夫の知人が、夫に電話してきて、わたしの親のことを心配してなのだろうけど、わたしはすぐ里帰りしないのかとか、親をこちらに避難させないのかとか、色々と聞いてきている様子。
何にも事情を知らないであれこれ言ってくる人なんか、気にしなければいいと頭で分かっていても、泣かずにはいられない…。
なぜそこで普通に暮らしているのか、やるべきことをやっていないのではないかと責められているような気がしてつらい。
夫の知人であるが故に、わたしから事情を説明することも、腹が立ったときにピシャリと言い返すこともできないのが悔しい。
本当は無力感でいっぱいで自暴自棄になっているのだけど、愛する夫と自分の家庭を持っているから、なんとか前向きに生きようと、毎日苦しさから目をそらして頑張ってるのに…。
心の中をまた、かき回された。
わたしは…実家のことを心配してない訳じゃない。むしろ気が狂いそうなくらい、この事態に悩んでいる。
放射能の測定値はただちに健康に害を与えるほどではなくても、累積はどうなのかとか、また大きな余震で原発が大変なことになるかもしれないとか、また物流の流れがおかしくなったらどうしようとか、心配し始めたらきりがない。
でも、両親と兄は大人で、自分の考えと感情を持って物事を判断しているのだ。わたしが最終的には自身の考えと感情に従って行動したいように、今では実家の家族が下した判断も尊重すべきだと思っている。それは、賛成しないこともあるし、一方的すぎて身勝手だと怒ることもあるのだけど、無理矢理にこちらの言うことを聞かせることができるとは思わない。
だってわたしが代わりにその人生を引き受けることはできないのだし、誰もが自分の人生に責任を持つべきなのだから…。
大体無理にこちらの意見を通したところで、実家の家族がそれでストレスを感じて病気になってしまうようなら、意味はないのだ。
他人が言うように、両親をこちらに避難させるというのが、最も簡単で安全な方法なのだろうけど。
当の両親がそれを望んではいない。どんな状況であろうと(幸いにも今はライフラインも復旧し、物資も入ってきていて、放射能の測定値も低い)、自分たちの家で普通の生活をすることが彼らの決断なのである。
もしも実家が避難区域に入っていて、かつ一時的な危機なのだったら、向こうも譲歩していただろう。
しかし屋内待避地域でもなく、またこの原発事故の収拾は長期にわたるという状況で、自分の家を離れて馴染みのない環境で暮らすのは、融通が利かない老齢の親にとって放射能以上に健康に害を与える行為と言えるのかもしれないのだ。
一方で、わたし自身はわたしの理性で、しばらくいわきに帰省しないと心に決めたことに、良心の呵責を感じている。
ただ闇雲に帰ったところで、何かの役に立つどころか周りの負担になるだけだということ、自分の家庭がある以上里帰りしたまま足止めされてしまうような事態は避けなければならないので、原発事故が本当に落ち着くまでは自制しなければいけないということ、やっぱり親が、わたしが離れた場所にいることに安心感を持っているのだろうから、自分たちの身を守ること以外で余計に心配をさせてしまってはいけないということ、帰省代にお金を費やすなら、義援金に寄付したり実家が求めてきた時に援助したりするほうが、よほど向こうの役に立つだろうと考えたことなど、自分の中で理由はたくさんあるのだけど。
子供なら、そんな理性で考えずに、何もかも投げ出して親の元に駆けつけるべきなのではないか…と思えて、自分が冷たいようにも感じる。
わたしには何も事態を変えることができないという無力感と共に、まだ為すべきことを全てしていないような気が漠然として、こんな風に生きていていいのかなって、日常生活の中に闇を抱えているみたいに、時々無表情で虚空を見つめてしまう。
そんな時にあれこれ言われると、もう何もかも自分が馬鹿で何もできなかったから、結局東電が収拾をつけるのを祈っているしかないのだ…と落ち込むし。
あれ以外にどうすればよかったの、と途方に暮れてしまう。
当事者でも家族でもない、前後の事情も知らないお節介なひとの言葉なんて、聞き流せばいいって、わたしも勇気を出して普通に生活をしていくべきだって、分かっているのだけど。
…胸がえぐられた。
同様のことを延々と言われそうな予感がして、そうしたら冷静にあしらえないような気がして、ある種の親切な知人たちには当分会いたくない気分。
母には、人の善意に対してもっと感謝すべきだって怒っていたのに、わたしも勝手な人間です…。
