80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

人生・・・などと

2015年06月13日 19時44分06秒 | 考える
作者はその一つの作品の中へ自分を焼き尽くすものなのだ。
そうすれば作者なんか居なくなってしまう。
残るものは作品だけだ。
  福原麟太郎 「天才について」 より




人はその人生の中で自分を焼き尽くすものなのだ。
そうすれば自分なんか居なくなってしまう。
残るものは人生だけだ。
  風来居士 「無才について」 より・・・などと。
 


何が真実か、何が虚構か?
それは、つまるところ、自分が何を信じるか? 
何を信じないかに依存する。

私の60年は、あっという間だった・・・かな?
・・・何だったのだろうか?


恋に落ちてくれた人・・・無し。
やりたい事・・・やらなかったこと、総て・・・無し。


私には、もう何の魅力も無いのだろうか?
という問いは、
「そんなはずはない!!」という反語(?)。



ときめきが欲しい。
旅に出たい。

昨夜、DVDで 「マディソン郡の橋」 を観た。

クリント・イーストウッド(役の写真家)に憧れる。 
つまり、そういう事だ。


・・・・・
知りたいことがある。
私の人生には欠落部分がある。 

今さら知って、どうなるわけでもないが、
このまま、何も知らずに死んでいくのは
何ともやるせない、やりきれない。
といって、それは生きている 「今」 だから言えること。

過去は過去。
どうあがいてみても、やり替えるわけにはいかない。
しかし、知っていてやり直さないのと、
知らずにやり直せないのとは、
微妙に違うような気がしている。


無論、私などの思い込みに、さして意味があるとも思ってはいない。
単なる思い込みでしかない事は分かっているつもりだが。


旅が・・・、 何か・・・。


弟は仕事・・・今、私は駄文を書いている。
何か違うような・・・。

堕落していく日々・・・。
変化をもたらす金も、飛び出していく思い切りも無い。

灰皿がいっぱいになり、
  煙の中で、また、日が暮れる。
 

生きていく・・・。

2015年06月12日 19時34分39秒 | 考える
出来るからやるのではない。
やるから出来るのだ。
やったから出来たのだ。


積極的に、自分を売り込む。
自分が満たされなければ、他人を満たすことなど出来やしない。


どこかの本か、ネットの中で、誰かが言っていた。

人は、とりつくろわない本音の言葉に、どうしようもなく魅かれる。
自分を格好良く見せよう、いい部分だけを見せようとする人間に対しては、
警戒感を抱いてしまうが、多少、格好悪くとも、弱い部分や裸の自分を
さらけ出す、そんな「本音」には思わず心を開いてしまうものらしい。


少なくとも、自分らしく生きる。
私は、この言葉に惹かれる。

しかし、よく言われるが、「自分らしく」という部分が、
私には、未だによく分からない。


会社勤めを終えて、間もなく丸3年になる。
他人はどう思っているかは知らないが、
私としては、会社中心に生きてきたつもりでいる。

会社を離れて以来、周囲と妥協
(当然のこととして、そんな意識は、まるでなかったが。)
する必要がなくなった。

なぜか、満たされない。 

自分の心の中に、言葉と言葉の間に、
大きな空間が出来てしまっている。
生き方の本を開いてみても、一言一言が、何故か空々しく思える。
人と付き合っていても、何故か、やらされている感が脱けない。


自分の実力が、独立に不安感を抱いているのかも知れない。


目的・・・目的を持つとは、生きていく上で最も大切な
ことではなかろうか?

それは分かるような気がする。

しかし、何とかしよう、何とかなるさ・・・などと考えるのが、
そもそも思い上がりというものだ。
この歳で、何とかなるような事など、ほとんどありはしない。


水を飲んでいて、いきなりむせた。
何か、水さえ、まともに飲むことが出来ないのかと思う。 

ため息が出る。

やはり歳か・・・という私と、
いやいやと首振る風来居士。



今朝も出掛ける弟を5階の窓から見下ろして    
今日は何をするべきか?・・・などと考えている。

曇り空・・・。 

当たり前のように、(・・・当たり前だ) 歳を取っていく。

誕生日までは、なかなか気がつかないが、今日も確実に歳を取る。

そう、どうやら、日々歳を取っている・・・らしい。
日々、無力感に包まれていく。

いつも思う。
このままでいいのか?

私の人生は

2015年06月06日 22時15分45秒 | 考える
私の人生は、善くも悪しくも、私のオリジナルだ。

今思うに、それは確かなことだ。
過去、どんな環境、どんな状況にあったにせよ、
結果として、この道を選択したのは、私自身に他ならない。

成功だったのか、失敗だったのか?
いずれにせよ、環境、干渉を問わず、
現在ある私は、自分自身の選択の結果だ。

自分の生き方に積極的に手を加え得る。
これは個人として、一番誇れることではないだろうか。

失敗を怖れるのは、はみ出しを怖れるからだろう。
しかし、考えてみれば、もともとはみ出している男だ。
自分の行動には、自分で責任を持つしかない。

規格に収まる能力がなかったなどとは、所詮、引かれ者の小唄。

何とかせにゃいかんと思うなら、ぬるま湯から飛び出せ!!
   ・・・などと呟きつつ、結果、現状を選択した結果だ。 


今さら見栄を張っても意味がない。
お前は既に、何も持たないただの老いぼれに過ぎない。

惰性のタバコ・・・。
虚勢の酒・・・。
それでお茶を濁している。
 


他人の立場、他人の位置から、もう一度事態を反省してみると、
それはつまるところ、一種の自己満足、あるいは自己欺瞞に過ぎない。
この生ぬるさから抜け出せなかったのは、平凡志向だったと言えないか。

