叱ってくれたんだ)

 この④番目が大事で、自分では「大変なことをしてしまった」、でも「客観的に見たらどうだろう」と常に第三者の立場から見る「癖」と「ポジティブな考え方」をしましょう。

 というものだった。覚えて実践できるようになろう。特に感受性の強い 優しいあなた。

  珍しく朝早く目が覚めた。「よし!今日もいいことがあるよ~」

 ブログ訪問ありがとうございます。


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ありがとう

2012年03月05日 | こども&孫
  息子(三男)が、大学へ入って初めての春休みに、アルバイトをしたそうで、「はい!」と渡してくれた写真のハンカチ。少ない報酬の中から。
 二人の兄に囲まれて、可愛がられてもいたが、よくちょっかいを出されて、プンプン怒っていたこともあった。元気もので、小学校の頃は、よく周りの者を笑わせてくれた。今月20歳を迎える君。

 ブログ訪問ありがとうございます。
 

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おばあたち

2012年03月02日 | 日々のこと
 今から27年前、私は長男を出産して初めての里帰りをした。少し肩身の狭いような気持ちで帰った。当時の沖縄では、本土の人と結婚することを反対する風潮があった。近所の知り合いの女性も、本土の人と結婚したために勘当されたと言う話を聞いた。
 私の両親も、そうだった。母は私が、赤ん坊を連れて外を歩くのをあまり面白く思わないようだった。私は小さくなっていた。
 しかし、写真の四人のおばあ達が、私が赤ちゃんを連れて帰って来たと聞きつけて、祝いに駈けつけてくれた。祖母、祖父の妹、祖父の弟嫁、祖父の姉。おばあ達は遠くからわざわざ歩いて、声を掛け合って来てくれたのだった。顔をみたら懐かしさと嬉しさで胸がいっぱいになった。
 
  おばあ達は帰り際、誰からともなく、「○子がぁ帰ってきたよ、子どもを連れて、丈夫ないい子に育てなさいよ」みたいなことを言いながら、縁側でカチャーシーを踊ってくれた。
 涙がこぼれた。固まっていたオリのようなものが溶けていった。

 沖縄の人が当時、本土の人(ヤマトゥンチュ)を嫌っていたのには理由がある。戦争体験を通して、日本の兵隊よりもアメリカの兵隊の方が信用出来るという事を身をもって学んだからだ。だから当時、本土の人との結婚には大反対でも、アメリカの人との結婚にはそうでもなかった。

 今、沖縄には入れ代わり立ち替わり、国の偉い人が出入りしている。この数年だけでもめまぐるしく。言う事は皆一緒
 「沖縄の負担を軽減するために、・・新しい基地をお願いしたい」
と、自分の言っている矛盾に気づかないのだろうか、沖縄をバカにしているのか。
 
 27年経っても、何もかわっていないことをを思い知らされる。
 おばあたちは、戦争のために何人もの子どもを亡くしている。悲しい辛い体験をくぐり抜けて、優しい笑顔を見せてくれる、あばあ達。

 こんな長いブログに来て頂き感謝します。
  
コメント (2)
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2012年03月01日 | 日々のこと
今日から弥生三月。父が調子を崩し始めた昨年九月から、入院して、家に帰ってきて、そして逝ってしまってから、初七日・四十九日と、あっという間に五カ月が過ぎ去った。
 
 大分日が長くなった。明るいので、仕事帰り、母の所へ寄って
「ご飯食べに行く?」と聞いたら二つ返事で
「行くよ!」
「どこへ行く?名護に行く?」
「名護は山道だから、中部がいいんじゃない?」
 道路は舗装されているのに、やんばるの好きだった父とは正反対に、母は都会が好きである。
 道すがら、対面する車のライトに、
「あんなに明るい光が、嫌いだったよ、おっとーは」
「ここから毎日、与勝シティーへ行ったんだよ」
 いつも二人で出かけていた道々で父を思い出すのだろう。時々、思いもよらない若い頃の話を聞かされたりする。
 私が相槌を打っても、聞こえないので、一方的にしゃべっている。私が話しかけたことに対する返事がないが、玉には聞こえることもあったりするので、感が取れない。私はまるで、懲りずにひとりごとを言っているという状態。聞いて欲しい時には大声を出さないとならないし、普段から大声の苦手な私は、プチストレスを感じたりもする。
 
 食料を買うと言うのでかねひでへ寄った。母を実家へ送り届けて車へ戻ったら、私の買い物袋が膨らんでいるので、んん?と見ると、母が自分の買った物を押し込んである。まただ、母よ~止めてくれ~と心の中で。私はそれを戻しに行く。

 母よ、私は自分の分は買ったのだから、そんなに必要ないから、私は言う。そんな事が何度もある。しかし、何度言っても母は、聞く耳を持たない。昔、してあげられなかったから、今出来ることをやってあげたいんだよと言う気持ちからだと思うが、幸い子どもたちは誰も年老いた母に、すがらなくても生活できる大人になった。

 甘えて欲しいのは母なのに、ったく母は。母は。
 素直にありがとうと言ったためしがない私。

 こんなブログに来てくれてありがとう。

(写真は、昨年:勝山公民館の入口に鈴なりに生っていたヤマモモ)
 


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