あと、7ヶ月は60代。
出来れば、余裕のある生き方をしたいものだと思う。
気は行動を促す。
この歳でも、まだ「触れ合い」が欲しいと思う。
町田駅北口広場の「物思う女性像」。
彼女は、今、一体何を想っているのだろうか?
誰かと話をしたいと思う。
対話というより、隣りで黙って、ふんふんと頷きつつ、聞いていて欲しい。
無論、相手がちょっと (いや、うんと) かわいい女性であれば、
それにこしたことはないのだが・・・。
しかし、所詮、他人など、信頼に足るものではない。
他人を馬鹿正直に信用する方が悪い。
信用するなと言えば、
料理に使おうとした冷蔵庫の牛乳が、知らぬ間に(?)腐っていた。
そう、何物も信用しすぎてはいけないらしい。
たとえ、「冷凍冷蔵庫様」であっても、手に負えないこともあるらしい。
牛乳の使い方にも問題があるらしい。
ちまちまと時間をかけていては
いくら新鮮な牛乳を冷蔵しておいても、いずれは痛んでしまう。
話変わって、
昨日、年賀状を書いていた・・・というより、印刷していた。
印刷後、再度、チェックをしていて気がついた。
ちょっと、手に負えないミスだった。
慌ててしまう。
「・・・つもりでおります。」となるべきところが、
「・・・つもりで降ります」になっている。
「降」をホワイトで消して、ボールペンで「お」に修正。
ほとんど修正し終えた頃、再びミス発見。
今度は、「どうぞよろしくお願い申し上げます」が
「どうぞよろしお願い申し上げます」となっている。
これには、さすがに、ちょっとお手上げ・・・!!
やむを得ず、全部、最初から手直し。
印刷ミスの年賀状、買い換えようとしたら、土曜で郵便局が休み。
やむを得ず、新宿へ。 (いずれ、暇人だ・・・。)
何しろ、今日は、すでに12月19日(土)。
休み明けを待っていては、とても年始に間に合わない。
もっとも、例年は、年明けに年賀状を出して、
「これが、本当の年賀状だ」と、うそぶいているのだが。
どうも、このところ、総てがこの調子。
年末とは言え、なかなか収まりがつかない。
何もかもが、中途半端だ。
昔、ある人に「あんたには、中途挫折の相がある。」と言われた。
ふと、それを思い出した。
何十年もたった今、私に祟ってきたような気がする。
どうやら、当たっていたような気がしないでもない。
物言わぬは、腹脹るる業なり。
正にその通りだ。
腹がふくれあがって、ちょいと突かれただけで
バンッ・・・!! となりそうなこの頃だ。
完全に一人ぽっちなら、仕方がないとあきらめもつくが、
まわりにわんさか人がいるのに、互いに、ほとんど会話がない。
無論、これは全面的に私個人の責任だから文句を言う方がおかしい。
と、それは分かっているのだが・・・。
私はいつも思う。
「私は他人の眼には、一体どう映っているのだろうか?」と。
ふと思う。
他人のためと、よく人は言うが、
何だかんだと言ってみても、結局、最後に行き着くところは、
「自分自身の快感」、「結果に対する自身の感じ方」といったところに
落ち着くのではなかろうか。
他人のことなど、私の
序で(「ついで」とはこう書くのだと、初めて知った。)でしかない。
その結果、私はどうなり、どう感じているのか・・・。
と、とどのつまりは、そういうことだ。
出来れば、余裕のある生き方をしたいものだと思う。
気は行動を促す。
この歳でも、まだ「触れ合い」が欲しいと思う。
町田駅北口広場の「物思う女性像」。
彼女は、今、一体何を想っているのだろうか?
誰かと話をしたいと思う。
対話というより、隣りで黙って、ふんふんと頷きつつ、聞いていて欲しい。
無論、相手がちょっと (いや、うんと) かわいい女性であれば、
それにこしたことはないのだが・・・。
しかし、所詮、他人など、信頼に足るものではない。
他人を馬鹿正直に信用する方が悪い。
信用するなと言えば、
料理に使おうとした冷蔵庫の牛乳が、知らぬ間に(?)腐っていた。
そう、何物も信用しすぎてはいけないらしい。
たとえ、「冷凍冷蔵庫様」であっても、手に負えないこともあるらしい。
牛乳の使い方にも問題があるらしい。
ちまちまと時間をかけていては
いくら新鮮な牛乳を冷蔵しておいても、いずれは痛んでしまう。
話変わって、
昨日、年賀状を書いていた・・・というより、印刷していた。
印刷後、再度、チェックをしていて気がついた。
ちょっと、手に負えないミスだった。
慌ててしまう。
「・・・つもりでおります。」となるべきところが、
「・・・つもりで降ります」になっている。
「降」をホワイトで消して、ボールペンで「お」に修正。
ほとんど修正し終えた頃、再びミス発見。
今度は、「どうぞよろしくお願い申し上げます」が
「どうぞよろしお願い申し上げます」となっている。
これには、さすがに、ちょっとお手上げ・・・!!
やむを得ず、全部、最初から手直し。
印刷ミスの年賀状、買い換えようとしたら、土曜で郵便局が休み。
やむを得ず、新宿へ。 (いずれ、暇人だ・・・。)
何しろ、今日は、すでに12月19日(土)。
休み明けを待っていては、とても年始に間に合わない。
もっとも、例年は、年明けに年賀状を出して、
「これが、本当の年賀状だ」と、うそぶいているのだが。
どうも、このところ、総てがこの調子。
年末とは言え、なかなか収まりがつかない。
何もかもが、中途半端だ。
昔、ある人に「あんたには、中途挫折の相がある。」と言われた。
ふと、それを思い出した。
何十年もたった今、私に祟ってきたような気がする。
どうやら、当たっていたような気がしないでもない。
物言わぬは、腹脹るる業なり。
正にその通りだ。
腹がふくれあがって、ちょいと突かれただけで
バンッ・・・!! となりそうなこの頃だ。
完全に一人ぽっちなら、仕方がないとあきらめもつくが、
まわりにわんさか人がいるのに、互いに、ほとんど会話がない。
無論、これは全面的に私個人の責任だから文句を言う方がおかしい。
と、それは分かっているのだが・・・。
私はいつも思う。
「私は他人の眼には、一体どう映っているのだろうか?」と。
ふと思う。
他人のためと、よく人は言うが、
何だかんだと言ってみても、結局、最後に行き着くところは、
「自分自身の快感」、「結果に対する自身の感じ方」といったところに
落ち着くのではなかろうか。
他人のことなど、私の
序で(「ついで」とはこう書くのだと、初めて知った。)でしかない。
その結果、私はどうなり、どう感じているのか・・・。
と、とどのつまりは、そういうことだ。