久しぶりの投稿です。
先週生まれて初めてぎっくり腰になってしまい、
長い間、芋虫のように家で転がっていたのでした。
いや、辛かった。朝目覚めたらなんだか腰が痛くて、
動けば治るかなーと買い物に出かけたら悪化してしまって、
翌日はもう寝床から自力で起き上がれない…。
朝から晩まで横になっていても痛いので、病院に連れて行ってもらい、
その後は薬飲んで安静にしているしかない数日間。
一番症状のきつい時期に夫の休みが重なったので、
ごはんを買ってきてもらったりして助かりましたが。
中腰が痛くてトイレがきついわ、風呂に入りたくても動けないわで、
ぎっくり腰がこんなに大変だとは思わなかった…。
(激しく痛くてうっかり動けない状態から、今は動けるけど、じんわり痛い段階に。
サポーターつけてるけどじわじわきてるので、ぱぱっと投稿、しちゃいますね…)
写真はゴンチャロフのアンティキテというチョコレートの缶。
バレンタインのプレゼントには、大分前に本を贈ったのですが、
その「ぎっくり腰になった日」にデパートを覗いた時、
バレンタインチョコ会場でこれを発見。
かーわーいーいー!!と内心盛り上がっちゃって、買ってしまった訳です。
中身はこんな感じでした。
バレンタイン当日はわたしが寝込んでたけど、あとで食べてくれたよ。
ちなみに本は、夫の好みを考慮してこのような作品を選びました。
興味がある世界だけど自分では見つけられず、買いそうにない路線を狙いました。
(夫は欲しいものは躊躇わずに買うタイプなので、プレゼント選ぶのがいつも大変…)
わたしはぎっくり腰ばたんきゅー状態の時、
「のだめカンタービレ」のアニメと実写ドラマ&映画を見続けていましたよ。
今はマンガのほうで復習。
これまで読んでいた限りでは日本編が面白すぎて、巴里編が物足りなかった感じがしましたが、
改めてじっくり一気読みすると、リアルタイムで新刊が出るたび読んだ時とは違う印象です。
深いね、これは。登場人物の心理を説明する台詞が少ないから、
なんとなくこんな気持ちか?と読み飛ばしていた場面が、
実は(全体の流れを踏まえたうえで考えると)こういうことだったのかもしれないな、とか、
自分の中で読み方が変わって、より興味深いです。
(以下ネタバレ注意です!)
努力する勤勉な天才である千秋をのだめが追いかけていた日本編。
巴里編で、のだめ自身も眠っていた才能を開花させつつあるのに、
最終目標が「千秋との共演」と思い込んでいるから、
音楽に対する長期持続的なモチベーションがない。
本物の音楽家になるには、「千秋との共演=恋愛の成就=頂点で終了」ではなくて、
恋愛と音楽を分けて、それぞれ別物として向き合っていき、
特に音楽はいい出来だったからおしまいに出来る訳でなくて、
いつも最上のものを目指して研鑽していかなければならないのだけど。
その辺が割り切れないのだめは、千秋とRuiの素晴らしい共演に衝撃を受けるし、
シュトレーゼマンとの共演で自分は限界まで良い演奏をしてしまった、
千秋とそれ以上の共演ができるはずもない、と思い込む。
千秋は千秋で、のだめの才能を認めているはずなのに、
その怪物的な成長を見せつけられるたび驚き、
覚悟しているつもりでいて、彼女の迷いや不安を受け止めきれない。
初読時には最終回があっさりしていると思ったけれど、
これからもお互いに切磋琢磨して、寄り添ったり独自の世界にこもったりしながら、
新しい出会いや経験で変わっていく音楽を、その時その時で紡いでいくということなのだろうから、
きっと二人の旅に安直な終わりなんてないんだよね。
のだめと千秋は芸術家として、どちらかに道を譲ることなく同じ業界を生きていくから、
大変なことは沢山あるだろうけど(のだめの勉強に千秋が肩入れし過ぎた時のように)、
お互いにライバルで相棒でもある対等な恋人というのも素敵だなと思います。
(最終的に、のだめは千秋を上回る天才だったのだなあ…)
それにしても、芸術の世界って…。
スパルタでも放置でも伸びる奴は伸びるし、天分があって努力しても運が無ければ世に出ない。
千秋は初め、Ruiのように育てられたら、のだめも早くに才能を伸ばせただろうと考えていたけれど、
おそらくのだめのように、普通に育ってきたから生み出せる表現もあると思うんだよね…。
英才教育をする親は必死で子供の可能性を伸ばそうとするのだろうけど、
高名な音楽家の子供時代って、音楽に専念させすぎてちょっと歪んでいるところがあるしね…。
(だから後年、私生活の問題が出てきたりするんだろうな。
音楽さえ素晴らしければ何でも許される世界だから、それもありなんだろうけど)
野田家は裕福という訳でもないのに、娘を音大に行かせてあげて、
音楽が嫌いになるまで無理やり弾かせたりせず、のだめのあるがままを受け止めてきて、
その愛し方がすごくいいなあ、と思うのです。
Ruiはよく分かっていたけれど、RuiにはRuiなりの表現の仕方があるし、
のだめはのだめにしかできない表現というものがある。
それぞれ味わうことができなかった経験もあるけど、自分を築き上げてきた記憶は得難いもの。
千秋も作中言ってますが、無駄なことなんてないのですよね。
今17巻まで読み終えたところですが、少し前に映画「風立ちぬ」を観た後なので、
千秋の父の雅之が「風立ちぬ」の二郎さんのように思えます…。
ああいう風にしか生きられない人もいるんだろうなあ。
そして才能に魅了されて、それが男女の恋愛感情になってしまうというのも、
(音楽と恋愛の混同で)錯覚かもしれないけど、なんか理解できるような気がする…。
「神童」(さそうあきら)で和音と香音が、初レッスンで二人で音を紡ぎ、
そのままなだれ込むという展開があったと思うのですが。
極端な話、そんなこともあるだろう、と頷いてしまいます。
本当は分けないといけないことなのでしょうが。
千秋の母の征子さんも、雅之を支え続けて、夫婦としては裏切られたけれども、
離婚したあともそれなりに連絡し合っているということは、
愛情が冷めても雅之の音楽を認め続けているということなのかな、と。
音楽でしか思いを表現できない男だとよく理解してるんだろうな、と。
そんな風に想像したのでした。
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