でも想像力のない善意って、残酷な時があるよね…。自分だって人のことは言えないけどさ…。
何にも事情を知らないであれこれ言ってくる人なんか、気にしなければいいと頭で分かっていても、泣かずにはいられない…。
なぜそこで普通に暮らしているのか、やるべきことをやっていないのではないかと責められているような気がしてつらい。
夫の知人であるが故に、わたしから事情を説明することも、腹が立ったときにピシャリと言い返すこともできないのが悔しい。
本当は無力感でいっぱいで自暴自棄になっているのだけど、愛する夫と自分の家庭を持っているから、なんとか前向きに生きようと、毎日苦しさから目をそらして頑張ってるのに…。
心の中をまた、かき回された。
わたしは…実家のことを心配してない訳じゃない。むしろ気が狂いそうなくらい、この事態に悩んでいる。
放射能の測定値はただちに健康に害を与えるほどではなくても、累積はどうなのかとか、また大きな余震で原発が大変なことになるかもしれないとか、また物流の流れがおかしくなったらどうしようとか、心配し始めたらきりがない。
でも、両親と兄は大人で、自分の考えと感情を持って物事を判断しているのだ。わたしが最終的には自身の考えと感情に従って行動したいように、今では実家の家族が下した判断も尊重すべきだと思っている。それは、賛成しないこともあるし、一方的すぎて身勝手だと怒ることもあるのだけど、無理矢理にこちらの言うことを聞かせることができるとは思わない。
だってわたしが代わりにその人生を引き受けることはできないのだし、誰もが自分の人生に責任を持つべきなのだから…。
大体無理にこちらの意見を通したところで、実家の家族がそれでストレスを感じて病気になってしまうようなら、意味はないのだ。
他人が言うように、両親をこちらに避難させるというのが、最も簡単で安全な方法なのだろうけど。
当の両親がそれを望んではいない。どんな状況であろうと(幸いにも今はライフラインも復旧し、物資も入ってきていて、放射能の測定値も低い)、自分たちの家で普通の生活をすることが彼らの決断なのである。
もしも実家が避難区域に入っていて、かつ一時的な危機なのだったら、向こうも譲歩していただろう。
しかし屋内待避地域でもなく、またこの原発事故の収拾は長期にわたるという状況で、自分の家を離れて馴染みのない環境で暮らすのは、融通が利かない老齢の親にとって放射能以上に健康に害を与える行為と言えるのかもしれないのだ。
一方で、わたし自身はわたしの理性で、しばらくいわきに帰省しないと心に決めたことに、良心の呵責を感じている。
ただ闇雲に帰ったところで、何かの役に立つどころか周りの負担になるだけだということ、自分の家庭がある以上里帰りしたまま足止めされてしまうような事態は避けなければならないので、原発事故が本当に落ち着くまでは自制しなければいけないということ、やっぱり親が、わたしが離れた場所にいることに安心感を持っているのだろうから、自分たちの身を守ること以外で余計に心配をさせてしまってはいけないということ、帰省代にお金を費やすなら、義援金に寄付したり実家が求めてきた時に援助したりするほうが、よほど向こうの役に立つだろうと考えたことなど、自分の中で理由はたくさんあるのだけど。
子供なら、そんな理性で考えずに、何もかも投げ出して親の元に駆けつけるべきなのではないか…と思えて、自分が冷たいようにも感じる。
わたしには何も事態を変えることができないという無力感と共に、まだ為すべきことを全てしていないような気が漠然として、こんな風に生きていていいのかなって、日常生活の中に闇を抱えているみたいに、時々無表情で虚空を見つめてしまう。
そんな時にあれこれ言われると、もう何もかも自分が馬鹿で何もできなかったから、結局東電が収拾をつけるのを祈っているしかないのだ…と落ち込むし。
あれ以外にどうすればよかったの、と途方に暮れてしまう。
当事者でも家族でもない、前後の事情も知らないお節介なひとの言葉なんて、聞き流せばいいって、わたしも勇気を出して普通に生活をしていくべきだって、分かっているのだけど。
…胸がえぐられた。
同様のことを延々と言われそうな予感がして、そうしたら冷静にあしらえないような気がして、ある種の親切な知人たちには当分会いたくない気分。
母には、人の善意に対してもっと感謝すべきだって怒っていたのに、わたしも勝手な人間です…。
