何が見えるかよりもどう認識するか
金子です
顕在化
こんばんは
昨日まで山積みされていた缶詰がまばらな状態
供給量は十分にあるんでしょうからあまり気にしていません
何かに備えるという意識が低く
危機感が無いと言われればそれまでですが備蓄に固執しません
何とかなると思っているからです😏
何でこうも世間と差が出ているのかなと考えると
何かモノがなくて困ったことはしてこなかったし自分が生きるためだけであれば断食の経験からそこまでの必要量は無いからだと思っています
なので
カップラーメンを見た時に
備蓄者(ビチカー)は買わなきゃいけないモノと認識し
金子はスーパーの風景の一部としてしか認識しません
つまり金子カップラーメンは見えていますがカップラーメンを認識していません
同じ場面を見てもこうも認識が違う
同じ環境でもその環境がありがたいと感じる人と不満を感じる人がいます
これは同じ物事をみても
「ありがたいこと」を認識して顕在化させるか「不満なこと」を認識して顕在化させるかの違いなのかなぁと思います🤔
もちろんバックボーンに何があったかも関係してくるでしょうが、、、
それぞれの認識のせいで異なる認識ができないこともあり得るのでどっちが良いか悪いかでは無く物事は多面的であることを念頭におき考えた方がいいんだろうと
意識高い系の本を読んで思いました🤓
何をどう捉えるか
どうせなら楽しくなる方に捉えたいっすね!!
ということで
今日はこの辺で
お休みなさい💤