80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

風来流想記 ― 日々に想う ― (1) 共同生活

2016年10月27日 20時50分23秒 | 考える
★ 2016/10/23(日)
共同生活って、一体何なのか?

たとえば、家庭・・・。
私と嫁さん、それに子供一人の三人暮らし。
嫁さん、一生懸命、子育て中。 
私は夜遅くまで働いて金を稼いで帰る。
そういったパターン。
・・・が、今では、既に、はかない夢想でしかない。

蒼春に、閑古鳥 一羽、声なき声で啼く。
閑古鳥、肩に止まって、人寄せつけず。
閑古鳥 歓呼鳥とは、何故書かぬ。
 

お茶漬け、コーヒー、各 1 杯。
薬は少なからず、毒だ。
毒を以て毒を制す・・・か。



雲が流れる、窓の外、白む。 
午前5:30 ・・・。

読書するフクロウ。

私が、眠っている間は、ずっと読書、
こちらが目覚めれば、入れ替わりに眠りにつく。

二人して、交代で、一日中通して見張らねばならぬべきものなど
何も無いと思うのだが・・・。

私は私、彼は彼・・・。
などと言いつつも、結構気にはしているんだぜ。


すっかり目が覚めてしまった。
ふと、レンジを覗くと、昨夕、温めていた飯が冷めてしまっている。 

忘れていた・・・!! 

彼が入れ替わりに眠りに入る。
本当か・・・?
案外、私と話すのが、嫌で、おっくうで、寝たふりをする?
どうも、このところ、私はひねくれた考え方をする。

まぁ、それも、大いにあり得るパターンだが、
互いに大人だ・・・ 。 (どうでもいいことだとも思う。)
・・・まぁ、そこまではしないだろう。


いずれにせよ、いちいち気にかけすぎる必要もなかろう。 

晩秋に、一人思うこと (4) 「御の字」

2016年10月26日 18時25分17秒 | 考える
行くべき先、目的が、はっきりと見えないというのは、何とも困ったものだ。

期待のし過ぎ・・・、
何かを当てにしているから、何もないとちょっとガッカリする。 😞

もともと人生とは当てにするべきものではない。
自分で創り上げていくものだ。


私は、他人の役に立つ人間ではないのかもしれない。

1日に1件、アイデアが生まれたら、御の字だ。
期待しすぎるな・・・、自分は素人なのだ。

ふと思う。

「おんのじ」 という言葉はよく使うが、
考えてみると、どういう漢字を使うのか分からない ・・・ ???
ちょっと調べてみた。

[御の字] 非常に結構な物・こと。
きわめて満足なこと。
ありがたいこと。

[由来] 御の字の「御」は尊敬の意を表したり、
名詞の頭に付けて丁寧に言うときに用いる。
その「御」の字を付けたくなるほとありがたい
という意味で、「御の字」 という言葉が生まれた。
もとは遊里から出た言葉で、江戸時代初期からと
見られる。

晩秋に、一人思うこと (3) 「どこか遠くへ・・・」

2016年10月26日 05時58分02秒 | 考える
旅に出たいと思う。
「どぉこかぁ~、遠ぉくへ行き~たぁい・・・

とは言うものの、どこへ行こうにも、金が必要なんだよなぁ。  

母の車椅子を押して旅することも、もはや不可能だ。
無念・・・!!


もう一度、みんなで、どこかに旅してみたかった。
事実、そんな話をしていたのだ。
重ねて残念だ !!

読み直してみると、愚痴ばかり書いている。 ・・・反省。


自分に優しくしてくれる相手がいるというばかりでなく、
自分が優しくしてやれる存在があるというのも、
あるいは、幸せなことなのかもしれない。


ベンチで、同じ一つのペットボトルから、お茶(?)を飲み合っている。
幼い子供二人と遊ぶ母親を見て思う。 


隣のベンチに車椅子の男性、そして介護の女性。
仲良く、話をしている。
いい感じだ・・・。


人間とは、もともと働きかけ、働きかけられるという
相互関係を言うのかもしれない。



夢をあきらめるな !!

