80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

年賀状印刷ミス

2015年12月20日 20時02分22秒 | 考える
あと、7ヶ月は60代。
出来れば、余裕のある生き方をしたいものだと思う。

気は行動を促す。
この歳でも、まだ「触れ合い」が欲しいと思う。 

町田駅北口広場の「物思う女性像」
彼女は、今、一体何を想っているのだろうか? 


誰かと話をしたいと思う。
対話というより、隣りで黙って、ふんふんと頷きつつ、聞いていて欲しい。
無論、相手がちょっと (いや、うんと) かわいい女性であれば、
それにこしたことはないのだが・・・。

しかし、所詮、他人など、信頼に足るものではない。
他人を馬鹿正直に信用する方が悪い。


信用するなと言えば、
料理に使おうとした冷蔵庫の牛乳が、知らぬ間に(?)腐っていた。

そう、何物も信用しすぎてはいけないらしい。
たとえ、「冷凍冷蔵庫様」であっても、手に負えないこともあるらしい。

牛乳の使い方にも問題があるらしい。
ちまちまと時間をかけていては
いくら新鮮な牛乳を冷蔵しておいても、いずれは痛んでしまう。


話変わって、

昨日、年賀状を書いていた・・・というより、印刷していた。 
印刷後、再度、チェックをしていて気がついた。
ちょっと、手に負えないミスだった。
慌ててしまう。

「・・・つもりでおります。」となるべきところが、
「・・・つもりで降りますになっている。
「降」をホワイトで消して、ボールペンで「お」に修正。

ほとんど修正し終えた頃、再びミス発見。
今度は、「どうぞよろしくお願い申し上げます」
「どうぞよろしお願い申し上げます」となっている。

これには、さすがに、ちょっとお手上げ・・・!!
やむを得ず、全部、最初から手直し。

印刷ミスの年賀状、買い換えようとしたら、土曜で郵便局が休み。
やむを得ず、新宿へ。 (いずれ、暇人だ・・・。)

何しろ、今日は、すでに12月19日(土)
休み明けを待っていては、とても年始に間に合わない。

もっとも、例年は、年明けに年賀状を出して、
「これが、本当の年賀状だ」と、うそぶいているのだが。

どうも、このところ、総てがこの調子。
年末とは言え、なかなか収まりがつかない。
何もかもが、中途半端だ。


昔、ある人に「あんたには、中途挫折の相がある。」と言われた。
ふと、それを思い出した。

何十年もたった今、私に祟ってきたような気がする。
どうやら、当たっていたような気がしないでもない。


物言わぬは、腹脹るる業なり。
正にその通りだ。
腹がふくれあがって、ちょいと突かれただけで
バンッ・・・!! となりそうなこの頃だ。

完全に一人ぽっちなら、仕方がないとあきらめもつくが、
まわりにわんさか人がいるのに、互いに、ほとんど会話がない。
無論、これは全面的に私個人の責任だから文句を言う方がおかしい。
と、それは分かっているのだが・・・。

私はいつも思う。
「私は他人の眼には、一体どう映っているのだろうか?」と。


ふと思う。
他人のためと、よく人は言うが、
何だかんだと言ってみても、結局、最後に行き着くところは、
「自分自身の快感」、「結果に対する自身の感じ方」といったところに
落ち着くのではなかろうか。

他人のことなど、私の
序で(「ついで」とはこう書くのだと、初めて知った。)でしかない。

その結果、私はどうなり、どう感じているのか・・・。
と、とどのつまりは、そういうことだ。

男の死に仕度

2015年12月18日 23時11分06秒 | 考える
あと7ヶ月ちょっとで70歳

100歳でけじめをつけて、あちらへ行く (・・・として)、
その死に仕度に30年
私は、多分、死に損なうだろう。
で、さらに20年。

・・・120歳。
で、めでたく、やっとこ
大還暦

「大還暦」 ・・・良い響きだ。  うんっ・・・!!


う~ん、駅広場のベンチに腰掛けて、ただ、ボヤーッとしていても、
何一つ始まることはないが、とにかく、時間だけが馬鹿正直に過ぎていく。
  (この場合、「馬鹿」は褒め言葉になる。)

高校生だろうか、かわいい女の子が2人、ぺちゃくちゃ喋りながら
私の目の前を行き過ぎる。
 

当然ながら、残念ながら (チェッ・・・!!)、私とは何の関わりもない。

相手も、チラリとこちらを見るが、こちらと関わるつもりは
全くないらしい。 ・・・残念 !!

