80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

「時」を思う

2015年04月10日 16時05分24秒 | 考える
4月10日(金)

「高いモチベーションを維持する・・・だけ。」
  いやいや、それが一番難しいことなのだ。


「無料レポート」 ・・・リライトにこだわるな。
何も、くどくどと考える必要はない。

あるがまま、思うがままを、まず一言。 
まぁ、出来る範囲から。


骨折、あれから1ヶ月。
・・・まだ、痛い。
全治2ヶ月だというから、それは無理もないが。

気のせいか、今朝は、ことのほか寒い!!

・・・・痛い!!  ・・・寒い!!!

で、いつしか、環境になじんでいく。
そうして私は「無為」というものに、慣れてきた。


今、何故か、無性に苛ついている。 


私の人生。
私の人生は、すでに終わってしまっているのかもしれない。
今後は、余生(?)を、日だまりを求めて、生き延びていくしかないのだろうか?

あとは自由(?)に過ごしていくのみ・・・か。

で、その後には何が残る?
無論、死んだ私自身には、もはや何の意味も持たない(? !!)話だろうが・・・。


考えてみると、私本人が、余生(=残生・・・残りの人生=残らない)を、
「成り行き」で生きていくとは、何という笑い話だろうか。 

もっとも、人は誰であれ、生まれてこの方、ずっと「成り行き」
積み重ねてきたのだと言えなくもないのだが。


現在の私に大事なことは、
今日、この時間を、どう生きていくのかを決めること。

結果、自分の行為が、将来、相手に対して、どれだけのメリット、
あるいはデメリットを与えることになるのか?

それを考えていくことなのかもしれない。


一週間ほど前、スターバックスに出掛けた。  
 (白状すれば、ほとんど毎日寄っているといった方がいい。)

自前のコーヒー (所詮、インスタントコーヒーさ!!) と、喫茶店のコーヒー。
一体、どこがどう違うのか?

値段の違い・・・?
手順 = つまり味の違い・・・?
気分の違い・・・?


おそらくは、「環境」の違い。
たとえ、交流はなくとも、周囲には他人がいる。


私は、本当は「人との触れ合い」を求めているのかもしれない。
職場には「触れ合い」がある・・・。(?)


人と人との関係 ・ ボディランゲージ

顔(自分)を隠して、派手なコスチュームに身を包む。
こんな私でも、ひょっとして、誰かが必要とするかもしれない・・・。 


いや、いや、いや・・・。
人との絆は、自分の望みと相手の望みが、一致した所から生まれる。


時間も、私の大事なパートナーだと、思ってはみるが・・・。

これは、私の単なる妄想・・・か。


例えだが (いちいち、こう断らねばならないのも、何だかなぁ・・・)、

恋人同士でも我慢できないものはあるのだ。 ・・・多分・・・。

いつかきっとそれが分かる。


今更・・・って、いやいや、まだまだ、この先50年、私は生きる。
長く生きていると、想いが伝わらないことなど、ごくごく当然の事なのだ。
さらに、長く生きていればいるほど、ひょっとした加減で、たまには想いが伝わることだって・・・。

俺もあいつも、所詮は別人格なのだ。
なぜ、いつもいつも、自分が他人の迷惑だと思う必要があるのか?


確かに、人にも賞味期限があるのかもしれない。
しかし、賞味期限を越えて生きる人間が増えていく時代だ。

賞味期限と消費期限は、異なるのだとか・・・。
賞味期限はともかく、人生の消費期限は、ますます延びていく。


自意識過剰・・・?

結局、私は、他人から認められたいだけなのかもしれない。 


そうなのだろう。
私は、自分の存在感 (現在、生きている実感) を確かめたいのだ。
このまま、ただ独り部屋にこもっていても、誰もお前などには目を向けやしない。



脈絡もなく、ふいに思う。

「年金が入ったばかりの時は、気が大きくなる。」

まだ、一週間先ではあるが、これだけは、今から注意しておかねばなるまい。


さらに、年金は 「2ヶ月分」 なのだ。

要注意・・・このこと、構えて忘るべからず !!!