80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

ノート転写(その3) 常に時間はたっぷりとある。

2016年10月23日 19時30分37秒 | 考える
とにもかくにも、一つ、一つ、また一つ。
今のままでは、何も見えてはこない。
私、今年、70歳・・・。 

ふ~ん、だから、どうした・・・?


会館のロビーに集まるのは、ほとんどが暇をもてあました老人ばかり。
会話を成立させるには、何かしら同じものを持っている必要がある。

考えてみる・・・。
・・・何も、出てこない。
う~ん・・・、どうやら、ここも、私の居場所とはなりえないようだ。


多分、気持ちの問題だろうが、
今の私には、相談相手となるのは無論のこと、
ただ相手の気を紛らわせるだけの技術もない。


同居人(弟)はずぅーっと沈黙を続ける。
もっとも、話をするにも、それこそ年代も育ちも違う。
共通する話題がないのだから仕方がない。
雑談にもならない。
しかし、これはわたしの責任だろうか? 
どうにも気詰まりだ。 

取りあえずは、それなりに自分の身体が動いてくれるというのが、
私にとって幸運・・・、これは、大層幸せな事なのだろう。
  

ここ5階までの階段の上り下りに不自由しない。
まずは、この現状を受け容れよう。

身体が思うように動かないという事は、けっこう大変な事なのだ。
逆を言えば、私は大層恵まれているのだ。
思えば、小さい頃、母に鍛えられた事が最大の幸運。
おかげで、今の私がある。
 

しかし、今の時 (この年齢) の、身体の動きを大切にせねば。
明日もまた、同じ動きが、スムーズにいくとは限らない。
この時間、この一分一秒が、本当に勿体ないのは、よく分かるのだが、
今やるべきことが、すぐに思いつかない。  

ほんのちょっとした関わり合いを大切にしていけば、
自分の役割も見えてくるのではないかとも思う。


私と弟の関係・・・、
私は人との関係を避けようとしているが、
その実、他人との関係に飢えていたのだろうと思う。

ず~っと、ず~っと、一人で生きてきて、ここにきて、
二人暮らしに戸惑っているというのが正直な話だ。


何が出来るか?
何をやるのか?
いずれにせよ、一人では何もまとまらない。

付き合いとか、仲間とか、
・・・う~ん、私に合う女性・・・なんていやしないやな。
今さら、うじうじと・・・。
 

ともかく、いつもいっしょにやる仲間が欲しい。
やりたい事、
やるべき事、
やらねばならぬ事、それらを共有する仲間。

触れて、感じて、やがて口を開く。
・・・仲間

しかし、欲張ってはいけない。


常に時間はたっぷりとある。
うまく使いさえすれば。  ゲーテ

ノート転写(その2) 顔つき

2016年10月22日 21時25分56秒 | 考える
8月26日(金) 晴れ
こころが通い合っていると、その顔つきまで
相手に合わせようとするためだろうか、
どこか似てくると言う。 
 ・・・誰が言ったかって?
  ・・・・ ???

私は、誰かに似ているか?

私は多分、いつも、人との交流、触れ合いを求めている。 

しかし、確かに空間は共有していても、
ほとんど相手は、眠りこけているか、
黙って本を読んでいるか、
あるいはパソコンの画面を睨んでいるかで、
いずれにしても、ほとんど交流がない。

が、まぁ、「今」 を素直に受け止めよう。
二人が歩んできた別々の空間と時間・・・。 
これは何とも仕方のない話だ。

今を素直に受け入れる。
人が総ての意味を理解できるわけはない。
すべてがわかるはず、わからねばならないと思う傲慢を認める。
宮部みゆき 「小暮写真館」より


仲間が居ない。
これは個人的な問題・・・。
素直に、仲間を受け入れる器量がないというべきだ。
語るべき技術がない。
新たな技術を手に入れる機会がない・・・?
これはちょっと違うかな?

そう、これらは、総て、私の気持ちの問題なのだ。


8月28日(日) 曇り
台風が来るとか、来ないとか。
朝から曇り空。

何故か眠くて仕方がない。
何でも良い、「目的」 が欲しい。
真剣に目的を追求している人は、その顔つきまで変わってくると言う。
(ちょっと、文の流れに無理があるかな・・・?)

私と同年配の人の読みたくなる本とは、
どのようなものなのか?

「60代のファンタジー」 を書いてみたい。
気だるい日々。

常に、読んでくれる相手を意識して書いていく。

捜し物は何ですか~ぁ・・・♪♪
見つけにくいものですか~ぁ・・・♪♪
ルルッル・・・~、ルルッル・・・~、アッ、アッァ~、・・・~♪♪


けど、目的って、本当に、見つけにくいよねっ・・・。

関係するということ

2016年10月22日 08時46分39秒 | 考える
無職、無収入。
いや、正確には年金生活だ。
弟と二人暮らし。

今回、私自身の入院、手術で、貯金もほとんど、はたいてしまった。 

窓の外はまだ真っ暗・・・。
弟が、バッグを背に、仕事に出掛けていく。 

それは彼個人の仕事だが、
現状、少なからず、弟の稼ぎに頼らねばならぬ面がある。

本来なら、私も稼ぎに出たいところだが、
この歳で、果たして何ができるか分からない老人を、
今さら、雇ってやろうという酔狂な経営者はまずいない。
 

誰にと言うわけでもないが、このところ、何となく、人生に引け目を感じる。
この社会にとって、私は既に役立たずなのだろうか・・・!!