それはそうなのだろうが、だからといって、
このまま、引っ込んでばかりいるわけにはいかない。

男としては、少なくとも、誰か (無論、辞世・・・、否、書生・・・、否、女性、可)
付き合うべきだし、付き合っていかねばならない。 

コピー・・・自分が「対象」に何を伝えたいのかをはっきりさせよう !!


来年・・・2016年は、「鎌倉古道」を歩き倒してみたいものだ。 


いつまでも、コミュニケーションが苦手ではいけないと思う。

老人が生きていくには、コミュニケーション能力が大切らしい。


先を読む能力。

歴史から学ぶ知恵。
せめて、仲間内での 「信頼残高」 を上げる。


人には寿命があるという。

いいじゃないか、今さらいつ死のうと同じ事だ。

社会的にはとうに定年をすぎたものは、
すでに、職業社会からは卒業証書を渡された身だ。
とは言え、本当を言うと、まだ未修得単位が残っていたはずだが・・・


寿命は、本人が何もせずとも、勝手に減っていく。

ともかく、今のまま、このままでは駄目だ。


取りあえず、今、私に出来ることを、精一杯やってみる。
それで駄目なら、やむを得ぬ。


実際、私よりずっと若い人たちが、就職出来ずに職安通い。
毎日、無為に自宅と職安を往き来しているご時世だ。



金を増やしていく仕組みを考え、実行していく。
それが出来れば、それが良い。

それを考えていく。


男一匹、死に仕度・・・。

何か残せるものが欲しいものだ。

自動車事故

2015年12月14日 18時32分03秒 | 考える
私には、弟と、一緒に何かやったという記憶が、あまり無い。

もっとも、半分は、自身、そう願ったということではある。
両親が、三重に引っ越すが、お前はどうする?と聞かれた時も、
当時、高校に在学中だった私は、このまま群馬に残ると答えた。

両親は、まだ幼かった妹と弟を連れて、三重に引っ越していった。

それから何年か後・・・。
私たちは、一緒に、群馬で暮らしていた。


あの頃、弟が自動車事故にあった。
考えてみると、あれから、すでに50年くらいになるだろうか。

当時、私は幼かった弟に、柔道の受け身を教えていた。
 (本当は、こちらに教えるほどの腕があったわけでは無い。
      つまりは、粋がって、そのつもりになっていただけのことだ。)

彼はかなりうまくなっていた (・・・と、私は思いたかった)。


その頃、小学生だった弟は、私の後について、道路を横断中だった。

ちょうどその時、通りかかった車に、ドスンという感じで、はね飛ばされた。
弟は、くるりと、うまく受け身をとって、「大丈夫・・・」 と言った。

車が止まって、運転者と、多分、奥さんが、慌てた様子で飛び出してきた。
「医者へ・・・」 と言う。


相手はもちろん、私も、パニック状態だった。 
他に、見ていた人はいなかった。

聞いてみると、弟は、「大丈夫だ」 を繰り返した。

考えてみると、あの時、私は、それに弟も、格好つけすぎていたのかもしれない。
今思うと、私は、本当に愚かだったと思う。


もしも、あの後、弟に、事故の後遺症でも出ていたら、
どうするつもりだったのだろうか?

今、振り返ってみると、ぞっとする。

さらに、よくよく思い出してみると、
相手は、「申し訳ない」 と繰り返しつつも、
結果として、「名前も連絡先も告げずに」 走り去ってしまった。


いくら格好をつけようとしても、人には限界がある。
「他人の実際の痛み」なぞ、無論、感じることは出来ない。

もしも、幼い彼が見栄を張って、骨折を我慢していたとしたら・・・。
あるいは、内出血でもしていて、それと気付かずにいたなら・・・。

今になって、振り返ってみると、ぞっとする。 


しかし・・・と、不意に思った。
もしかすると、今のこの現状は、あの時の後遺症かもしれない。

本来なら、彼は、もっともっと素晴らしい人生を送り得た可能性もある。
そう、もっともっと充実した人生・・・が。


とすると、これは、当然、私に大きな責任がある


誰にも、済んだことを元に戻し、
記録された人生を書き直す力などない。


人生は一度かぎりだ。
彼にも、私にも・・・。
 

どう生きようと、個人の一生はただ一度だけ。
何かやっても、何もやらなくても、あるいは何も出来なくても、
時が来れば、人生、幕引き。

待ったなし。


その上、問題は、いつ幕引きになるのか、凡人には知りようがない。
格好つけて生きようとしても、所詮は、ただそれだけのこと。
後には、塵ひとつ残らない。
それが、凡人の一生だ。


しかし、考えようによっては、「失ったものがある」 ということは、
それが、つまり、何やらが「存在したという証」 にはなるということではなかろうか。
 

老いていく。

2015年12月13日 20時23分47秒 | 考える
他人にいかに喜んでもらえるか? 