自由 「結婚という不自由」 を選択する自由もある。

こうしてベンチに腰掛けていると、
私の尻の形にベンチが沈み込んでいくようだ。 
ふと、そんな気がした。

今、気づいた。
私の全身が正面のウィンドウに映っている。
相変わらず、首を右に傾ける癖が治っていない。 

注意せねばいけないと、いつも思っているのだが・・・。

いつの間にか、車椅子の方が、いなくなっている。
何となく気になっていた二人なので、ちょっぴり妙な感覚だ。
 

晩秋に、一人思うこと (2) 「人目が気になる」

2016年10月25日 16時48分37秒 | 考える
ふと思う。 
10/24(月) 今日は晩秋? それとも初冬?

唐突だが、
他人の目に映る自分の姿を想像すると、何か、ぞっとする。


自己愛ではない (と思う) が、私は 「映る自分」 が気になって仕方がない。

大昔、ブログに書いた事があるが、郵便受けの内側に映った自分の顔。
通りがかりの、お店のショーウィンドゥ、そこに移る自分の顔。
ハッとして見入ってしまう事がある。

別に、いい男だと思って見るわけじゃあない。
(いや、多少は、・・・大分、それもあるかな・・・・)
自分が人目にどう映って見えるのか?
それが、どうにも、気になってしまう。


言ってみれば、ある意味、 「対人恐怖症気味」 なのかもしれない。

会社にとって、というより、社会にとって、
現在の私は、単に 「ゲスト」 でしかない。
仕事中に、のこのこやって来るゲストは、どうにも厄介な存在だ。
はっきり言えば、「邪魔者」 でしかない。


せめて、魅力ある 「手土産」 でも持参せねば
ほとんど相手にされない。(・・・多分) 

仕事をしていた頃は夢中で、そんなことを考えたことはなかった。

しかし、この所、ずっと頭に引っかかっている。
私は、何か大切なものを、どこかに置き忘れてたのではないだろうか?

ベンチの前を通り過ぎていく人たちにとって、私はどんな存在なのか? 
目の前を遮る障害物、あるいは目の隅をかすめる影といったものか。

何か、それが何であれ、「役割」 を持っている人間って、本当に幸せだと思う。
仕事を離れて、初めてそう感じている。 

晩秋に、一人思うこと

2016年10月24日 20時54分08秒 | 考える
2016/10/24(月) 晴れ

書けば、読んでくれる人が、少しはできたらしい。
「皆さん、ありがとうございます。」 
そう思っただけで、何だかやる気が出てきます。
 

ふと思う。
何もせずとも、生きていくだけで、金がかかっている。

どう見ても、自分は、かっこの悪い男だから、
せめて、気持ちだけは、かっこよく生きていきたいと思う。
そう、手始めは、とりあえず、そう思ってみる。

やはり、どう考えても、かっこ悪い人間のそばなんぞ、
誰だって、寄り付きたいとは思わないだろう。
現状のままでは、無駄な期待はするなということだ。

新たに他人と関わろうとすると、
やれ入会金だ、月謝だと、とにかく金が必要になる。

端目には楽に見えても、気遣い、手使い、機械使い、・・・と、
いろんな 「づかい」 が必要だ。

これが、けっこう大変なのだよ。

他人が働いているのを横目で見て、ぼぉ~としているだけでは、
何一つ、ほんのちょこっとでも変わることはない。
 

いわゆる、「生産的なこと」を手掛ける。

「手話」 をやってみたいが、そう思っているだけでは、どうにもならない。
強制的に使わねばならない状況に身を置く。
思いは体現せねば何にもならない。
何も変わらない。

そうなんだ。 旅行に行くには、まず旅費が必要なんだよなぁ。

とりあえず、実績とはいかないまでも、かすかにでも、傷跡ぐらいは残しておきたい。
誰かが、それに気づいてくれたらめっけものだ。

誰にも気づかれず、素通りされてしまうのは、こちらの力量不足でしかない。
これは仕方がない。

まずは、パワーアップして、体力、そして能力を保持する。


昨日 10/23(日) 平 幹二朗さん、逝去。
82歳だったらしい。

好きな役者さんだった。
ご冥福をお祈りいたします。