当たり前の顔をして、ごくごく当たり前のことをやっている。
それが私にはどうにも我慢が出来ない。
と言いつつ、自分を振り返ってみれば、ずっと同じ事をやっている。 

人生には過去も未来もない。
あるのは現在、この時間のみだ。

現状、やがて70に手の届こうという人間とは、とても言えない。
未だに生きる意味を模索中だとは、何とも笑えてくる話ではないか。


自分らしく生きる。
自分にとってメリットがあるときは妥協し、
そうでないときは自分らしい生き方をすればいい。
  ジェリー・ミンチントン 「うまくいっている人の考え方(発展編)」

生きることって・・・。

2015年06月04日 20時45分53秒 | 考える
間違った知識に気をつけよ。
それは無知よりも危険だ。
    バーナード・ショー


いくら思い続けていたとしても、実際にやらなかったのでは、
何の意味もない。

今さら思い出したところで、何も出来やしない。
何も変わらない。
・・・事もないか。
これから、今から、何か出来るかも知れない。 

にしても、言い訳ではないが、頭が重い。
これからやるべき事が見えてこない。

何をやるにしても、意味がはっきりしない。
惰性・・・?
それはそれで、それなりに価値はありそうだ。

とは言え、
たとえ失敗しても、何もやらないよりはマシかも知れない。

生きている証明にはなりそうだ、多分・・・。

これからの時代は、自己責任だとか。


読みたくなる文章。
待ち遠しくなる文章。
そんな文章、記事が書けたら良いと思う。
 

私は邪魔者なのかも知れない。
でも、まぁ、それを承知の上で
でろでろと生き延びて
老人してやろうと思う。

が、よくよく考えてみる (までもないか) と
人間は一人で生きていくものではない。

今さら何を悪あがき・・・。
まぁ、そう言われても構わない。
それもまた人生ということだろう。


今日、善き世界を作るのに一番の障害となるのは恐怖の心である。
    バートランド・ラッセル

風来随想録 (7) 六然観

2015年06月03日 19時39分55秒 | 考える
2015年 (平成27年) 6月3日(水) 雨のち曇り

静かに雨が降る。

午前8時15分 ピース最後の1本に火を付ける。
静かすぎる部屋の中。

6月3日・・・雨の水曜日。
秒針が時を刻む。
時間が積もり重なっていく。

静かな朝だ。
タバコが短くなっていく。
空き缶に、最後の灰を落とす。
吸い殻を放り込む。


私は、自分の死について考えたことがない。
・・・いや、これは・・・? ・・・嘘だな!!

やがて来る死の前に、誰かのために何かしたい。
格好良く生きて、格好良く死んでいきたい。

これまで格好良く生き損ねた。 
せめて、格好良く死んでいきたいと思う。


他人のためにすることを億劫がるな。
相手のために自分の時間を提供する。
情報発信のみ・・・?
人との関係を構築する。


人には人の道がある。
そもそも私が人の役に立ちたいなどと
大それた事を考えるのが悪い。
私は自分自身の役にすら立ってはいない。


ふと弟を思う。
彼は自立したいと願っているのではないか。
そう考えたら、気がついた。
本当に自立したがっているのは、私自身だ。
私は彼に自分を投影させていただけなんじゃあないか?
だから彼を見て、何か歯がゆさを感じていたのだろう。


退職後、私は自由に生きる時間を与えられた。
言い換えれば、「放置」だ。

自由に行動する。
自由に考える。

自由とは、無数の、多過ぎる選択肢だ。
人は無数の選択肢から、たった一つだけしか選び得ない。


老人として、人間の中に埋没していく自由。
他人が道を示してくれるのを、じぃ~っと待っている自由。
あるいは、新宿の人混みに紛れて、自由を探し回る自由。

ひょっとしたら、どこかで 「自由」 に出会えるかも知れない。
すれ違う「自由」に気がつくことが出来たらいいのだが・・・。

自分を売り込む。
そんなこともあって良いのではないか。
もう先のないことだし、(いくら生き延びても、たかだか100年か)
思いつきで生きてみるのも悪くない。
見栄の恥のという年でもあるまい。

大体、私は何がやりたかったのか?
それは、どうしてだったのだろう?
改めて、考えてみる必要がありそうだ。

大量の情報を頭に流し込み、
濾過して、いらないモノはどんどん捨てていく。
 → 実際は、なかなか捨てられないのだが、
       そのくせ、すぐに忘れてしまう。

この所、老人老人と、連呼しているが、
まぁ、それはそれで、釣り合いが取れていると言えなくもない。

窓を開けると、いつの間にか、雨は上がっている。


六然観 (良寛)
超然として天に任せ
悠然として道を楽しむ
厳然として自らを慎み
靄(あい)然として人に接す
毅然として節を持し
泰然として難に処す