80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

高齢者福祉センター 「くぬぎ館」 にて思う

2017年01月26日 18時34分08秒 | 考える
高齢者福祉センター 「くぬぎ館」 にて
(やっと、会館の正式名称に気がついた。
    ・・・ 入り口にちゃんと書いてある。)

・・・と、それは、さておき、
思えば、昨年、2016年 (平成28年) 6月9日 (木) 母、逝去。
母の死から、すでに半年以上が経過している。

しかし、私の中に、ポカッと開いた空間は、なかなか埋まってくれない。
むしろ、時間経過と共に、大きく広がっていくようにさえ感じる。


「甘ったれだ・・・!!」と言わば言え。
「そうだ !! その通りさ・・・!!」


私の中に、突然出現した心の隙間は、時間経過とともに埋まるどころか、
逆に大きくなっていくような気さえする。


人には、いつでも、同レベルの、あるいは同環境を背負った話し相手が、
本当は必要なのかもしれない。


高齢者福祉センター「くぬぎ館」で、
ひとり椅子に腰を掛け、ぼぉーっとしている。

目の前のテーブルでは、妙齢のご婦人方が、話をしている。
年老いた奥さん、もしかすると旦那さんと死別した女性・・・。
彼女たちは現状に満足しているのだろうか?

見ていると、とてもそんな風には思えないが。

もっともっと、何かやりたいのだが、現実には、何ひとつ、やることが
見つからない。

そんな風にも見える。


私自身は、時の経過とともに、気力はともかく、まずは体力の衰えを
感じている。


気力はともかくと、書いてはみたが、その実、肝心の気力も格段に落ち
込んでいることに気がついている。


読み返してみれば、何とも落ち込むようなことばかり書き連ねている。
まぁ、正直、その通りでしかないのだから仕方がないのだが。

ひたすら願うばかりでは、少しも心は満たされない。
他人とつながるためには、まずは、どちらかからの 「働きかけ」 が必要だ。

他人を当てにするな。
今さら、何も、何一つ、他人様から、返ってくることはないだろう。


センターで、椅子に腰を掛けて、それとなく耳を傾ける。
内容までは聞き取れないが、それこそ、ずうっと話し続けている。

これが 「人生」 と言うものかもしれない。
ずっとため込んできた 「人生」
ずっと、誰かに話したかった、ほかならぬ自分自身の 「人生」


1 日やそこらでは、とても総てを語りつくせるものではないのだろう。

そういえば・・・と、不意に思った。
母さん、ベッドの中で、話し相手もなく、
独り・・・寂しかったろうな

などと、今さらながらに思う。


人には、自分の話をどこまでも聞いてくれ、
しっかりと理解してくれる、そんな相手が、
絶対に必要なのかもしれない。