80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

思い・・・あるいは願い

2015年11月17日 09時23分57秒 | 考える
「一人暮らし」 も飽きてきた。
求めて始めたはずだったのに
あまりに長い、長すぎる。

そろそろかなと思っても、
今さら遅い、歳の壁。
どうにもならない。
終わらない。

まったくもって終わらない。
どうにもこうにも終わらない。
何とかならぬか、どうするか?


聞けば、かの人アンデルセン、生涯一人で過ごしたそうな。
悲しい孤独の大先輩。

※アンデルセンは、極度の心配性であったらしく、外出時は非常時に建物の
窓からすぐに逃げ出せるように必ずロープを持ち歩いた。
さらに、眠っている間に死んだと勘違いされて、埋葬されてしまった男の噂話を
聞いて以来、眠るときは枕元に「死んでません」という書置きを残していた。
70歳の時に、肝臓癌のため死去する。 (ウィキペディアより)



別段に、話すこととて特にはないが、
女性と共にひとときを、じっくり過ごしてみたいもの。
隣に「あなた」を感じたい。

珈琲1杯 →30分。
一緒に香りを楽しんで・・・。


しかし、それで繋がる恐怖もある。
他人から縛られる気持ち、縛られる時間。
何を今さら感・・・。

笑顔・・・それが商売上の笑顔であっても、
まぁ、良しとする。
所詮、それ以上は望めまい。
たった一時でも、可能であれば、独占してみたい。
・・・まっ、それとて無理だとは思うのだが。

看板は、開店のシンボルだと思う・・・。(←何の意味が・・・ )


何一つ、完成しない。
何一つ、始めた気がしない。
宙ぶらりん。

私は結果が欲しいのだ。

生きてきた意味。
生きていく意味。


今日もまた、無為な時間を浪費の予感。
無為なら無為でいいではないか。
隣で誰かがつぶやいた。

本当に、私に生きる意味、そして資格があるのだろうか?

誰かが言った。
「味のある老人になれ。」 、と
「何やらやったつもりの、傍観者から抜け出せ。」 、と。

力を込めれば込めるほど、空回りすることもある。

やるかやらぬか、それで今後の総てが決まる。
やれば、良きにしろ、悪しきにしろ、結果が出る。
やらねば何の結果も出ない。


過ぎ去った日々を惜しむな。
来る時だけを楽しめばいい。



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13日のホームレス

2015年11月15日 11時03分27秒 | 考える
11月13日(金) うす曇り

気がつけば、「13日の金曜日」

いつも、そんなことばかり言っている。
まぁ、だからといって、何かあるはずもなし。
(・・・本当に・・・??)



