80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

風来随想録 (6) 北帰行・・・?

2015年06月02日 20時10分02秒 | 考える
弟だけ働かせて・・・という罪悪感が常にある。 
一方で、それはもういいんじゃないかというような気はしている。


思えば、私は、高校中退して、家族から独立して以来、
ずっと働いてきた。
定年後も何年間か粘って働かせてもらってきた。
金は貯まらなかったし、
縁なく、嫁さんも来なかったが、
仕事で、人生で、手を抜いたという思いはない。

労働時間に見合った成果が上げられたかどうかは疑問だが、
後ろ指を指される事はなかったはずだ。

けっこう自分なりに頑張ってきたと思う。
今、この時点では、そう思う。

明日になって、どう思うかは、神のみぞ知るだが。

いや、神様とて忙しかろう。
お前が明日どう思うかなど知ったことか・・・と言うかもしれない。


ちょっっぴり残念なことがある。
少年の頃から、父に憧れてきた。
父のような教師になりたかった。
ずっと思い続けてきた。

父が私から去って行ってからも、
私の中では、そのまま夢として残っていた。

結果、30,40,50,・・・


夢はぁ~、空しく消えてぇ~、
今日もォ~、闇をさすろうぉ~・・・♪
 「北帰行」 小林旭さんの渋い声が聞こえる。
 

もっとも、私は北へ帰ることはなかったが、
私が、教師になることも出来なかった。


私は私なりの生き方をすれば良い。
・・・てのは、一種の諦め、開き直りかも知れないが、
まぁ、人生なんぞは、そんなものだ。
必要以上に考え込むこともなかろう。


誰にだって美点はある。
誰にだって汚点はある。
正直な話、何が美点か、何が汚点か、よく分からない。



要するに習慣というものは、
善くもなり、悪くもなるから、
別して注意せねばならない。
  「渋沢栄一訓言集」座右銘と家訓より
 

「そういう事なんだろうな」と思う。

人に左右される自分が・・・と言うが、
考えてみると、それもまた自分なのだ。

雑感・雑記 (4) 存在感

2015年06月01日 07時50分08秒 | 考える
辞を以て人を尽くさず。 (礼記・表記)
 言葉だけで人のすべてを判断してはいけない。
 口から出る言葉だけで、その人の人柄まで判断できるものではない。



そうは言っても、それ以前に、悲しいことに、私には人の心が読めない。
読んだと感じても、所詮は、こちらの思い込み以外の何物でもない。

何とかしよう、何とかなる。
そんなことを考えることが、そもそも思い上がりだ。  


たまたま、二人が同居している。
ただそれだけの話。

彼には彼の意見と好みがある。
私には私の意見と好みがある。

個性の尊重と言いつつ、
相手の関心がどこにあるか?
常に気にとどめつつ、自分の意見の権威づけをする。


人間関係をそつなくこなそうなどと言うのは
そもそも間違いなのかも知れない。     


「何でも良いよ、任せる。」という言葉に、
どの辺で納得するか?
どの辺で折り合いをつけるか?

当方は意地とプライドで、相手に応えようとする。
出来れば期待(?)に応えたい。  
しかし、どこに、何を期待しているのか
つまるところ、肝腎なところが、さっぱり分からない。


希望をちゃんと示してくれる相手の期待に応えること、
これもかなり困難な作業。
まして「何でも良い」期待に応えるのは
ほとんど不可能だ。   

無理は承知の上だ。
多分、どんな回答であっても、相手を
満足させることは出来ないだろうと思いつつ動く。


二人の意志のすれ違い。
こちらの読みの浅さにほかならない。
相手が語らなければ、察する以外にない。

しかし、察すると言ったところで、
何をどう、どこまで察すればいいというのか?

いくら察すると言ったところで
所詮、他人の腹の中。
皮一枚とはいっても外側からは何も見えない。


とは言え、相手にとっては、結果が総てだ。
結果が悪ければ何の意味がない。


どれだけ関係が深かろうが、所詮は他人以外の何物でもない。 

で、どうする?

・・・働かない私の存在感は・・・?
私の存在感を示したい!!