80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

夢を見た (その3) 古着屋さんで

2015年12月08日 19時57分30秒 | 考える
平成27年12月8日(火) 朝

また夢を見た。

古着屋さんで自分に合うものを探している。
気に入った革のジャンパーがあった。

着替え用の個室に入って、鏡でチェックして、OK。
お店の人にチェックしてもらおうと、幕を開けた。

こちらを向いたお客さんが、ビックリしたような顔をしている。

ふと気がつくと、ズボンをはいていない。

(「ズボン下姿」でした。
  ・・・夢の話とはいえ、念のため)

慌てて個室に戻る。  

ズボンをはいて、再び幕を開けた。
今度は自分で気がついた。

上半身が裸・・・。 
ますます慌てる。


戻ってシャツと背広を着け、鏡で全身くまなくチェック。
表に出ようとしたところで、目が覚めた。

何か不安・・・。
何か、他に忘れているような・・・。
 

夢の中の話とは言え、何とも気になって仕方がない。

やり抜く力 (3)  誇れるもの

2015年12月07日 09時52分40秒 | 考える
現在、69歳半。
70歳に向けて、着々 (トロトロ?) と時間を重ねている。

何か、他人に誇れるものを持つと、
(自分だけの思い込みでも構わない。)
人生が、少しは豊かになるのではないか。
そんなことを考えた。


もっとも、こうして、口先で泣き言めいた事ばかりを
言っていても、どうなるものでもない。

今は無知でも、下手くそでも、
とにかく始めてみなければ何も変わらない。

出掛けなければ、どこにもたどり着けないということは、
いつの時代でも、誰でもが言っていることだ。
出掛けさえすれば、一歩でも、二歩でも、前に進む。



私らしさ・・・。

私は、他人を必要以上に気にするところがある。
それはそれで、良い面もあるだろうが、
逆に、それがどっちつかずで、
身動きの取れない状態になってしまうことも多々ある。

自分の生きる道は、他者にあるのではなく、
自分自身の総てが土台となっているのだと思う。


彼は彼、私は私、
今さらながら、私が偉そうなことが言えるわけもない。


私自身、未だ 「迷い」 のど真ん中にいる。
と、こんなことを書くこと自体が、それを証明している。



突然だが、ともかく、目の前の支払いから・・・。

その行為が積み重なって、いつの間にか迷っている暇がなくなる。
どなたかが、そんなことを仰っていた。


そう、気付いたことから、出来ることから処理を進める。
後回しにすればするほど、忘れる確率が高くなる。
それだけは確実なことだ。


ちょっと、頭痛・・・。
今日は、朝から青空、ずっと好天。
頭のフタを外して、風通しをよくすれば、頭痛も吹っ飛びそうな・・・。

死ぬ気で生きる。
私の人生は、私以外の人間の都合に左右されるものではない。
行動を決定しているのは、総て私自身の判断なのだ。



人は、ある日、思いもよらぬプレゼントに嬉々とする。

だが、それが何度か度重なると、
次第にそれが当然だと思い込むようになる。
さらには、それを待つようになり、
最後には、プレゼントが届かぬ事に不満さえ感じるようになるのだ。


そういった時、自分がどう思おうと、また、他人が何と言おうと、
私の人生と、誰彼の存在とは、何らかかわりがない。

私の人生は私自身の選択の結果でしかないのだ。

やり抜く力 (2)  継続は力?

2015年12月06日 14時10分02秒 | 考える
継続は力なり。
気分が乗っている時は、それでいい。
だが正直、この状態を維持していくことは、かなりしんどい!!

私はどうありたいのか? 

君はそれに対して、何の協力をしてくれるのか?
あるいはしたくないのか?