10時過ぎ、バスで市内に向かう。
何となく気だるい。


いつもの交番前の広場。
ベンチに腰をかけて一休み。


腕を組んで、ボーッとしていると、
一人の男性が、近づいてきて、私の隣に座る。  

ちょっと間を置いて、声をかけてきた。

「顔色が良くないなぁ・・・。」
「・・・・・・」
「疲れているのかね?」
「・・・少しね。」  

「この弁当、食わないか?」
「ありがとう。 でも、さっき食ったばかりだ。」


「仕事は、あるのかね・・・?」
「いいや、現在無職・・・。 
 私は欲しいと思っているんだが、どうにも、この歳ではね・・・。」 

「良かったら、私と一緒に来ないか・・・。」

「・・・?」
「なにね、今晩泊まる所でも紹介しようかと思ってね・・・、」

「うん・・・?」
「だだで飯を食わせて、だだで寝れる所を紹介するよ。」
「えっ・・・??」

「川崎方面になるがね。」
「・・・?」

「なに、ボランティアをやっているのさ。」


やっと事情が読めてきた。
どうやら、私は 「ホームレス 」に間違えられているらしい。



まぁ、着ているものは薄っぺらの背広と、色のかすれたジーパンだ。
見ようでは(?) 「ホームレス」。


まぁ事実、考えようでは、「居所無しのホームレス」と似たようなもの
ではあるが。



う~む・・・、多少は(?)、外見にも気を遣わねばいかんな、と、
反省しきりの風来居士である。
   

夢の話 (改めて、その1) 海辺の小さな駅で

2015年11月14日 18時32分43秒 | 考える
最近、やたらと夢を見る。
眠りが浅くなっているのかも知れぬ。

海辺の小さな駅で

この頃、やたらと夢ばかり見る。

先日も同じ事を言っていなかったっけ・・・?
「相変わらず、本当に進歩しない男だな」と突っ込まれそうだ。
まぁ、それは無視、そっちに置いておいて・・・。


どこか小さな駅で、電車を待っている私。
海の近くなのだろう。
波の音が聞こえる。

朝、まだ朝日が昇る前なのか、辺りがすごく暗い。
いや、もしかすると夕暮れ、日没後なのかも知れない。
時計を目で探すが、どこにも見当たらない。

駅舎のない、改札口と、狭いプラットフォームだけの小さな駅だ。

気がつくと、
プラットフォームが、何故か、団体の旅行客で埋まっている。
プラットフォームからはみ出しそうで、押しくらまんじゅう状態。

ガヤガヤ、ボソボソと、騒がしいこと限りない。 

聞こえてくるのは、どうやら、英語と中国語らしい。 
(これは、多分、最近のネット、テレビの影響だろう。)


ほんのりと、周囲が明るくなってきたのは、朝だということか。
団体さんのざわめきが、一段と大きくなる。

電車がやって来たようだ。
1輌だけの小さな電車。
プラットフォームに入ってきた電車が、音もなく止まる。 


ドアが開くと、降りる客を確認する間もなく、
待っていた団体客が、前後のドアに、我先にと殺到する。

不思議なことに、あれほど大勢の客が、この小さな車輌に
すんなりと収まってしまった。


発車のベルもないまま、ドアが閉まって、すうーっと
電車が走り出す。
走り去る電車を、ぼやぁーっと眺めている私。

電車の後ろ姿が、点のようになって、ふっと気がついた。
本当は、私もこの電車に乗るはずではなかったのか・・・?? 


「まっ、いっか・・・ !!」

次の電車が来たら、乗ればいい。


けど・・・・。
と、私は首をひねる。

私は、一体、何時までに、どこに行くつもりだったのだろう?

友人と、何か約束していた のだけは確かなんだが・・・。



焦っているうちに目が覚める。


この稿を書いているうちに、ふと気がついた。

「どこに行くべきか判然としない」ということは、
逆にいえば、「どこにでも行くことが出来る」ということではないのか。




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古都 原町田

2015年11月13日 19時41分22秒 | 考える
ベンチに腰をかけ、目の前を流れる人波を、
ぼやーっとした目で眺めている。 

横に交番・・・。
先ほどから交番の中から、お巡りさんが、
しきりに、こちらを睨んでいるようで、 
何とも落ち着かない。

無論、私を睨んでいるわけでもないだろうが、
何となく、そんな気がするのは、私の気のせいだろう。



そう、私だって、私だって、何もこんな所で、
昼間っから、尻でベンチなんか温めていたくはない。
仕事がありさえすれば、胸だのお腹だの押しつぶされそうに
なりながらでも、満員電車に乗り、職場に出掛けていきたい。
 


最近は、何をするにも、バス定期券の日付、そして銀行通帳の
預金残高が気にかかる。



隣のベンチで、男の人が横になっている。 
ぐっすり眠っているらしい。
何とも不用心で、こちらの方が落ち着かない。


小バエ(?)が、私の目の前に、ユルユルと飛んできた。
払おうとして、手を振ったが、見事に空振り。
ターゲットとの距離、10センチ以上・・・。
意志決定と、反射神経が鈍っているのは、年齢のせいだろうか?


