Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

Hokuriku Memories#13

2014-05-09 | 鉄道写真


 北陸地方民鉄の、旧式車を中心に紹介してきた本連載。回数は中途半端ながら、遂に最終回を迎えました。今回は、「のと鉄道」廃止区間を中心にお届けします。


 「多客期に列車が走る。」とインターネットに書かれ、平成23年お盆の時期に、行きたくなった蛸島。先ずは、「のと鉄道」蛸島駅跡に行きました(写真)。保存会の活動拠点となっていたようですが、壊れたグッズ自販機のみで、この日は活動していませんでした。



 ホームに上がり、列車で訪問した時と同じアングルで一枚(写真)。人気が無く、寂しい限りです。



 廃止後に建設された道路により築堤が分断され、その西側には「新蛸島」なる仮設駅が出来、そこで動態保存されたNT100形に乗車できる、とHPに載っていました。そこで、運転されるであろうお盆に訪問しましたが、NT102が置かれるのみで(写真)、動態保存の形跡は見当たりませんでした。廃止後行われていた保存活動も、自然消滅したようです。残念。



 続いて、主要駅であった珠洲へ。コンクリート製のホームの一部が残り、駅を思い出せるような構造になっています(写真)。留置線跡は、道の駅の駐車場になっていました。なお、この反対側、元の駅舎側には、国鉄当時の工作年次を示す刻印が残っています。



 珠洲に続き、先に廃止になった輪島へ。道の駅の裏、文化会館脇が駅跡で、ホームの一部、「シベリア」行き駅名標と、営業当時を思い出させるパネルがあります(写真)。



 現在の終点、穴水へ。0番線跡、NT127の手前に、手前NT802、奥NT801が入りました(写真)。



 3番線には保線機械が停まり、写真は輸入鉄道機械、”MATISA”社製マルタイが置かれます(写真)。”Juliette 1981”と刻印され、古い機械であることが分かります。



 その結果、能登中島には、郵便車オユ10 2565のみが残ります(写真)。のと鉄道部分廃止前は甲駅に保存され、傷みが激しく解体寸前であったのを移設し、保存しているとのことです。車両番号前には丸の標記が付き、横軽対策車であったことが分かります。


 北陸地方には、過去の名車等、貴重な車両があったことが分かります。今となっては撮ることも出来ない車両も多く、貴重な記録となっています。このような形で残すことが出来、嬉しく思います。


 これで本連載は終わりです。次の連載について、ゆっくり考えようと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

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