何度言っても無駄ならば、自覚に待つより 他に手は無し。

私は何かを書かねばならない。
それは私の、私に対する義務だ。

12月8日(火) 曇り 寒い!!
  ・・・

「老後破産」・・・雑誌の記事。
・・・確かに、そろそろ準備せねばならない。

  言葉だけではなく、現実化する恐れが充分すぎる。
  破産の不安は「0」ではない。


まだ、頭の中がゴロゴロしている。
煽られれば、煽られるほど醒めていく。


コンビニで、1万円を両替してもらおうとしたら不可。 

上から、何か言われているらしい。
客を信用しすぎない教育なのか。
  小銭不足の対策なのか。
  偽札対策なのかも。


いずれにしても、その意図が、よく分からない。

ひょっとして、偽札でも使いそうな爺さんに見えたのかもしれぬ。

目に見えるものが信じられなくて、心に感じるものだけを
信じなければならない時がある。

他人様から信頼してもらうには、
まずは、こちらも相手を信頼してかからねばならない。

・・・たとえ、自分が暗闇の中にいようと、また、倒れた時でさえも。

今、次に何を考えねばならないのか?
何をしなければならないのか?

本を読むなら、それも良い。 

誰もが、いずれは自分も死ぬことを、本当は信じていない。
実感していない。

それは、むしろ当然なのかもしれない。

何しろ、死に限りなく近づいた人はいても、
未だ、実際に死んだ経験のある人はいないはずだ。

私、70歳直前。

私も彼女も、まだまだ先のこととは言え、確実に死に近づいていく。
しかし、だからこそ、やらねばならぬことがある。

で、彼女って誰・・・?

私は、誰かに自分が
「ここにいること」を、認めてもらいたかった。
ずっとそれを願っていた。


私は、いつも誰かを探しているような気がする。

気まぐれ草

2015年12月12日 20時38分13秒 | 考える
何事も、そして誰も信用しすぎてはいけない。
最後には、悲しむことになる。

ボールペン、一本を手にして
心に浮かぶ、どうでもいいようなことを
気の向くままに、書き連ねていくと
何やら気が紛れるような気がする。
・・・熟々草 (つらつらぐさ)
 

自分の考えを、分かりやすく簡潔な言葉で表現する。
本を読まない人は、本を読めない人と、何ら変わらない。

話を聴いてくれる相手が隣にいて欲しい。 


道行く人、すれ違う人、みんなが、いい顔をしている。 
安定感だろうか?

誰か、人に会いたい。
私を見つめていてくれる人に・・・。 


私は、どうなりたいのか?
来年はどうありたいのか?

何をやりたいのか?
はっきりとした目標設定。


君は何を考えているのか?
来年は申の年、
何から去るべきか?
まず第一に去るべきは 「迷い」


カードをめくる。

「過去」 
順 38 GIFTEDNESS / GIFT 恵まれた才能
扉の前に落ちている鍵を発見、拾い上げて扉を開く。


以前は、こんな私でも夢に満ちていた時があった。
夢がほころび始めたのは、いつ頃だったのだろうか?

塀の向こうに素晴らしい未来が待っている構図。
しかし、今から思うと、私の鍵は合わなかったのかもしれない。
扉の向こうには素晴らしい現在が待っていたかもしれなかったのに。

だが、今でも思う。
出来ることなら、楽園の周囲にある
この高く ぶ厚い塀をぶち壊してみたい。 
みんなが幸せに暮らせるように。
と、今となっては、これは理想論に過ぎない。

今、もしも一気に解放したなら、招かれざる者たちが、
誰彼なく侵入してきて、秩序が失われてしまうだろう。

塀、扉、鍵、・・・これらは、やはり必要なのかもしれない。
問題は、誰が鍵を持ってきて、扉を開くのか・・・ということだ。


「現在」 
逆さ10 HEARTBREAK RELATIONSHIP ハートブレイク
男女がマートマークを引き合って破れかけている構図の「逆」
・男女が協力して、破れかけたハートを元に戻そうとしている構図。


男女が・・・というところが、大いに気になるところだ・・・!!


「未来」 
順 5 EXPECTATIONS VICTIM 期待 

カードは、私の未来を応援している。
怖れることなど何もない。


私は、今、年金が下りるのを待っている。
これって、長い目で見れば、
自分が死ぬことを待っていることになりはしないだろうか?

そう、人は常に何かを求めて、同時に、「死」に一歩ずつ近づいていくのだ。