久しぶりにがっつり系のSFを読んだので数日かかりました。
物知らずなのでEVA(宇宙での船外活動)や、
サプライ(供給)の意味を辞書で引くような有り様ですよ。
しかし、非常にほわんとした理解度で読んでも面白かったです。
映画を観ていたからイメージが思い浮かべやすかったのかもしれない。
※小説「火星の人」と、それを実写化した映画「オデッセイ」の個人的な感想です。
以下、ネタバレがありますので、ご注意ください。
考えてみると「ふしぎな島のフローネ」は、父が医師、母が農家出身で、
無人島サバイバル生活にはお誂え向きのメンバーが揃っていました。
(家畜と豊かな自然環境、あとから航海士が加わるって、相当有利じゃないか!)
ワトニーは火星にたった一人で取り残された。
植物学者にしてエンジニアでもある宇宙飛行士という設定は、
科学知識を駆使して前向きに生き抜くための必須条件だったように思います。
小説は映画よりもトラブル続出で、分析と対策が詳細に描かれていたため、
過酷な状況が一層際立ちました。
せっかくNASAと通信できたのに、途中途絶えたりするから、
基本のストーリーは把握しているはずなのにハラハラ…。志村、後ろ!みたいな感じ。
映画では唐突に中国が協力を申し出たように見えたけれど、原作にも登場。
国家や組織の違いを乗り越えて、一人の男を救助しようとする地球の人々に、
作者の健やかな性善説が現れているような気がします。
アレス3のクルーの人たちも、仲間思いの冒険野郎で格好いいです。
事と次第によってはシビアな状況になることも想定しつつ、現実的で合理的な判断を下す。
ワトニーも含め、危機に際しては素早く考えを巡らし、躊躇わず対処に動く、
クレイジーでクールな宇宙飛行士たちでした。
映画版は原作の面白いところを上手に抜き出していて、娯楽作品として成功していると思いました。
ワトニーの孤独な奮戦を描きつつ全体的に明るいし、音楽選びも実に良かった。
ただ説明を省いているところもあるので(あと、わたしが上映中にトイレで数分席を外した部分もあり)、
映画で疑問に思ったことは原作で判明しました。
・備品がどれくらいあって、限られたものをどの計画に当てたのか。
・音楽を聴く以外の気晴らしは何をしていたのか。
・ジャガイモ以外の栄養はどう摂取していたのか。
・ローバー(探査車)などで移動中にトイレはどうしていたのか。
・ハブ(居住施設)が壊れた後は、どう対策を立て実行したのか。
・終盤MAV(火星上昇機)に向かっての道中に困難な点はなかったのか、などなど。
映画のほうには火星の景色やワトニーの肉体の変化など映像で見る良さがあるので、
今度は原作を踏まえて観たいです。
そうそう、映画ではジャガイモの栽培と食事が妙に印象的でしたが、
小説では予想外にエンジニア側面が強くて、臨機応変に備品を改造しているシーンが多かったです。
(時にはNASAに待てと言われても、自己判断でやってたね)
レンジでチンしたジャガイモを来る日も来る日も食べ続けるのが大変そうだったので、
実は地下世界に潜んでいたとかいう火星人でも現れて、
ハンバーガーやお好み焼きをご馳走してくれないかと、ひそかに考えました。
しかし「ダンジョン飯」を思い出すと、ワトニーが飢えから狩猟採集民族の血に目覚めて、
火星人のほうをご飯にしてしまうのではないかと心配に…。
せっかくのファーストコンタクトが悲惨な結果に終わって、宇宙戦争が始まってしまうかも。
だって地球外知的生命がトマト星人やチーズ星人やイカール星人に似ていたら、
いけないことだと分かっていても、ジャガイモに合いそうとか思っちゃうじゃないですか。
ああ、妄想してたらおなか減った!!
火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF) | |
クリエーター情報なし | |
早川書房 |
火星の人〔新版〕(下) (ハヤカワ文庫SF) | |
クリエーター情報なし | |
早川書房 |
映画「オデッセイ」の感想はこちら→「2月に観た映画」
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そういえば「真田丸」第8話「調略」を、数日遅れで観ましたが面白かったです。
真田家当主兄弟の冷酷さに一瞬ひきましたけどね。
その後、うわーこれは目が離せないわと、わくわくしました。
※以下、「真田丸」のネタバレがあります。ご注意ください。
一兵も動かさず謀略で国を守るということは、兵法においては最上の策のはず。
真田家と領土を守るためなら何でもするという気持ちも理解できる。
しかし、昌幸父ちゃんが悪魔に見えるのは何故であろう(笑)。
事後けろっとしているからか。被害者が心の美しい人ばかりだからか。
「真田丸」はいわゆる時代劇語でなく現代語台詞なのだけど、
登場人物の内面はこれまでになく戦国時代らしいのではないかな。
(まあ、戦国時代の記憶が無いのでイメージだけど!)
ふと酒見賢一の「泣き虫弱虫諸葛孔明」を思い出しました。
戦乱で始終人を殺したり、敵味方が変わったりする、そんな混迷の世の中で、
英傑が生ぬるい現代人と同じ感性な訳が無い。
みんな振り切れちゃってある意味危ない人として描かれていて、
そうでもないと当時は大暴れできなかったかもと、一人頷いたのですが。
昌幸にも同じ匂いを感じるのです…。
乱世に活躍した武将が非情な面を持たない訳ないものね。
(状況に応じて主君を変えることが普通だからこそ、出浦様の言う通り、忠義に値打ちがつくもので…。
己の都合のために人を陥れたりすることが日常だから、尚更上杉様が尊く感じるのでしょうなあ…)
そういえば女性陣も、いつ形勢がひっくり返って死ぬかも分からない日々では、
刹那的にならざるを得ないから、悔いが無いように言いたいことを言っているのかもしれない。