でも想像力のない善意って、残酷な時があるよね…。自分だって人のことは言えないけどさ…。
私も気をつけてはいるのですが・・・当分会えそうにありませんね(ToT)
人の親切やおもいが、えてしておもく感じてしまうことはありますよね。ことに家庭に関しては、つい自分の視点から相手のことを判断し、相手の立場を気にせずに話してしまうことはありますよね。どんなに気をつけていても起こしてしまいます。たとえどのような動機から発せられた言葉だとしても。相手のことを思っていると言うことが受け手側に伝わっているとしても。
おっしゃるように当事者ではないので、結局わからないということがわからないのですよね。(でもしゃべってしまうこの不思議!)。
親切心から言ってもらうことに対して、どのように対応すればよいのか、私もわかりません。悩みます。水の確保に苦しんでいるのですわ~といいながら相手が納得できそうな理由をつくる。旦那様に電話を切ってもらうことですかね~。
ある程度の信頼関係のある人には、簡単に事情を説明します。が信頼関係のない人には、説明はできません。そういうときは、忘れるようにしています。所詮他人なので、わかりあえるはずがありません。Gameするなり、カラオケ行くなりしてください。別のことを考えてください。もし無理なら乾電池入手方法や、旦那とのサバイバルなことを考えてください(日本に住んでいる以上、震災から無関係は絶対あり得ません、こんかいはたまたま自分たちは直接被害を受けなかっただけです)。
あと、自分が馬鹿で何もできなかったからなんて言い出したらきりがありませんよ。そもそも(^○^)
私も思い当たることがたくさん、ありますねえ。
hamoさんの仰る通り、自分もどこかできっと、良かれと思ってかけた言葉で誰かを苦しめているだろうし。またこの場合、事情を説明したとしても分かりあえるはずもないと思います…。
気にしちゃいけないし、善意の部分だけすくい取って、有難がる方がいいとも思います。
ただ、その方に関しては、これまで色々と我慢してオトナの対応をしてきたもので、とうとう限界を超えてしまった次第です…。
わたしも過敏になっているから、ちょっとしたことですぐ、泣いてしまうのかもしれないけれど。
あとになってよくよく考えてみたら、泣かされる価値もないような…親切心とも言えないような言動不一致ぶりなので、今度は素直に怒ることにしました。
事態がおさまればまた許すでしょうけど、とりあえず今は許容量を越えてしまったので、当分怒っていることにします。
自暴自棄になっているより、そのほうが健全な反応かもしれないです。
決めるのはすべて当事者であり、その責任もまた当事者なのです。よそ様の意見は参考です。不要なら不要で良いでしょう。
原発報道ですが、国の立場が入り乱れますのでまじめに聞かない方が良いでしょう。真実は報道されないでしょう。本当に安全か、そうでないかは何年後かにわかることかと思います。
当然原発問題は関西にも、飛び火します。正直私としてはなるようにしかならないと思っています。
それよりももっと日常に目を向けたほうがよっぽど健全です。
ぶっちゃけ、人を選んで着拒にしたい時がありますよ…。ほとんど縁のないうちの安全のことを考えてもらっただけで有難いって思わなきゃいけないんだろうけど。
本当はその人たち自身が不安で怖くて、安心させてもらいたいんでしょうね。
(hamoさんの仰る通り、西日本だろうと他人事ではありませんもの。どこに住んでいても付近に原発はあるし、地震は起こるし、物資不足にもなります)
人間って難しいです。
学生の頃は気の合う友人とばかり遊んだりしてたけど、社会に出たら寧ろ社交辞令で付き合う人の方が実際は多いです。
親切だなって思った人にうっかり悩みを話してしまい、後でみんなに知れ渡っていたりとか、心配してる振りしれ実は好奇心で首つこっむ人とか。
他人に無関心もいけないけど、何て声かけたらよいのかっていうのが今の悲惨な現状に対する私の思いです。
あれからなるべく、相手をするのが難しそうな人とは微妙な距離を置き、自分の生活に専念するようにしていました。
お付き合いできない時にはっきり「NO!」と言うことができれば、世の中楽なんでしょうけれど…。
大人になればなるほど、そうもいかなくなるから困りますよね。
わたしも、被災した友達に対して、どう声をかけてよいか分からなくて、悩んでいます。
自分の不用意な言葉で傷つけてしまうことが怖いです…。