私のブログを、誰かが覗きにきてくれても、
前回と変化がなければ、がっかりするかもしれない。
と言って、あまり、いい加減な文章を書きたくはない。 
  (いつだって、中途半端な文ばかり書いているのに・・・。)



はじめが肝腎、はじめが総て。

他人と付き合っていると、
「やはり自分は付き合いにくいのかな?」 と思うことがある。

これが、仲のいいご夫婦だったら、どうなっているだろう?
自分の奥さんなら、何と言ってくれるだろうか? 

このところ、頭痛が治まらない。
こんな時、自分をフォローしてくれる相手が欲しい。
「ほらほら、手袋、落ちたよ。」 と、声をかけてくれる相手が。



「介護技術」 自分の出来る事、出来ない事を区別する。
相手に対する 「声かけ」「触れ方」

「今さらかよっ!!」 と突っ込みが入りそうだが、
今だから、現在だからこそ、自分に出来ること、
あくまで可能性だが、それを目いっぱいやりたい、
 
少なくとも、やろうとしたい。

私に何が出来る・・・?
だが、よくよく考えてみると、
現在のままでは、何ひとつ、満足に出来そうに思えない。
他人様を相手にした場合は、なおさらのこと。

真剣に対応すれば、そこに道が見えてくる。
相手の問題点、悩みを解決してあげることは出来る。


しかし、自分のことは、自分では分からないものだ。

やり抜く力 (1)

2015年12月05日 22時22分39秒 | 考える
孤独感・・・、
まずは、与えよ

先人は言う。

結局、どこにいようと、人は孤独なのだ。 
他人を求めるのは、自分が孤独だからなのだ。

孤独感を埋めてくれるツール・理念を求めていく。
受け取り、そして伝えていく。

客観手的な評価・結論・結果。


君はどうありたいのか?
私はそれに何の協力が出来るのか?

君の満たされないものとは?


私に、やり抜く力が欲しい。


保険屋さんから電話があった。
「考えたくはないでしょうが、
 いずれ、あなた自身が介護される可能性を考えなさい。
 その可能性は、誰にでも充分にあるのです。」
 

(確かに、お説ごもっともなのだが・・・) 

学校帰りに

2015年12月03日 11時53分20秒 | 考える
12月3日(木) 雨、外、すこぶる寒し。

自分のやっていることを信じよう。
これまで、自分のやってきたこと、
よかったことも、悪かったことも、信じ切る。
69年の経験の上に、今の自分がある。
これが私だというものが、 ・・・。  

自身のために、自分自身が、より良く生きていくために。
自分で出来ることを、徐々にでも増やしていく。
喜びをより深く感じるために。

面倒なこと、分かりにくいことを、自分の言葉で解説していく。
そこから解決策が生まれてきそうな気がする。


自分の行為、行動を、次に生かしていく。
出会い、仲間を作り、ネットワークを築いていく。 
 ・・・相互リンク。

なんか言い訳に終始しそうな気がしないでもない。


相手が何をやりたいのか、あるいはやりたくないのか? 
それに対して、自分は何が出来るのか?
出来ることと、出来ないこと・・・。



ふと、思い出した。
小学校時代、60年かそこら前の話。


学校帰り。
友だちのおじさんが、トラクターでリヤカーを引いて通りかかった。
乗っていいというので、みんな、我先に走っているリヤカーに飛び乗った。

走っていって、くるりと身を翻して、後ろ向きに乗る。 


私も負けじと飛び乗ろうとしたが、どうもうまくいかない。
2度3度飛び乗ろうとするが、タイミングが合わず、とうとう諦めた。 

リヤカーで、はしゃぐ友だちを後ろから眺め、一人で歩いて帰った。


何とも惨めで悔しかった。 

多分、今でも、やっぱりうまく乗れそうにない。
しかし、今の私は、走るリヤカーに飛び乗る必要などない。


ただ、みんなに簡単に出来たことが、自分だけ出来なかった。 
それが、やはり悔しい。


う~~ん、だから・・・??


むぅぅ・・・、やっぱり、悔しい!!!