私は、何をやりたいのか? 
あるいは、やりたくないのか? 
・・・。 


「此方こはま
 原町田誕生四百年記念
 昭和五十八年建立」
 の文字が見える。

立って、北側から覗いてみると、

「絹の道
 此方はちおゝじ」
 とある。


横の看板に石柱の説明文。

「 絹の道
黒船到来により永い鎖国が開かれ
安政六年(一八五九)に横浜が開港さ
れると 日本から欧米諸国への輸出品
の花形になった"生糸"は 主産地であ
る長野・山梨や八王子から 町田を通
って横浜に運搬されました。
 新編武蔵風土記稿に "神奈川道" と
記された原町田中央通りは 東西文化
の交流を果たした中国の長安から地中
海に至る古代シルク・ロードのように
日本のシルク・ロードとなりました。
 そして原町田は 商業地形成の原点
となった「二・六の市」を経由して 生
糸をはじめ諸物資の集散地となり 繁
栄の基礎が築かれ今日に至りました。
 この碑は歴史と伝統を受け継ぐ 原
町田商人の証として 原町田誕生四百
年を記念し 一番街商店会が建立し
ました。
  昭和五十八年十二月吉日 」


なるほど、町田もかなり由緒ある土地なのだなと
改めて感じた次第だ。

※ ひょっとすると、以前、同様の記事を投稿していた
かもしれない。
 (ダブってしまっていたら、お許しあれ。)


蛇足) 「辛さ」に「ふた」をすると、「幸せ」になる。
 へぇ・・・!!

欲しいものは。

2015年11月12日 19時16分08秒 | 考える
相手に喜んでもらうには、まず相手を受け入れることが必要だ。

相手の 「欲しいもの」 を作る。


誰かのためになりたいと、ずっと思って生きてきた。

けれども、結局これまでは、
何も出来ずに、その逆に、他人に生かされ、生きてきた。
他人の力に助けられ、今までずっと生きてきた。

思うにこれは、皮肉にも、他人の為とも言えまいか?
何も出来ない私を、見守る人の為になる。


何とも皮肉な話だ。


60過ぎたら、生き死には、総てが自身の責任となる。
定年とは、自分が定まる年と書く。
会社を離れ、仲間と別れて、独り立ちする年齢だ。


人と人とは、いつの日か、分かり合えると思ってた。
60過ぎて、70に、手の届く年になり、
それは無理だと気がついた。


人と人とは、結局は、妥協し合うだけのこと。


結局、成果が出ないとなれば、何もやらないのと変わらない。
社会の目、他人の目とは、そういうものだ。

私はすでに69歳、他人に何かを期待できる歳ではない。
私はもうすぐ70歳、他人から何かを期待される歳ではない。
そういう年齢に入ってきたらしい。
今後は自ら動かねば、誰も動くことはない。


人は、出来ぬ事を夢に見る。
出来ぬ事ゆえ夢に見る。


人生投げちゃダメなんだ。
まだまだ、これからなんだもの。

他人に期待しても仕方がない。
他人は他人、自分のことで手がいっぱい。


雨の降るのを、ただ待つでなく、水の出る所へ汲みに行こう。


よくよく考えてみると、私がブログを書くのは、自分の考えを発表することにより、
自身が、その考えを確認、納得するためにやっている。


顧客(自分)が何を欲しがっているのか、必要なものは何なのかを知ることは大切だ。

顧客(自分)はいつも、より良いものを求め、常に迷っている。

私は、顧客(自分)の目の前に、商品(ブログ)を並べ、
これはどうかと勧めている新米店員のようなものだ。
ボーナス期を前に、気ははやれども、といったところだろうか。

※ yahoo=欲しいものを検索=そのサイトを調べ、客に知らせ、誘導する。
   必要とする顧客に、必要なものを提供、販売する。


・・・ふ~ん・・・!!


お店の窓に映るデジタル時計の文字表示。
21:51 = 実は12:15
E1:51 = 実は12:13
E2:01 = 実は10:53
05:01 = 実は10:20


ふ~ん、ちょっと面白いなと感じた。 (前にもちらりと書いたかな?)
 ↑(調べてみたら、2015年6月16日のブログでも、ちょこっと書いている。)


ブログの一文が、だらだらと長くなりかけている。 ・・・要注意!!


私の人生は、私個人のものです。
他人に合わせる必要も理由はない。


もっとも、だからといって、人に合わせていけない理由もないが。

ただ、人生を考えている、その間にも、時刻は黙って過ぎていく。



ただ一人、彷徨い歩け、ぶち当たるまで。