年金額が少ない。
受給戦略を間違えたかも知れない。

今さらながら、計算してみた。 
一人ならともかく、二人暮らし、現状のままでは、とてもとても・・・・。

何か金を稼ぎ出す方法は無いものかと手ざくり。
ネットを見ると、いろいろ方法もあるらしいが、ちょっと腰が引けている。 


午前6時半、気がつけば、ようやく外が明るくなってきている。
曇り空だ。  
お前さん、今日は一体、何をする・・・?


最近、スタバの前を通ると、中から女の子が挨拶してくれるようになった。 
よく考えてみると、これって意外に素晴らしいことなのではないだかろうか。
勝手にそう思ってみる。
 

人間関係ってのは、一朝一夕に出来上がるものではない。
たとえ、それが商売用だろうと何だろうと、そんなに簡単に出来上がるものでも
ないだろうと思う。


しかし、考えてみると、昔のお店のおばちゃんたちって、
誰に対しても、大きな声で元気に挨拶をしていたような気がするな。
 

他人との関係・・・。
昨日と今日・・・常に評価が変わる。

ひょっとして・・・、
今になって後悔しきり・・・。
もっと、素材を仕入れておくのだった。


いやはや、何の目的も無い生活というのも、決して楽なことではない。

評価とは言うが、それはいつだって、かなり個人的なものだ。
気にするなとは言わないが、それほど深刻に考える必要もないと思う。
・・・と、改まって言うのは、かなり気にしているという事なのだろうな。


何もせずに、ただ待つというのは、予想外にきついものだ。
ならば、何かしながら待っていればいいだけのことでは・・・?
しかし、一体何を・・・?
そこが最大のポイントだ。

何もせずに生きていくという方法が無いものだろうか?
・・・???・・・、
おそらく、それは、何の面白味もない人生だろうな。
人は、結局、何かせずには生きられない生き物だと思う。


つまるところ、「金を積み上げていく」 か、
金が入ってこないなら、「今ある金を使わずに守っていく」 かの 
その2つしか手はあるまい。

求めすぎるな。
結局は、自分の人生とはいえ、そうそう思いどおりにはいかない。
他人を当てにして生きていくのはそろそろ終わりにしたいものだ。
 

人は人、私は私なのだ。


自戒・・・。

母に・・・

2016年10月19日 16時36分15秒 | 考える
死に際して、これまで意に添わぬ人生を強いられてきた者にとっては、
人生とは、長々と続いた苦しみの時間でしかなかったろうし、

思ったような人生が送れたと感じている者からすれば、
最終的に、人生とは何と短いものか。

本当に良かったが、出来れば、このまま・・・、もう少し、このまま、
と、考えているかも知れない。



母の場合は、どうだったんだろう?


おそらくは意に添わぬ人生、不幸な時が、長く続いた人生ではなかったか。

新婚でうきうきしていたところに、半病人・・・いや、完全に病人、不具者の
私を紹介されてきっとビックリ仰天したに違いないのだ。


今さらだが、「ありがとう・・・!!」 と感謝を捧げたい。

無論、母の亡くなった現在、何を言っても、虚しく空々しく聞こえるばかりではあるが。


もう一度だけでも、今度は、弟も一緒に、どこかへ旅行がしたかったなぁ。
本当は、もう一度、病床から起き上がってくるのを期待していたんだよ。


でも、やっぱり、ひとこと言わせてください。
お母さん、本当に長い間、ありがとうございました。
そして、本当にご苦労様でした。


母さん、この文章、どこかのパソコンか携帯から、読んでくれないかなぁ。

羅針盤・・・夢を夢見て その4 対人関係

2016年10月16日 20時05分53秒 | 考える
正直、相手は誰だっていい、「真に関わってみたい」。
これが本心だ。 

しかし・・・、
なかなかそうは問屋が卸してくれないのが世の中というもの。

問題は、相手がこちらをどう見て、近づいてきたのかということだ。
相手がすぐに、こちらの期待を満たしてくれるとも思えない。

もっとも、それはお互い様。
知ろうにも、相手の考え、総てがすぐに分かるはずもない。
夢を見ていると、目覚めた時の落胆が大きい。 

生き物は総て、最終的には死んでしまう。
死なないと言っている私は、生き物でないのか?
いやいや、私は、それ以前の存在・・・、すでに死んでいるのかもしれない。
 

というのも何だかなぁ・・・。

外れた自転車のチェーンは、もとのようにはめ戻すことができる。
でも、一度外れたチェーンは外れやすいとも言う。
 

商いは、まず場所だという。
そして、人・・・。


他人の振り見て我が振り直せ。

いつものごとく、ベンチに腰を掛け、過ぎゆく人々を傍観している。

様々な(多分)人生が、目の前を通り過ぎていく。 
やることのある(?)人生は充実しているように見える。


そう、いろんなものを、いろんな事を試してみるのもいいのではないか。
自分なりに恰好つけてもいいのでは・・・、


って、もうすでに充分恰好つけているじゃないか!

まぁ、恰好つけるだけしか能が無いのかも知れない。

本物は、恰好つける必要などない。

「人に好かれようと思って仕事をするな。」 白洲次郎

人の為だなどと言って仕事をするなということだろうか?

今日の空は、雲一つなく、晴れ上がっている。


しかし、それにしても今日の風、なぜか、やたらに冷たく感じる。